2013.10.09 wed

「物語」でビジネスも人生もうまくいく? No.8―「3つの夢」

「物語」でビジネスも人生もうまくいく? No.8―「3つの夢」


 

【対談形式ストーリーボード】


― 目次 ―

No.1―「物語って何?」 
No.2―「探究」
No.3―「旅立ち」
No.4―「手助け」
No.5―「通過儀礼」
No.6―「ライフ・シナリオ」
No.7―「聖と俗」

「物語」でビジネスも人生もうまくいく?
No.8―「3つの夢」
 

(梅本龍夫)
さて、つぎのテーマは「夢」です。
夢は3種類あるという話です。

  • ひとつは、眠っているときの見る「夢」があります。
  • 2つ目として、起きて活動しているときに、こうなったらいいなという思いを抱く「夢」があります。
普通はこの2つを「夢」と呼ぶのですが、実はもうひとつの「夢」の在り方があるのです。それがN0.7ストーリーボードのテーマ「聖と俗」をつなぐ大事な役割を果たすのですが、その話に入る前に、pyankoさんとsecoさんの「夢」の感覚を教えてください。

眠っているときの「夢」は覚えていますか?どんな感じのものが多いですか?
起きているときに抱く「夢」は、寝ているときの「夢」とまったく別物ですか?それともどことなくつながっている感じですか?



「夢」はペンローズの三角形のように巡る (図形引用:Wikipedia)


>①

(pyanko)
眠っているときの「夢」は、たま~に覚えていることがあります。子供の頃のほうが、もっと夢を覚えていたように記憶しますが、最近は、あまり覚えていません。
 
そういえば、子供の頃は、良い夢、悪い夢を含め、いろいろ突拍子もない夢を見ていたのですが、最近は、日常生活に近い夢を見る気がします。あと、悪い夢ほど覚えて起きることが多いので、自然と忘れようとしているのかもしれません。
 
白黒の夢を見る方もいらっしゃるようですが、私はカラーで見ます。
 
一方、起きているときに抱く夢は、寝ているときの夢とは、私の場合、まったくの別物だと思います。映像的というよりは文章的な感覚です。
 
寝ているときの夢は「体験」ですが、起きているときに抱く夢は、「思考」だと思います。


>②

(seco)
夢は3つあるんですか!?

寝ているときにみる夢は、pyankoさんと同じカラーで、私は楽しい夢が多いです。続きがみたくて二度寝することもあります。物語を夢で見ている感じで(映画のような)日常生活の飛躍版のような。辛い夢も時々みますが、その日のうちに忘れてしまうかなぁ

起きているときの夢は、確かに思考で、でも大人になるにつれ、夢を描けなくなった気がするので、私の夢はなんだ!目的はなんだ!したいことはなんだ!という問いかけを自分にするようにしています。

 

>③ 「ドリーミング」

(梅本龍夫)
おふたりはカラーの夢を見るのですね!素晴らしい。質問しておいて何ですが、私は眠っているときに見る「夢」はほとんど覚えていません。朝起きて、夢を見ていたと感覚があっても、すぐそこから意識が離れるので、夢の痕跡があっと言う間に消えてしまうからだと思います。
 
なぜ夢を見るのか。そしてどうして夢を忘れてしまうのか。山元大輔・東北大学大学院生命科学研究科教授は、次のように語っています。
 

 「脳の科学では、夢は脳に刻まれた記憶をまぜ合わせて合成し、また想像を加えたものだとされています。現実の世界が脳の回路を通って記憶され、その記憶が変形して夢として甦るのです」

「夢は直接的な行動に結びつきません。現実の問題と乖離し、行動に結びつかない場合、それは記憶には刻まれないのではないでしょうか。記憶は人間が生きるために存在していますが、夢の中の現象や行動は現実の生とかけ離れているからです。そのため、目が覚めるとほとんど夢を記憶していないのです」

(引用:「目が覚めたらなぜ『夢』は忘れてしまうのか?」

 
山本先生のコメントは、現代の脳科学の典型的な解釈だと思います。要するに眠っている時の「夢」は無意味で無駄なものということです。でも、これってわからないものは意味がないと言っているのに近いように私には思われます。脳がなぜ「意識」を生むのかも、本当のところよく分かっていません。「夢」についても、あやふやな解釈しかできないのが科学の現状ではないでしょうか。
 
