【対談形式ストーリーボード】
― 目次 ―
No.1―「物語って何?」
No.2―「探究」
No.3―「旅立ち」
No.4―「手助け」
No.5―「通過儀礼」
「物語」でビジネスも人生もうまくいく?
No.6―「ライフ・シナリオ」
(梅本龍夫)
pyankoさん、secoさん、「通過儀礼編」、お疲れ様でした。
実は、「通過儀礼」というテーマは、まだまだ続きます(^^;)
でも、なんでも「通過儀礼」という感覚になるのも、ちょっと行き過ぎになるので、テーマをシフトアップします。次は「ライフ・シナリオ」です。
「物語法」は、自分の過去を振り返る「ライフストーリー編」と自分の未来を想定する「ライフシナリオ編」から成り立ちます。「ライフストーリー」は簡単に言えば自分史です。ここでは、「自分にとっての通過儀礼」を確認する作業が大事。
これに対して「ライフシナリオ」は、自分のこれからの人生の節目を計画する作業になります。そこで、まずは一般論でいいのですが、人生、いくつぐらいに時のどんな「通過儀礼」があったらいいか、一緒に考えたいと思います。
ちなみに私は、自分の経験も含めて、「15歳」「25歳」「35歳」「45歳」「55歳」と10年刻みの「通過儀礼」があるのではないか(あるといいのではないか)と感じています。
pyankoさん、secoさん、の感覚も聞きせてくれますか?
(大ラフの感覚でいいです―)
ちなみに、「通過儀礼」というと「成長するための試練」ということになりますが、同時に、No.2―「探究」で見た「宝探し」とセットのものなんです。つらいだけでなく、得るものも大きいのが「通過儀礼」です。
宝箱を見つけた英雄は何を得るのか (ASHINARIA)
>①
(pyanko)
せっかくなので、私の半生を簡単に振り返ってみました!意外と年齢で覚えていないもので、年表を書いたりしてみました。
すると、私の場合、18歳、23歳、37歳の時が「通過儀礼」だったのでは、と思います。というか最後の「通過儀礼」は、まだ終わっていない気もします(^_^;)
とすると、周期というものは、ないのかもしれません。また、後のふたつは、病気による影響が大きいので、それも「通過儀礼」と言っていいのでしょうか?
>②
(梅本龍夫)
pyankoさん、年表を作って半生を振り返ったんですね。素晴らしい。
実は年表づくりは、「ライフ・ストーリー」の基本なんです。入学したとか、就職した、結婚したといった客観的事実を書く欄と、内面的に考えたり、悩んだり、目標としたりしていたことを書く欄をつくります。「
客観年表」と「
主観年表」ですね。
そして、この年表に2つの「
線」を入れます。5段階評価ぐらいで、折れ線というか曲線を描きます。
- 1つは「客観年表」の自己評価です。目標の学校に入学できたのなら「5」で受験失敗なら「1」という具合。
- もう1つは「主観年表」に対して自分の気持ち(元気度、前向きさ、志の高さや情熱など)を思い出して棚卸しします。こちらも5段階評価ぐらいで。
やってみると、「客観年表」と「主観年表」はかならずしも一致しなくて、世間的な成功・失敗や順調・波乱の評価軸と、個人の内面や私生活のことは別だったりします
。一般に、「主観年表」の自己評価の線が低い時は「通過儀礼」の要素が強いと思います。
人生の日時計 (ASHINARI)さて、
pyankoさんは、18歳、23歳、37歳の時が「通過儀礼」だったということですが、内容を聞かずに勝手の想定すると、これは15歳、25歳、35歳のバリエーションともいえそうです。
pyankoさん、どうでしょうか?(何がそれぞれの年の通過儀礼の典型的な課題かをまだ話していませんが・・・)
そもそも、社会や家族などが決まったスケジュールで「通過儀礼」を用意することが少ない現代では、自分の生き方の中で「通過儀礼」が作られていきますから、数も時期も様々になります。そんな中で、ある周期があるような気がする、というのが「物語法」の仮説です。
そして、「
病気」ですが、これは「通過儀礼」の典型的なテーマです。大病して人生観が変わったり、人生の進路が変わったという人はたくさんいます。病気は理不尽で辛く苦しいものですが、病気を通して人は大切な「
宝」を発見したり、人間的に成長したりします。
ちょっとした病気でも、自分が健康なときいかに恵まれ、幸せだったかを知ることはあります。私も最近も、気管支炎になって、しみじみ体感しました―。
>③
(seco)
17歳、22歳、32歳
