【対談形式ストーリーボード】
>②
(seco)
確かに、
「受験」「入学」「卒業」「反抗期」「失恋」「初恋」「自立」「就職」「一人旅」
こんな感じ!?
最近私生活で思う通過儀礼は、
「我が子の病気・怪我」 です。
>③
(梅本龍夫)
pyankoさん、確かに「受験」は多くの人が一度は体験する大きな関門ですね。義務教育の次のステップを考えると、高校受験が大きな山になりますが、大学受験の方が話題になることは多いと思います。でも、本当はどちらが大変なのでしょうか―。
また、人によっては中学受験、小学受験、さらには幼稚園受験まで体験します。ここまで来ると、「受験」という「通過儀礼」は、本人の自覚よりも親(大人)の都合に付き合わされる部分が大きいですね。
「通過儀礼」の本質に、「ひとりで通過しなければならない」というポイントがあります。
そういう意味では、親がかり、あるいは親が主役になるような「受験」は、本末転倒かもしれません。pyankoさんの「受験」は、「通過儀礼」になりましたか?
合格祈願 (ASHINARI)
secoさんのリストは、「通過儀礼」をかなり網羅していますね。すごい。こうして並べられると、「人生、結構たいへんだな・・・」という感じがしてきます。英雄が、神様の「呼びかけ」をいったんは断る気持ちがわかるような気がします―。
そして、「我が子の病気・怪我」。ここに、secoさんの母親としての「覚悟」が見えます。子をもつ親は誰しも、我が子の無事を願います。病気をせず、怪我をせず、健康に幸せに、すくすくと育ってほしい。
育児日記 (ASHINARI)
それでも、子どもは成長の過程で、いろいろなことに遭遇します。いつかは抱かれる存在から独り立ちする存在へと成長します。子どもは子どもなりに、いくつもの小さな「通過儀礼」を経ていきます。そのとき、親は何ができるのか。
子に何があっても、かならず親である自分が守って見せる。全幅の信頼をもって見守る。そして何かあったら必ず助ける。神話の英雄にとっての「手助け」の大いなる担い手こそ、親なのだと思います。
ところでsecoさんは、いわゆる「お受験」に挑戦するつもりですか?小さなお子さんのこれから先のおけいこ事やスポーツなど、どんな感じで考えていますか?
>④
(seco)
「通過儀礼」について、「ひとりで通過しなければいけない」、というのは少し意外でした。
結果ひとりかもしれないけれど、助けてくれる人の存在が何に対してもあると思うから。ひとりで通過することは、無い気がしていました。
「成人式」については、「通過儀礼」なのか、今の時代どうでしょうか。私にとっては、ただの同窓会だった気がします。大人になること、を自覚したのは成人式ではなく、大学の入学式?初めてのアルバイト?だったような気もします。昔の「元服」のような感覚のものは、今は人によって違うと思います。
うちの子どもの「お受験」ですが、こればっかりはまだわかりません。でも、生まれて1年、だんだんbabyの生まれつきの性格もわかってきて。どんなことに向いているだろう、物事への取り組み方はどうだろう、体格はどうだろう、感性は?と眺めていると、受験させたらいいか、必要ないか、どんなおけいこ事をさせようか、見えてくるような気もします。
いつか社会に取られてしまう(社会に出ていく)我が子ですが、それまでたっぷりスキンシップをとっておこうと思います。
>⑥
(梅本龍夫)
pyankoさんもsecoさんも、子を持つ親となったことが、とても大きな「通過儀礼」になっているようですね。
新生児 (ASHINARI)
「始めて自分の子どもを見た時、この子が成長するまでは、頑張らなきゃって、責任のようなものが芽生えてきたのを覚えています」というpyankoさんの言葉、それは本当にそうだと思います。
「通過儀礼」とは大人になること、一人前になることと述べましたが、それは親などの庇護者に頼らず独り立ちし、自分のことは自分でやるという「自己責任」を負う立場に踏み出すことです。それは本当に大事な第一歩です。
でも当然のことながら、そこで終わりではありません。そこはむしろ入口であり出発点です。自分のことに責任を負えることで初めて、「他者のことにも責任を負える」ようになります。
子供を授かるということは、まさにそういうこと。なにしろ親になるということは、自分に100%依存する無垢の命を引き受けることですから。これはとてつもなく大きな「通過儀礼」なのです。
secoさんに少し軽い気持ちで「お受験」について聞きましたが、そりゃまだ確定的なことはないですよね。「でも、生まれて1年、だんだんbabyの生まれつきの性格もわかってきてどんなことに向いているだろう、物事への取り組み方はどうだろう体格はどうだろう、感性は?と眺めている」という表現に、惹きつけらました。子の成長と共に、親もまた成長していく様子が感じられたから。
ところで、「成人式」はおふたりに人気がない(?)ですね(苦笑)。これは無理もないと思います。「大人になること、一人前になること」という基本中の基本の「通過儀礼」が、現代日本ではただの集団の儀式になってしまっているのですから。
「通過儀礼」が「ひとりで通過しなければならない」のは、「孤独」や「恐怖」に耐えて、未知の世界への扉を自分の力でこじあけなければならないからです。バヌアツ共和国で行われてきた成人への通過儀礼「ナゴール」(いわゆるバンジージャンプ)などは、最もわかりやすい例だと思います。
「ナゴール」 (BUNGY JAPAN)
secoさんは「元服」に言及していました。「元服」の年齢は決まっていなかったようですが、一般には14~15歳ぐらいだったと言われます。現代の成人式は20歳と定められています。
でも、現代社会で「大人」といえる年齢って本当に20歳でしょうか?
>⑨
>⑩
>⑪
(seco)
あ~ この「物語法」でやっと報われた感じ。
世界の「成人事情」と「通過儀礼ムカつき論」わかっていただき有難うございます。「通過儀礼」は、他から与えられるものではなく、自ら選択するもの、納得です。
そうすると、きついな、苦しいな、と思った時、これは「通過儀礼」なんだと思うとちょっと楽になるかな。「通過儀礼」の中身や重さも人によって違うんだろうな、と思います。
>⑫
(梅本龍夫)
pyankoさん、secoさん、コメントありがとうございます。おふたりのコメント、心に沁みました。
ストーリーボードで「物語法」について「まじめな雑談」をしてみて、あらためて気づいたことがたくさんあります。「通過儀礼」はその大事なひとつ。3人それぞれが「世の中一般の通過儀礼」のイメージを持ちつつ、それが少しずつ「自分にとっての通過儀礼」に姿形を変えてきているのが、結構すごいことだなと感じています。
ここでちょっと提案(?)です。「物語法」は、自分の過去を振り返る「ライフストーリー編」と自分の未来を想定する「ライフシナリオ編」から成り立ちます。「ライフストーリー」は簡単に言えば自分史です。ここでは、「自分にとっての通過儀礼」を確認する作業が大事。
これに対して「ライフシナリオ」は、自分のこれからの人生の節目を計画する作業になります。そこで、まずは一般論でいいのですが、人生、いくつぐらいの時のどんな「通過儀礼」があったらいいか、一緒に考えたいと思います。
ちなみに私は、自分の経験も含めて、「15歳」「25歳」「35歳」「45歳」「55歳」と10年刻みの「通過儀礼」があるのではないか(あるといいのではないか)と感じています。おふたりの感覚も聞きたいのですが、続きは新しいストーリーボードで。
人生の果実は、何度も収穫する (ASHINARI)