科学的探究の今後の進展を期待して、今はとりあえず「夢」について別の解釈を自由にしたいと思います。それは、「意識には次元がある」という捉え方です。1次元目が「眠り」です。意識のない意識状態(?)です。2次元目が「夢」。眠っている時の夢のことです。そして3次元目が「覚醒」。つまり目覚めた状態です。この先もあるのですが、それはまた別の機会に(笑)。
 
さて、「意識には次元がある」ことで、「3つの夢」という解釈が生まれます。繰り返しますが、「第1の夢」は眠っている時に見るもので、「第2の夢」は目覚めているときに見るものですね。

では「第3の夢」は何か。それは1次元目の意識である「眠り」からもたらされる夢見の状態です。眠っている時の「夢」と起きている時の「夢」の橋渡しをするものです。え?何のこと??
 
すみません。ちょっと英語を使わせてください。

  •  「第1の夢」(眠っている時の夢)=DREAM ドリーム  (夢)
  • 「第2の夢」(起きている時の夢)=DREAMER ドリーマー (夢見人)
  • 「第3の夢」(眠りと覚醒の橋渡しをする夢)=DREAMING ドリーミング (夢見)

 
pyankoさんは、ドリーム(眠っている時の夢)は「体験」と解釈しましたね。そしてpyankoさんとsecoさんは、ドリーマー(起きている時の夢)は「思考」と言いました。体験も思考も、個人の中で起きることですよね。他人の「体験」も、他人の「思考」も、本当には自分のものにはできません。
 
では、ドリーミング(橋渡しの夢)は??
ちょっと想像してみてください。
 

夢の懸け橋 (ASHINARI)


>④ 

(seco)
っ全然
  わかんない
                             ギブアップ・・・



>⑤

(pyanko)
「次元」という言葉を見ると、日曜日にやっていたNHKスペシャル
 
「 神の数式 第2回 宇宙はどこから来たのか ~最後の難問に挑む天才たち~」
を思い浮かべました。
 
ドリーミング(橋渡しの夢)は、ブラックホールの底ようなもの。ブラックホールの底は、宇宙が生まれたビックバンの起きた瞬間と同じ状態だそうです。
 
つまり、眠っている時の「夢」と起きている時の「夢」、それぞれが生まれ、戻っていく場所なのでは?


>⑥ 「もしドリ」

(梅本龍夫)
secoさんの強烈パンチ『わかんない!』で失神・・・気づくと一週間近く経っていました。スミマセン(苦笑)

 
その間にpyankoさんがブラックホール説を出してくれていたんですね。ひょっとしたらこちらに吸い込まれていたのかも・・・(^^;)
 
あらためて、第3の夢として、「ドリーミング」(夢見)というわかりにくい話を出してしまい、ちょっと混乱してしまいました。私の中にあったのは、分析心理学を創設したユングが提唱した「集合的無意識」です。
 
第1の夢(眠っている時の夢)は、個人の無意識の中で起きる現象ですよね。ユングの師匠だった精神分析学の創設者フロイドは、もっぱらこの個人的無意識の作用を探求しました。ユングはフロイドの分析では不十分と考えました。そして、夢の奥には「個人を越えた、集団や民族、さらに人類全体で共有する心の領域」があるとみなすようになりました。これが「集合的無意識」です。
 
「集合的無意識」は本当にあるのか。ユングの理論はオカルトだという根強い批判があります。そこまでいかなくても、実証できないひとつの解釈であり、よくできた物語に過ぎないという捉え方が一般的かもしれません。
 
さてさて、このストーリーボード公開版のテーマは「物語法」でしたね!「集合的無意識」が客観的に存在するかしないかという科学的検証は、専門家に任せるとして、私たちは「もし集合的無意識があるとしたら何が起きるか」考えてみたいと思います。それが「ドリーミング」のテーマです。
 
ベストセラーとなった、岩崎夏海著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』は略して「もしドラ」。それにあやかって、『もし私たちがユングの「集合的無意識」を共有していて、それがドリーミングという形で浮上してくるとしたら』を「もしドリ」と略したいと思います(苦しまぎれ・・・)。
 
pyankoさんsecoさん、「もしドリ」できそうですか?
 