私の今までのところこんな感じでしょうか・・・あんまり思い出したくないなぁ
次は40代でくるのか・・・ライフシナリオを描くのも悩ましい。重たくなってきました。
>④
(梅本龍夫)
secoさんも、内容を聞かないとわかりませんが、15歳、25歳、35歳のバリエーションかもしれないと思いました。「通過儀礼」は、「つらい、苦しい」という側面を中心にすると、重くなりますね。貴重な「宝」を得るプロセスという面をポジティブに見ることも大事です。
ところで数日前、NHKの富士山関連の番組で、登山者たちを次々とインタビューする場面を観ました。その中で、5歳の男の子を連れた両親がいました。お父さんは、甘えん坊の一人息子を鍛えるために、富士山登頂に挑戦させることにしました。
かわいく、やさしい感じの男の子は、何かあるとすぐ「抱っこ」をせがみます。お父さんは、そんな息子に「抱っこ」だけは絶対の言わないと約束させます。そして山頂めざして3人は上っていきました。
翌日、取材班の前に親子3人が下山してきました。インタビューすると、無事登頂できたとのこと。男の子は、「疲れた」「お腹がすいた」「足が痛い」と、なかなか大変だったようです。でも、最後まで「抱っこ」だけは一度も口にしませんでした。
お父さんはそんな息子の姿を見て、これでこの子も世間のどんな荒波にも出ていけると、ちょっとほっとした表情で語り、目をうるうるさせていました。私はその一部始終を観ていて、「あ、これは5歳の通過儀礼なんだ」と納得し、共感しました。
現代の「通過儀礼」は、特に小さな子供にとっては親が示してくれることが多いのだと思います。
pyankoさんもsecoさんも、小さなお子さんの親として、健やかに逞しく育ってほしいと願い、親が「通過儀礼」の場を用意することになるかもしれませんね。
「通過儀礼」は「ひとりで通過する」のが本質ですが、NHKを観て、子を思う親の深い愛情がひしひしと伝わってきて、「通過儀礼」という仕掛けは、手助けをする存在にとっても本人と同じぐらい深い体験をすることになるのかもしれないと感じました。
というわけで、「通過儀礼の最初は5歳」というのを仮説に追加したいと思います。
富士山登頂という通過儀礼 (ASHINARI)
>リボード⑤
(pyanko)
確かに5歳というのは、あるのかもしれないなぁと思いました。
もちろん自分の5歳の頃の記憶はないのですが、今、7歳の娘の親として振り返ってみると、5歳くらいに、そろそろ小学校への入学を意識するようになり、その準備を始めたように思います。
「お受験」とかは、しなかったのですが、小学校で初めて集団で勉強するというのに慣れておくために習い事に行き始めたのが、そのころです。
娘にとっては、そうやって小学校に入っていくこと自体が「通過儀礼」だったのかもしれません。とりあえず、無事に小学校になじんだ娘を見て、親として、ほっとしたばかりです。
自分の「主観年表」と「客観年表」、やってみました。私の場合、わりとふたつは、一致しているように思いました。子どもの頃ほど、親の影響もあって、一致していないようです。
15歳、25歳、35歳のバリエーションは、確かに、そうかもしれません。大きく見ると周期があるのかもしれませんね。
>リボード⑥ 「最初の記憶」
(梅本龍夫)
pyankoさん、「主観年表」と「客観年表」を比較してみてくれたのですね。一致度が高いということは、それだけ「自分中心」の人生を正直に生きている証拠かも。親や社会の基準に合わせた行動が多いと、結構両者のズレが起きます。
子どもの自我は1歳過ぎから芽生えてくると言われますが、3歳から5歳が「自我の確立期」になるのではないかと思います。大人になって、子どもの時の記憶をたどってもらうと、早い人で3歳、ふつうは5歳ぐらいからの記憶が多いようです。
つまり、親などの他者の記憶や写真などを通した間接情報ではなく、直接記憶している「自分の感覚」が始まるのが、だいたい5歳ということになりそうです。これはかなり大事なことで、「私」はこのような人間だという出発点、原点が3~5歳ぐらいで確立され、以後基本的にその軸をずっと維持することになります。
「三つ子の魂、百まで」という諺がありますが、自我というもの、あるいはアイデンティティ―(自己同一性)の基本型がこの時期に確立するとしたら、一番大事なことは、「自我の基本型が健やかであること」です。そう考えると、親の役割は本当に大事なんだなと再認識―。
pyankoさんとsecoさんの「人生最初の記憶」はいつごろ、どんな感じですか?
