2013.06.18 tue

「物語」でビジネスも人生もうまくいく? No.2―「探究」

「物語」でビジネスも人生もうまくいく? No.2―「探究」


【対談形式ストーリーボード】


「物語」でビジネスも人生もうまくいく?
 
No.2―「探究」


(梅本龍夫)
「物語」で探究したいテーマは何ですか?
わくわくドキドキするのはどんな内容?



(seco)
主人公が成長していく、人間成長物語。
宝さがしなんてドキドキします。


(pyanko)
「物語」で探究したいテーマは、なんだろう。真理といったら大げさでしょうか(^_^;)
 
わくわくドキドキするのは、やっぱり時間的にも空間的にも、でっかいものでしょうか。宇宙の果てまで旅をするとか、歴史物語とか、やっぱり自分が体験できないおっきな話にすごく惹かれるような気がします。



(梅本龍夫)

「人間が成長していく物語」、「宝探し」、「大きな物語」。どれもいいなぁ…と思います。

「人間が成長していく物語」を、成長譚(せいちょうたん)と呼んだりしますが、たぶんどんな「物語」でも主人公が成長していくプロセスが含まれていると思います。

たとえばSF映画の『スターウォーズ』の主人公アナキン・スカイウォーカーは、堕落して悪の手先ダース・ベーダーとなりますが、それも彼の成長の避けて通れないプロセスだった。そのことを観客は感じ取り、共感し、涙を流す。そして、ダース・ベーダーからどうやって、元のアナキンに戻っていくのか。大きな冒険の旅が続きます。

これって何を探求しているのでしょう。人間の心の闇を探求することで、魂の光を発見する。監督のジョージ・ルーカスは、『スターウォーズ』という壮大なSFで、人間の心という無限の宇宙を描写し、探究したかったんじゃないか。そんな気がします。

そういえば、数日前、トム・クルーズ主演のSF大作『オブリビオン』を観ました。

SFって時間とか空間のスケールが自在で、「大きな物語」の舞台としてうってつけですね。ネタバレになるので内容は書けませんが、侵略者に破壊された2077年の地球に残る主人公のジャック・ハーパーが、人間の心を探求する物語だということは、言っていいと思います。

「オブリビオン」は「忘却」という意味(―この英語、知りませんでした)。記憶を消されたジャックが、波乱万丈の展開の中で次第に思い出すもの―。それは「自分は何者か」ということ。

この映画を観ると、人間を人間らしくしているものは、「記憶」だとわかります。同時に、「記憶」はすごく限定されていて、またかたよったり、ゆがんだりしている…。

そこで、人間は「完全な記憶」を取り戻すために旅立つ。それが「物語」を生む。そういう人間の心の探究テーマが見えてきます。
 



(梅本龍夫)
secoさんが言う「宝探し」について、もっとお聞きしたと思います。

日常生活で「宝」というと何ですか?
「宝探しの物語」の「宝」は、日常感覚の「宝」とは別のものですか?同じですか?

pyankoさんも是非、感覚を聞かせてください。
 



(梅本龍夫)
あれ?ふたりとも固まっちゃった??
いつものクセで難しい質問をしてしまったみたい…。

では、質問を簡単に(?)します―。

「宝探しの物語」と聞いて思い出す、小説や映画があったら、教えてください。
(あ、あれが主人公にとっての「宝」だったのかな、というもの、ありますか?)
 



(pyanko)
「宝探し」といえば、本当に宝探しの物語ですが、映画「グーニーズ」や「インディージョーンズ」を真っ先に思い浮かべます。


『あれが主人公にとっての「宝」だったのかな』といえば、「銀河鉄道999」です。ただでもらえる機械の体を求めて、宇宙を旅するのですが、最後には、生身の体で生きていくことを決意する。

「死があるからこそ生が輝くということ」―それを知ることが「宝」だったんじゃないかなぁって思います。
 



(梅本龍夫)
いろいろな例や感覚を聞かせてくれて、ありがとうございます。

pyankoさん、銀河鉄道「999」は、ただでもらえる機械の体を探す物語なんですね。知りませんでした。これを聞いて、ノーベル賞をとった山中教授のiPS細胞を思い出しました。機械の体ではないですが、万能細胞のiPSがもたらす未来は、まっさらな体に自分を創り直すぐらいのインパクトがありそう…。

