【対談形式ストーリーボード】
(seco)
主人公が成長していく、人間成長物語。
宝さがしなんてドキドキします。
(梅本龍夫)
「人間が成長していく物語」、「宝探し」、「大きな物語」。どれもいいなぁ…と思います。
「人間が成長していく物語」を、成長譚(せいちょうたん)と呼んだりしますが、たぶんどんな「物語」でも主人公が成長していくプロセスが含まれていると思います。
たとえばSF映画の『スターウォーズ』の主人公アナキン・スカイウォーカーは、堕落して悪の手先ダース・ベーダーとなりますが、それも彼の成長の避けて通れないプロセスだった。そのことを観客は感じ取り、共感し、涙を流す。そして、ダース・ベーダーからどうやって、元のアナキンに戻っていくのか。大きな冒険の旅が続きます。
これって何を探求しているのでしょう。人間の心の闇を探求することで、魂の光を発見する。監督のジョージ・ルーカスは、『スターウォーズ』という壮大なSFで、人間の心という無限の宇宙を描写し、探究したかったんじゃないか。そんな気がします。
そういえば、数日前、トム・クルーズ主演のSF大作『オブリビオン』を観ました。
SFって時間とか空間のスケールが自在で、「大きな物語」の舞台としてうってつけですね。ネタバレになるので内容は書けませんが、侵略者に破壊された2077年の地球に残る主人公のジャック・ハーパーが、人間の心を探求する物語だということは、言っていいと思います。
「オブリビオン」は「忘却」という意味(―この英語、知りませんでした)。記憶を消されたジャックが、波乱万丈の展開の中で次第に思い出すもの―。それは「自分は何者か」ということ。
この映画を観ると、人間を人間らしくしているものは、「記憶」だとわかります。同時に、「記憶」はすごく限定されていて、またかたよったり、ゆがんだりしている…。
そこで、人間は「完全な記憶」を取り戻すために旅立つ。それが「物語」を生む。そういう人間の心の探究テーマが見えてきます。
(梅本龍夫)
secoさんが言う「宝探し」について、もっとお聞きしたと思います。
日常生活で「宝」というと何ですか?
「宝探しの物語」の「宝」は、日常感覚の「宝」とは別のものですか?同じですか?
pyankoさんも是非、感覚を聞かせてください。
(梅本龍夫)
あれ?ふたりとも固まっちゃった??
いつものクセで難しい質問をしてしまったみたい…。
では、質問を簡単に(?)します―。
「宝探しの物語」と聞いて思い出す、小説や映画があったら、教えてください。
(あ、あれが主人公にとっての「宝」だったのかな、というもの、ありますか?)
(pyanko)
「宝探し」といえば、本当に宝探しの物語ですが、映画「グーニーズ」や「インディージョーンズ」を真っ先に思い浮かべます。
『あれが主人公にとっての「宝」だったのかな』といえば、「銀河鉄道999」です。ただでもらえる機械の体を求めて、宇宙を旅するのですが、最後には、生身の体で生きていくことを決意する。
「死があるからこそ生が輝くということ」―それを知ることが「宝」だったんじゃないかなぁって思います。
(梅本龍夫)
いろいろな例や感覚を聞かせてくれて、ありがとうございます。
pyankoさん、銀河鉄道「999」は、ただでもらえる機械の体を探す物語なんですね。知りませんでした。これを聞いて、ノーベル賞をとった山中教授のiPS細胞を思い出しました。機械の体ではないですが、万能細胞のiPSがもたらす未来は、まっさらな体に自分を創り直すぐらいのインパクトがありそう…。
SFやアニメの「空想の世界」「虚構の物語」が、実はリアルな世界の予行演習になっている面もあります。古典になるような優れた物語を読めば、これから起きることの意味を深く理解し、心の準備ができるともいえます。
(pyanko)
少しだけ「銀河鉄道999」についての補足です。
(梅本龍夫)
「銀河鉄道999」の主人公は、「機械の体」をもらうと、永遠に生きることができたのですか?
実は、世界で最初の物語と言われる『ギルガメシュ叙事詩』は、英雄ギルガメシュが「不老不死の薬草」を求める話です。人間が想像の世界にはばたき、お話を作る原点ともいえる動機に、「不老不死」「永遠の命」への憧れがあるのでしょうね。「銀河鉄道999」も、4000年ぐらい前に断片的に書き始められたらしい「ギルガメシュ叙事詩」も、テーマは同じといえるのかも。
「不老不死」「永遠の命」は、人間が求める「究極の宝」なのかもしれません。
これに対して、pyankoさんが言うように、「死があるからこそ生が輝く」―という考え方も「宝」の発見と言えます。ギルガメシュは、苦労の末に手に入れた不老不死の薬草を蛇に食べられてしまい、失意のうちに故郷に帰りました。「銀河鉄道999」は、限りある命にもっと前向きな気持ちになったのでしょうね。
現代人は果たして、「不老不死」「永遠の命」を求めているのでしょうか?
iPS細胞が切り開く未来を、人類はどう受け止め、活用していくのでしょうか?