ちなみに私は5歳の時、海外(カナダ)に渡り、当時駐在員をしていた父に再会したときです。空港で、父の背中を追って歩いた記憶が映像として自分の中に鮮明に残っています。それからの異文化体験(といっても、それ以前の日本文化体験を記憶していないのですが・・・)は、かなり強烈な「通過儀礼」となりました。
走り出す自我 (ASHINARI)
>⑧
(seco)
5才ですね。確かに・・・
私の5歳は、引っ越しで幼稚園を転園!?しました。好きな幼稚園だったので、新しい幼稚園が嫌で、親に無理を言ってしばらく元の幼稚園に通わせてもらっていました(遠いのに)
まぁでも子供なので、しばらくすると近くが良くなって、友達もできて新しい幼稚園にも馴染めましたが。家族の中でよくないことを主張していることもわかるけど、その我儘を通したい時だったと覚えています。これ、通過儀礼でしょうか・・・
親が用意してくれた通過儀礼って、その富士山の子のようにけっこうありますね。
一人でおつかいとか、お泊り会とか、兄弟が産まれるとか、受験とか。
人生最初の記憶は、弟が産まれた時、祖母の家に1ヶ月くらい預けられた(自ら行った)記憶です。淋しかったのと、気を使ってちやほやしてくれる祖母と、覚えています。
>⑨ 10年サイクルの人生
(梅本龍夫)
5歳の時のsecoさんの逸話を聞くと、こりゃ「通過儀礼」だぞ、と感じます。それまでは、もっぱら親の庇護を大前提にしていたのに、支援と庇護を失い孤立するかもしれないのに幼稚園を変わらない・・・「通過儀礼はひとりで通り抜けるもの」の典型ですね。
それ以前に、弟さんが生まれた時の話は何歳?「自ら親元を離れる決心をした」ということ?「ひとり立ちの通過儀礼」(元服や成人式)の原型のような体験ですね。
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さて、このストーリーボードは「ライフ・シナリオ」なので、過去を振り返る「ライフ・ストーリー」から未来に意識をシフトしないと。ファシリテーターがふらふらしていてスミマセン。
人生が、だいたい10年サイクルで回っているというのが、「物語法」における仮説です。それが5歳、15歳、25歳、35歳、45歳、55歳、65歳、75歳…という節目となって表れると考えています。
- 5歳の通過儀礼: 自我の確立。自分という感覚を記憶に定着させる時期。魂の個性が明確になると言う意味で、とても大切。
- 15歳の通過儀礼: 思春期。個人的には、ここで「成人式」(元服のような威厳のあるもの)をやるべきと思います。「イジメ問題」を解決するひとつの視点は、子供たちを学校という閉鎖空間から解放することがあります。世界は広く、自分の人生のミッションは大きい。そんな自覚と実感を持てる儀式が必要だと思います。
- 25歳の通過儀礼: 社会人になり、勤めはじめて数年(ひとによっては10年ぐらい)。見習いや修行の期間を終え、社会的責任をどこでどうやって負っていくかを見極めるタイミングです。最近はここで転職する人が多いですが、「安易な行動」は要注意。
- 35歳の通過儀礼: 社会で「一人前」になっていなければならないぎりぎりのタイミング。アマチュアからプロフェッショナルに転じる「通過儀礼」の時です。
- 45歳の通過儀礼: 人生の前半に終止符を打つ時。前半生に「送葬の通過儀礼」をし、後半生の「出立の通過儀礼」をすべき時。でも現代人でこれを自覚している人はわずか。
- 55歳の通過儀礼: 狭い専門性や経験領域を前提としたプロフェッショナルを卒業する「通過儀礼」。残りの人生で何ができるか、何をしたいか。この「通過儀礼」を社会が前向きに用意できれば、日本は「量的な成長」(普通の経済成長)に頼らない「質的な成長」ができる社会になれるかも。
- 65歳の通過儀礼: 社会からリタイアするか、生涯現役を貫くかを問う「通過儀礼」の時。社会の「質的な成長」を下支えすることで、肉体は衰えても、精神は成長し続けることに気づく時。社会的には、団塊の世代にどのような「通過儀礼」が用意できるか、日本の将来にとって大事。
- 75歳の通過儀礼: 「長寿を祝う通過儀礼」。別名、「死出の旅の通過儀礼」。「死」はすべての終わりではないことを自覚する。最後の日まで、どきどきわくわくの探求の旅は続く。