SFやアニメの「空想の世界」「虚構の物語」が、実はリアルな世界の予行演習になっている面もあります。古典になるような優れた物語を読めば、これから起きることの意味を深く理解し、心の準備ができるともいえます。
 



(pyanko)
少しだけ「銀河鉄道999」についての補足です。

ちょっと表現がまずかったようで、機械の体は終点アンドロメダまで行くと、もらえることはわかっていました。それをもらいに行くために冒険をしていくというストーリーです。「ただでもらえる機械の体を探す」という表現が、ちょっとひっかかったので(>_<)
 
iPS細胞の話は、確かに999とリンクしました。

この技術が進むと1000年も生きられる可能性があるということを知ったとき、真っ先に思い浮かんだのが999です。1000年生きる世界を想像した時、今の世界観、人生観とは、まったく違うものが生まれてくるんだろうな、と。一方で、そこまでして「永遠の命」を求める人のさがを想い、それを良いととらえるのか、悪いとらえるのか・・・
 
古典になるような優れた物語・・・攻殻機動隊を真っ先に思い浮かべました。こちらも機械の体の話です。999とちがって、非常にリアリスティックですが。高度に発達したネットワーク社会を考える良いヒントになりますし、当時、現在のIT社会にむけた予行演習になっていたと思います。



(梅本龍夫)
「銀河鉄道999」の主人公は、「機械の体」をもらうと、永遠に生きることができたのですか?

実は、世界で最初の物語と言われる『ギルガメシュ叙事詩』は、英雄ギルガメシュが「不老不死の薬草」を求める話です。人間が想像の世界にはばたき、お話を作る原点ともいえる動機に、「不老不死」「永遠の命」への憧れがあるのでしょうね。「銀河鉄道999」も、4000年ぐらい前に断片的に書き始められたらしい「ギルガメシュ叙事詩」も、テーマは同じといえるのかも。

「不老不死」「永遠の命」は、人間が求める「究極の宝」なのかもしれません。

これに対して、pyankoさんが言うように、「死があるからこそ生が輝く」―という考え方も「宝」の発見と言えます。ギルガメシュは、苦労の末に手に入れた不老不死の薬草を蛇に食べられてしまい、失意のうちに故郷に帰りました。「銀河鉄道999」は、限りある命にもっと前向きな気持ちになったのでしょうね。

現代人は果たして、「不老不死」「永遠の命」を求めているのでしょうか?
iPS細胞が切り開く未来を、人類はどう受け止め、活用していくのでしょうか?
iPSを使った現代の神話的な物語、読んでみたい気がします。

 



(seco)
いつの時代の物語も、宝と言えば財宝や永遠の命(不老不死)や美人のお姫様(王子様)
だったりするんでしょうけど、またそれで一件落着の物語もありますね。

壮大な物語では、日々の生活の中に宝がある、ようなことに気付け的なことが多いと思います。その辺は、物語の宝と日常感覚の宝は同じ感じがします。

でも、個人的に物語を現実の感覚に引き込めない自分がいます。人生は物語の連続なんでしょうが、物語ってけっこうきつい。

辛いとき、苦しいときが必ずあるわけで、その先にハッピーなことがあるとわかっても、落ちているときは辛くて回りが見えなくなることも多いです。エンディングがずっとずっと先の場合もあるし、主人公でいられないこともある。

だから、物語は空想・・・かな。

 

>現代人は果たして、「不老不死」「永遠の命」を求めているのでしょうか?

求めている人はいると思います・・・

>iPS細胞が切り開く未来を、人類はどう受け止め、活用していくのでしょうか?

健康でお金があって孤独ではなくて地位も名誉もあって、という場合、長く生きたい、永遠の命が欲しいと切望するような気がします。

iPS細胞は、健康に長生きできるツールであるので現代の宝の一つでは?