そういえば、こんな感じの体験って「ドリーミング」(集合的無意識が浮上した体験)?そんな「もしドリ」を聞かせてください。(ちなみに、pyankoさんブラックホール説は、体験じゃないですけど、「もしドリ」として聞くと、とっても興味深いです)
 



岩崎夏海著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』



>⑦

(pyanko)

このことを考え出すとオカルトっぽくなってきます。だったら思いっきりオカルトで。
 
生命、中でも精神や魂と呼ばれるようなものは、何か大きなひとつのものから出てきているんじゃないかと思っています。だから、どこかには、「集合的無意識」と呼ばれるようなものが、すべての人、生き物の中にあるんじゃないかと。
 
予知夢やお告げ、死んだ人が枕元に立つなんかは、そういったものと繋がっているのかも。幽霊やお化けなんかも、それを外部化して見ているのかもしれません。


>⑧

(seco)
このドリーミングの章はよくわからないですね
集合的無意識もあるんでしょうけど、感じたことはない。
祈りとかそうなんだろうけど、発信するようなことはないですね~

 

>⑨ 「イブの夢」

(梅本龍夫)
secoさんの『わかんない!』パンチ第2弾で再びダウン・・・。気付くと、リグミ・ポータルがリニューアルされていました(^^;) 「物語法」も装いを新たに、再出発といきたいですね。

 
pyankoさんは、「生命、中でも精神や魂と呼ばれるようなものは、何か大きなひとつのものから出てきているんじゃないか」と言いました。現代科学が明らかにした生物進化のプロセスは、実は「ひとつのもの」からの分化なんですね。
 
ミトコンドリアDNAを用いた系統樹を分析した科学者たちは、全人類はアフリカ女性の子孫であることをつきとめました。この女性は、「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれるようになりました(参照:Wikipedia)。さらに言えば、最初の生物はどのように生じたのか。これはまだ謎ですが、すべての生物は、「ひとつの細胞」から分裂し分化した存在である可能性は高いと思います。
 
だから「集合的無意識」を共有している。そんなことを主張したいのではありません。ただ、生物はどうも、私たちが思っている以上に「ひとつの存在」なんじゃないか。物理的な肉体の成り立ちや、その神経や体液の在り方、さらにはそこから生じる「意識」のようなものに、実は驚くほどの共通性がある。そんな気がします。
 
これは科学的に「正しい」議論ではありませんが、他者の気持ちや考えを理解したり共感すること、動物を見て人間との共通性を感じ取ること、さらに花や木にも親しみと愛情を感じ取る人間は、単に思い込みや誤解でそうしているのではないと私は思っています。
 
しかし、それを科学的に証明する術はないし、現代社会では誰もそれが正しいか間違っているかを説明してくれません。昔は、神話が世界を説明する大きな物語として機能しましたし、より具体的には宗教が神話観を生活の中に落し込んでくれました。今日、神話は絶え、宗教は科学によって脇に追いやられています。
 
それで私たちはどうしたかというと、pyankoさんが示唆するようなこと、「予知夢やお告げ、死んだ人が枕元に立つ、幽霊やお化け」といった体験談や話を、信じたり疑ったりを繰り返しています。
 
で、「もしドリ」(もし私たちがユングの「集合的無意識」を共有していて、それがドリーミングという形で浮上してくるとしたら)です。「物語法」では、「もしドリ」は物語の基盤にあっていいという立場を取ります。私たちが、他者とつながり、違いを含めて受け止め、一緒に社会を形成し、何かを成し遂げていけるのは、私たちはみなミトコンドリア・イブの子孫であり、もともとは「ひとつの存在」だから。
 
この壮大な前提を設け、ひょっとしたら幻想に過ぎないかもしれない物語を紡ぐのが、人間という生物の特性。世界中の小説やハリウッドなどの映画も、みんな無意識にこのことを前提にしています。
 
ではそんな物語は、どこに向かうのか?それが次のストーリーボードのテーマになります。



アダムとイブ (Wikipedia)



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