iPSを使った現代の神話的な物語、読んでみたい気がします。
(seco)
いつの時代の物語も、宝と言えば財宝や永遠の命(不老不死)や美人のお姫様(王子様)
だったりするんでしょうけど、またそれで一件落着の物語もありますね。
壮大な物語では、日々の生活の中に宝がある、ようなことに気付け的なことが多いと思います。その辺は、物語の宝と日常感覚の宝は同じ感じがします。
でも、個人的に物語を現実の感覚に引き込めない自分がいます。人生は物語の連続なんでしょうが、物語ってけっこうきつい。
辛いとき、苦しいときが必ずあるわけで、その先にハッピーなことがあるとわかっても、落ちているときは辛くて回りが見えなくなることも多いです。エンディングがずっとずっと先の場合もあるし、主人公でいられないこともある。
だから、物語は空想・・・かな。
(梅本龍夫)
secoさんもpyankoさんも、「不老不死」「永遠の命」は、昔の人だけでなく、現代人も求める「宝」だという意見ですね。ひょっとしたら本能的な望みかもしれない。なるほど、なるほど―。
『ナショナルジオグラフィック』の2013年1月号は、125周年特別号として、「終わりなき探求の旅路」という特集を組んでいます。これを読むと、人類の一大特徴は「好奇心」「探求心」だとわかります。ドイツのマックス・ブランク進化人類学研究所の遺伝学の研究者イバンテ・ブランクの言葉が印象的です。
「これほど活発に動き回る哺乳動物はほかにいません。今いる場所でも十分生きていけるのに、境界を乗り越え、新天地を目指す。他の動物はこんなことはしません。同じ人類でも、ネアンデルタール人は10万年以上繁栄しましたが、世界各地に広がったわけではありません。ところが私たち現生人類(ホモ・サピエンス)は、たった5万年で世界中に広がりました。ある意味、尋常ではありませんよ。何が待ち受けているかわからないのに大海原へ船を進め、さらに火星にまで行こうという勢いです。私たちは決して立ち止まらない。これは、なぜでしょう?」
pyankoさんの紹介してくれた「植物になった人間」の寓話は興味深いです。ただ、人間は飢餓がなくなり、満たされたら動かなくなるのか。それとも、「好奇心」と「探求心」に突き動かされて宇宙にまで飛び出していくのか。ナショナルジオグラフィックの記事には、人間には「探求者の遺伝子」が組み込まれていると示唆しています。好奇心に満ち、落ち着きのない遺伝子の影響で、人間は飢餓を克服しても、冒険の旅をやめそうにないですね。
secoさんは、「子どもの眼差しのように視界が広がり、子どもの感覚のように体が生き生きとしていられるなら、やっぱり素晴らしい未来だと思います」と書いていますが、ナショジオの記事によると、まさにこれがポイントのようです。
「人間の赤ん坊は、ゴリラやチンパンジーより1年半も早く乳離れして、そこから長い年月をかけて、ゆっくり大人になっていく。私たち人間だけが、長い子ども時代を安全な親のもとで過ごし、思いきり遊びながら、探求が与えてくれる見返りについて学ぶのだ」
「子どもは遊びを繰り返しながら、さまざまな状況や可能性に挑む、探求者の資質を育んでいく。探求に適した脳が形成され、認知機能が培われるのは子ども時代なのだ。そうして蓄積があり、注意を払えば、大人になってからも新たな挑戦の可能性を見いだせる」
人間はなぜ、「永遠の命」に憧れるのでしょうか。赤ちゃんや小さな子どもの輝く純粋な瞳に秘密がある気がします。赤ちゃんは、目の前の現実に触れ、思い切り遊ぶ。いろいろなことを想像し、楽しむ。疑問が次々と浮かび、問い掛ける。答えを求めて、世界中を探求し、やがて宇宙にまで飛び出していく。赤ちゃんの好奇心と想像力、探求心と行動力が、私たちを「宝探しの旅」に引っ張り出しているのだと思います。
>⑪
(seco)
赤ちゃん・・・
すごい好奇心ですよね。
欲求のままに好きなことを好きなだけ感じるままに動く姿は、
もう、すごい
の一言です。
食卓をぐちゃぐちゃにされても洗濯物をバラバラにされても、
ちょっと待てよ、、このひっちゃかめっちゃかが実は正しいのでは?
と思ってしまう自分がどこかにいるくらい
赤ちゃんのすることは憎めない、許せる
で、宝探しですが
えっと、どうなったんですか?
宝が見つからないと、旅には出られませんが
永遠の命はいらないなぁ
>⑫
(pyanko)
人間が「永遠の命」に憧れるのは、
ヒトが、本来、インフォメーション・シーカーというのもあると思いますが、
一方で、死への恐怖の裏返しではないかとも思います。
>⑬
(梅本龍夫)
secoさん、物語に関する「まじめな雑談」、いろいろなところに話が飛びつつも、何となく前に進んでいますよ~
「物語」は、人間の好奇心や探求心を想像の世界で満たしてくれるもので、そこで探求したいものはいろいろありますが、どうも「宝探し」をしたいという大きな欲求が人間にはあるらしい。日常生活では、「宝探し」を諦めた人でも、物語の中ではわくわくしながら、「宝探し」を追体験できる。物語の面白さ、醍醐味は、そこにあるのかも。
ところが「宝って何?」と問いかけてみると、どうもよくわからない。わからないけれど、大昔から人間は、「不老不死」「永遠の命」こそ「究極の宝」と思い込んできたようだ、と気付く。現代人も同じらしい。
でも、pyankoんが言うように、それはひょっとすると、「死への恐怖」の裏返しなのかもしれない。「不老不死」「永遠の命」を本当に得てしまったら、人間はどう生きていいのかわからないのでは―。
だからでしょうか、secoさんは、「永遠の命はいらないなぁ」と言っています。長生きはしんどい。ましていつまでも続く人生なんて。大変なことがいっぱいあるのに、なんでそれを「宝」と思うのだろう?
実は、この感覚こそ、「物語の始まり」なんじゃないかと思います。
つづきは、新しいストーリーボードで。