子どもの眼差しのように視界が広がり、子どもの感覚のように体が生き生きとしていられるなら、やっぱり素晴らしい未来だと思います。

でも、どんなに医療が進化しても、精神的なものに満足感を見いだせないと宝探しは終わらない気がするので、宝探しの宝は人それぞれなんでしょうね。




(pyanko)
「銀河鉄道999」では、機械の体を手に入れると永遠に生きられるようになるという設定でした。
ただ、その機械の体は、非常に高価で、一部の貴族のような人しか持つことができず、ものすごい貧富の差の中で、生身の人間は、奴隷のようにしいたげられ、殺されていくという、そういう世界でのお話です。
 
現代人も、いや、昔の人だって「不老不死」「永遠の命」を求めているのだと思います。「不老不死」「永遠の命」は、人本来の本能的な望みなのかもしれません。
 
 
それが可能であればどんな技術でも実現せずにはいられない、もう一つの人間の本能が、iPS細胞によって、これまでとは、まったく違った長寿、そして、「不老不死」「永遠の命」まで、手が届くところに来たというのは、すごいことだと思います。
 
そうすると、死を肯定する生き方すら、不老不死が不可能な現実の中で、自分を納得させるためのものにすぎなかったのかもしれないと思うようになりました。
 
実際に、iPS細胞やその後の技術によって、本当に不老不死が実現可能な世の中になった時、どちらを「宝」として選択するのか、非常に興味深いです。
 
正直、「1000年生きられる人生」、「永遠に続く人生」が実現した時のことは、想像ができません。ただ、「銀河鉄道999」の世界のように、それが一部の人達だけに与えられる光明だとすれば、その世界が歪んだものになるのではないかという危惧も浮かんできます。
 
でも、人類が火を使えることになったことにすらたとえられるiPS細胞。使えるようになる、そして、使いこなすことが、人類の大きな発展につながることを、やはり期待してしまいます。一方で、人類が手に入れながらも、もてあましている火、原子力のように、それが滅びの道への一歩なのかもしれません。
 
この話題を考えている時に、ネットの中を流れている文章を思い出しました。
 
『ある科学者が食べ物がなくても太陽の光だけで生きていける薬を開発した。
 
その後世界中の飢餓はすべてなくなったが、何もしなくても生きていけるので人々は働かなくなってしまった。ついにはみな動こうともせずただひたすら太陽を見ているだけとなり、次第に体の機能もそれに合わせて退化していった。
 
何億年もたって、それを僕たちは植物と呼ぶようになった。』



(梅本龍夫)
secoさんもpyankoさんも、「不老不死」「永遠の命」は、昔の人だけでなく、現代人も求める「宝」だという意見ですね。ひょっとしたら本能的な望みかもしれない。なるほど、なるほど―。
 
『ナショナルジオグラフィック』の2013年1月号は、125周年特別号として、「終わりなき探求の旅路」という特集を組んでいます。これを読むと、人類の一大特徴は「好奇心」「探求心」だとわかります。ドイツのマックス・ブランク進化人類学研究所の遺伝学の研究者イバンテ・ブランクの言葉が印象的です。
 

「これほど活発に動き回る哺乳動物はほかにいません。今いる場所でも十分生きていけるのに、境界を乗り越え、新天地を目指す。他の動物はこんなことはしません。同じ人類でも、ネアンデルタール人は10万年以上繁栄しましたが、世界各地に広がったわけではありません。ところが私たち現生人類(ホモ・サピエンス)は、たった5万年で世界中に広がりました。ある意味、尋常ではありませんよ。何が待ち受けているかわからないのに大海原へ船を進め、さらに火星にまで行こうという勢いです。私たちは決して立ち止まらない。これは、なぜでしょう?」

 
pyankoさんの紹介してくれた「植物になった人間」の寓話は興味深いです。ただ、人間は飢餓がなくなり、満たされたら動かなくなるのか。それとも、「好奇心」と「探求心」に突き動かされて宇宙にまで飛び出していくのか。ナショナルジオグラフィックの記事には、人間には「探求者の遺伝子」が組み込まれていると示唆しています。好奇心に満ち、落ち着きのない遺伝子の影響で、人間は飢餓を克服しても、冒険の旅をやめそうにないですね。
 
secoさんは、子どもの眼差しのように視界が広がり、子どもの感覚のように体が生き生きとしていられるなら、やっぱり素晴らしい未来だと思います」と書いていますが、ナショジオの記事によると、まさにこれがポイントのようです。
 

