【対談形式ストーリーボード】
>①
(seco)
でしょう???
旅立つものが英雄で、旅立たないのが一般人でしょうか?
>②
>③
(梅本龍夫)
ふたりのリアクションは想定以上でした(苦笑)
英雄は人気者ですね。
いや、そうではなくて、英雄のことを、多くの人は誤解している部分があるのだと思います。
secoさんの質問、「旅立つものが英雄で、旅立たないのが一般人でしょうか?」の答は、ある意味では「YES」だと思います。でも、本当のところは、「旅立たない人はいない」というのが答えです―。
pyankoさんがいう「悩みながらも、強い志を持って旅立つ」英雄もいるにはいると思いますが、むしろ例外的なのだと思います。ほとんどの英雄は、実は自力では旅立っていません。少なくても神話では。
英雄のイメージ、変わりましたか?
>④
(seco)
つまり・・・
どうやって英雄は旅立つのですか?
旅立たない人はいない、のなら皆英雄で、それは英雄とは言わないのでは?
>⑤
(pyanko)
英雄のイメージが変わったと言うより、わからなくなりました(^_^;)
英雄は、やっぱり「ヒーロー」的なイメージがありますので。
それでは、英雄って、どういう人なんだろう・・・
>⑥
(梅本龍夫)
キャンベルは、英雄のことをこんな風に描写しています。
「英雄は日常世界から危険を冒してまでも、人為の遠くおよばぬ超自然的なところに赴く。その赴いた領域で超人的な力に遭遇し、決定的な勝利を収める。英雄はかれにしたがう者に恩恵を授ける力をえて、この不思議な冒険から帰還する」(『千の顔をもつ英雄』上巻45ページ)
人文書院
この文章、ちょっと難しいですね。それに、短い中に、ものすごくいろいろなことが詰め込まれている感じです。でも、ものすごく単純化してしまうと、「英雄とは、普通の人ができない冒険を成し遂げて、みんなのために宝を持ち帰ってくる人」、ということになります。
「なんだ、やっぱり英雄は一般人とは全然違うんじゃない」。そうですね。確かに違います。ただ、英雄は最初から英雄だったわけではありません。冒険をして、困難を乗り越えて、結果として英雄になったんです。最初から英雄然としていたわけではありません。
英雄でもなんでもない人は、神から旅立ちなさいと呼びかけられ、「待ってました!」とならないのが普通です。「なんか大変そうだからやだな」の方がありそうなリアクションです。
そんな一見すると「普通の人」「一般人」が、結局は旅立つ理由は何か。
キャンベルは、「超自然的な存在が手助けをしてくれるから」と説明しています。神が旅立ちなさいと言ったあと、妖精とか女神とか、人間とは違う存在が助言をしたり、背中を押してくれたりするわけです。
ただし!
妖精とか女神と言いましたが、その姿は、「貧しい老人」や「老婆」や「意地悪な存在」だったりします。ここが大事だと思いませんか?
>⑦
(pyanko)
>⑧
(梅本龍夫)
「超自然的な存在の手助け」が何となくわかるかどうか。これが「旅立ち」ができるかどうかの分かれ道になります。だから、pyankoさんは「英雄」の資質、ありますね。
英雄は、強いとか、勇敢だとか、大きな責任を背負える器の大きさがあるとか、志が高く無私の心で他者のために働けるとか―いろいろとりっぱなイメージがあるかもしれませんが、実際に英雄の旅を始める人は、そんな感じではなく、もっと普通です。
ただ、「旅立ち」のためには、通常よりも少し鋭い感性というか、感受性というか、ある種の感度が必要になります。感覚が鈍っていると、「超自然的な存在の手助け」を見過ごしたり、聞き逃したり、無視したりします。
でも、この感度というのが、なかなかクセモノです。
誰が見ても明らかな客観的証拠のようなものがあれば、良いのですが、キャンベルが例示するように、「超自然的な存在の手助け」が、「貧しい老人」や「老婆」や「意地悪な存在」だと、普通は「それ」と気づきません。
自分のセンサー(感度計)にひっかかった存在を、人間は自己流に「解釈」します。たいがいは、「無視していい存在」、「自分にとって大事じゃないこと」、といった形で。
でも、まれに別の「解釈」が浮かびます。「これって何か意味があるかも」、「面白いな」、「もっと知りたい」。好奇心と探究心の対象になったとき、何かが動き始めます。
自分のセンサーが自己流の「解釈」をし、それが眠っていた好奇心や探究心を刺激する。「たいへんそうでいやだな」と逡巡する感覚はずっとあるのに、その奥にもっとポジティブな何かがほのかに見えてきます。そのとき、自分が何かの「主人公」だというかすかな感覚が芽生えるのです。
「旅立ち」とは、「自分の物語が動き出す」こと―。
ところで、secoさんは、「個人的に物語を現実の感覚に引き込めない自分がいます。人生は物語の連続なんでしょうが、物語ってけっこうきつい。だから物語は・・・空想かな」と言っいましたね。そういうあなたこそ、実はけっこう「英雄っぽい」のかもしれません。「旅」のたいへんさを自覚できる感度が、英雄の器を作っていくからです。意外ですか?
>⑨
(seco)
意外ではないですよ。頑張れば英雄になれるのでしょう・・おそらく。結果的に英雄になる、というのはわかります。
でも、英雄のようにたくさんの試練を乗り越え、多くの人に助けをいただき・・・(意地悪だろうがなんだろうが)そんな大変なことからは逃げたいので、英雄は他の誰かで良いと思っています。
「旅」の大変さを自覚できるからこそ、英雄にはならなくていいと思える。「旅」の大変さを自覚できない純粋無垢な人が、英雄への道を歩める気がします。
だから、誰でも英雄というのは違うはず。
>⑩
(梅本龍夫)
「アラビアン・ナイト」に、ペルシア王シャリーマンの一人息子で若き美貌の皇太子ザマンが、王妃を娶(めと)らねばならぬ、という父王の再三の提言、要請、勧告、そして最後通達までことごとく拒絶する話が出てきます。
ザマン王子は、たくさんの詩人の韻文を引いて、結婚がいかに愚かかを語り、「されば父上、夫婦(めおと)の生活なぞは、たとえ死の杯を賜ろうともわたしとしては承服いたしかねる問題にございます」と結びました。
シャリーマン王は、王子の言葉を聞いて、目の前が真っ暗になり、ひどく嘆き悲しみました。
―(引用:ジョーゼフ・キャンベル著『千の顔を持つ英雄』上巻84頁)
>⑪
(pyanko)
サマン王子が、結婚したかどうか、すごく気になります。
>⑫
(梅本龍夫)
ザマン王子の運命はすごく気になりますよね。この物語がどう展開するかは後でまた見ていきます。