ふぅ~これはたいへんそうだ・・・そんな感想が聞こえてきそうです。でも、人生、山あり谷ありと言いますが、「通過儀礼」をちゃんと経ていけば、山も谷も至福に満ちた道のりになるもの―。
108の煩悩、108の通過儀礼、108の至福 (ASHINARI)
>⑩
(pyanko)
私の最初の記憶も5歳ころだと思います。幼稚園の発表会や妹の生まれた日のことなど、断片的ですが、記憶に残っています。
でも、本当の記憶かどうかはわからないのですが、保育園の記憶も何シーンかあるんですよね。これは後から作られた記憶かもしれません。
確かに5歳から10年ごとの「通過儀礼」というのは、納得できるものがあります。
でも、これから先のことを、こうして考えてみると、やっぱり「たいへんそうだなぁ~」って、思ってしまいました(T_T)
『「通過儀礼」をちゃんと経ていけば、山も谷も至福に満ちた道のりになるもの』と、ちょっと救いの言葉が最後にありますが、「通過儀礼」を苦しいものでなく、楽しく充実した(?)ものにすることってできるもんなんでしょうか?
>⑪
(seco)
あ、わかりやすいですね
5歳、15歳、25歳、35歳、45歳、55歳、65歳、75歳での通過儀礼
こういう感じで通過してこれたか、通過できるか。ちょっと面白くなってきました。こういうライフシナリオを見せてくれれば、いろいろな苦難も想定内になりますね~
”ちゃんと経ていけば満ち足りたものになる”って、経なかったらどうなりますかね。まずいですかね・・・
私の「弟が生まれた通過儀礼」は3歳の時です。因みに、3歳の時ピアノかバイオリンを習うか選ぶために見に行ってピアノを選んだ記憶もあります。
>リボード⑫ 「真実の選択」
(梅本龍夫)
pyankoさんの保育園の記憶は3歳ぐらいでしょうか。後付けかもしれませんが、直接体験の記憶の可能性もあると思います。言葉をちゃんと話せるようになると、そこから「自分」というアイデンティティーを構築し、自分を「物語化」し、主人公を生きられるようなるからです。
pyankoさんもsecoさんも、下のきょうだいが生まれた体験をしているんですね。この体験はできる人とできない人がいますが、体験した人は「通過儀礼」の要素大です。もし第一子だったのなら、親を独り占めできなくなるとか、親や大人の愛情や注目が下の子に一気に移行してしまう体験などは、結構劇的な出来事だと思います。
あと、
secoさんの「ピアノとバイオリンの選択問題」も注目です。親が勝手に(一方的に)決めて子どもに与えるのではなく、選択肢を示して本人に決めさせる体験はすごく大事です。発達心理学でいう「自立心を養う」ということでもありますが、「物語法」から見ると、「通過儀礼」とは「
真実の選択」だからです。
自分にとって、バイオリンではなくてピアノが「真実」なんだと判断し選択する。そのことで、ピアノを練習しうまくなる自分という人生が始まります。逆にここでは、バイオリンが弾ける自分の可能性は捨てたのです。それが、secoさんの「人生の真実」だったんですね。
さて、
pyankoさんと
secoさんにとって、「
45歳の通過儀礼」はどんな感じになりそうでしょうか。そこのところを想定しながら、次のストーリーボードに移りたいと思います。
pyankoさんは、「
通過儀礼を苦しいものでなく、楽しく充実した(?)ものにすることってできるもんなんでしょうか?」と質問をしています。その答えを探るために、「ライフ・シナリオ」を考え、「通過儀礼」を迎えるカギとなるのが、「
聖と俗」の関係だということを見ていきます。
secoさんは、「
”ちゃんと経ていけば満ち足りたものになる”って、経なかったらどうなりますかね。まずいですかね・・・」と質問をしています。通過儀礼を避けても、不幸になるということはないと思います。ただ、挑戦をし前進する人生には、「
宝物」が用意されている。そのことを見ていくヒントが、どうも「聖と俗」なんじゃないか。そんな気がしています。
「真実の口」に手をに入れると― 『ローマの休日』 (WIKIPEDIA)
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