「人間の赤ん坊は、ゴリラやチンパンジーより1年半も早く乳離れして、そこから長い年月をかけて、ゆっくり大人になっていく。私たち人間だけが、長い子ども時代を安全な親のもとで過ごし、思いきり遊びながら、探求が与えてくれる見返りについて学ぶのだ」

「子どもは遊びを繰り返しながら、さまざまな状況や可能性に挑む、探求者の資質を育んでいく。探求に適した脳が形成され、認知機能が培われるのは子ども時代なのだ。そうして蓄積があり、注意を払えば、大人になってからも新たな挑戦の可能性を見いだせる」

 
人間はなぜ、「永遠の命」に憧れるのでしょうか。赤ちゃんや小さな子どもの輝く純粋な瞳に秘密がある気がします。赤ちゃんは、目の前の現実に触れ、思い切り遊ぶ。いろいろなことを想像し、楽しむ。疑問が次々と浮かび、問い掛ける。答えを求めて、世界中を探求し、やがて宇宙にまで飛び出していく。赤ちゃんの好奇心と想像力、探求心と行動力が、私たちを「宝探しの旅」に引っ張り出しているのだと思います。
 


>⑪

(seco)
赤ちゃん・・・
すごい好奇心ですよね。
欲求のままに好きなことを好きなだけ感じるままに動く姿は、
もう、すごい
の一言です。
食卓をぐちゃぐちゃにされても洗濯物をバラバラにされても、
ちょっと待てよ、、このひっちゃかめっちゃかが実は正しいのでは?
と思ってしまう自分がどこかにいるくらい
赤ちゃんのすることは憎めない、許せる

で、宝探しですが
えっと、どうなったんですか?
宝が見つからないと、旅には出られませんが
永遠の命はいらないなぁ

 



>⑫
(pyanko)
人間が「永遠の命」に憧れるのは、
ヒトが、本来、インフォメーション・シーカーというのもあると思いますが、
一方で、死への恐怖の裏返しではないかとも思います。

 

『何とはかなげで ひ弱な 不安定な体・・・
 わすか数百年で 長年、培いし知恵も力も無に帰る
 それが人間の言う 恐怖なんだろうか?』
ファイブスター物語 6巻
*この作品の世界の人の平均寿命は280歳という設定
 


>⑬

(梅本龍夫)
secoさん、物語に関する「まじめな雑談」、いろいろなところに話が飛びつつも、何となく前に進んでいますよ~
 
「物語」は、人間の好奇心や探求心を想像の世界で満たしてくれるもので、そこで探求したいものはいろいろありますが、どうも「宝探し」をしたいという大きな欲求が人間にはあるらしい。日常生活では、「宝探し」を諦めた人でも、物語の中ではわくわくしながら、「宝探し」を追体験できる。物語の面白さ、醍醐味は、そこにあるのかも。
 
ところが「宝って何?」と問いかけてみると、どうもよくわからない。わからないけれど、大昔から人間は、「不老不死」「永遠の命」こそ「究極の宝」と思い込んできたようだ、と気付く。現代人も同じらしい。
 
でも、pyankoんが言うように、それはひょっとすると、「死への恐怖」の裏返しなのかもしれない。「不老不死」「永遠の命」を本当に得てしまったら、人間はどう生きていいのかわからないのでは―。
 
だからでしょうか、secoさんは、「永遠の命はいらないなぁ」と言っています。長生きはしんどい。ましていつまでも続く人生なんて。大変なことがいっぱいあるのに、なんでそれを「宝」と思うのだろう?
 
実は、この感覚こそ、「物語の始まり」なんじゃないかと思います。

つづきは、新しいストーリーボードで。
 




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