2014.09.14 sun

公開対話(21)  土野繁樹  ×  梅本龍夫

公開対話(21)  土野繁樹  ×  梅本龍夫





(15) 2014.08.11


 
フランス・ドルドーニュ地方の夏は、エアコンがなくても快適とうかがっていますが、今夏の天候はいかがでしょうか。日本は猛暑に豪雨、さらに大型台風に上陸され、たいへんです。特に四国地方は長雨につづき、台風11号が上陸し、緊急事態となっています。異常気象が常態化すると、何が異常かわからなくなります。これは社会も同じでしょうか。
 
ノーベル賞作家ゴーディマーの勇気と文学 ~フランス田舎暮らし(36)~拝読しました。アパルトヘイトと戦ったノーベル賞作家のナディーン・ゴーディマーのことは知りませんでした。現代史の常識を欠き恥ずかしく思いましたが、土野さんのエッセーで知識を得ただけでなく、大いに啓発されました。
 
学生だった1970年代、日本は高度経済成長から2度のオイルショックを経て安定成長期に入り、消費社会が多様化しました。若者は社会に矛盾を感じつつも、自由を満喫し、未来への希望もありました。独立自尊の基盤は、自分自身の内側にあると思っていました。しかし世界を見渡すと、民衆が抑圧される政治状況がたくさんあることも感じていました。ソビエト連邦を中心とした共産圏、軍事独裁政権の韓国、そしてアパルトヘイト(人種隔離政策)を続けていた南アフリカ。
 
なかでもアパルトヘイトが20世紀後半の世界に現存したいたことが、信じがたかったことを思い出します。「政府は人種隔離政策を『南アフリカは、異なる文化、伝統、言語を持つ多民族国家である。アパルトヘイトは、それぞれの民族が独自に発展するためのもので、差別ではなく、分離発展を目指している』という奇妙な理屈をつけ推進していた」というエッセーの一文に、はっとさせられました。土野さんが言われるとおり、誠に奇妙な理屈であり、詭弁です。しかし、こんなことを一国の政府が堂々と主張していたわけですね。はっとしたのは、こういう思考法は、21世紀に入り、10数年が経った今も、世界中で実は繰り返し登場していることに気づかされたからです。
 
土野さんがニューズウィーク日本版編集長時代に英国のノンフィクション作家アンソニー・サンプソンと親しくつきあい、そのサンプソンを通してゴーディマーが身近な存在になった経緯は、それ自体が小説のようです。私の無知を脇に置くことになりますが、日本人はゴーディマーのことをよく知らないのではないでしょうか。それは、私たちがアパルトヘイトの存在に鈍感であったことと無関係ではないと思います。日本の戦後は、平和貢献とグローバル経済の恩恵を受けていなかった国や地域の援助を地道におこなった功績があります。しかし、南アフリカに関しては、土野さん言われるとおり、「南アフリカの最大の貿易国となるという不名誉」を歴史に刻みました。
 
未知の世界を知る最良の方法のひとつは、良き友人を媒体とすることなのですね。サンプソンやゴーディマーを通して、土野さんが描くマンデラの物語、アパルトヘイトの歴史は、人肌のぬくもりを感じるものとなりました。マンデラは、世界に救いをもたらした英傑ですが、土野さんは慎重に神格化を避け、等身大のマンデラ像を見事に描いてくださいました。
 
「長い監獄生活が彼を強情な活動家から思索的で自己規律のある世界的政治家へ変貌させた」(サンプソンの『マンデラ伝』)に続き、「サンプソンは、マンデラの印象を,昔に比べて、よりソフトでよりやさしく、以前の社交的な笑いではなく温かく、ユーモラスな笑顔の人になっていたという」とサンプソンの言葉を直接耳にした土野さんの言葉を読むことで、マンデラの偉大な素顔が見えました。
 
そして、エッセー終盤のマンデラとゴーディマーの逸話。
 
「マンデラとゴーディマーは深い絆で結ばれていた。釈放直後、マンデラは最愛の妻で最も信頼する同志ウィニーに愛人がいて、彼女が殺人事件に関与したことを知る。彼は孤独だった。彼は27年ぶりに会ったゴーディマーに、まずこのことを話したというから、彼女への信頼の深さがわかる。彼女はその後も度々会い相談にのっている。マンデラは2年後にウィニーと離婚しのちにモザンビク大統領の未亡人だったグラサと再婚した」
http://lgmi.jp/detail.php?id=2234
 
マンデラの心の奥にあった深い孤独を癒したのは、無二の親友ゴーディマーであったのですね。彼女の小説を読み込まれた土野さんは、ゴーディマーを「稀代のストーリーテラー」と評されました。その人生こそ、稀代のストーリーであったことを知りました。
 
公開対話(14)では、米国のベテラン海外特派員Christian Carlが1979年の3つの出来事、「ホメイニ革命によるイスラム宗教勢力の台頭」「サッチャー革命による新市場経済の出現」「鄧小平の『4つの現代化』による中国の世界舞台への復帰」を、現代世界を動かしている震源地だと指摘していることを教えていただきました。
http://lgmi.jp/detail.php?id=2205
アパルトヘイトは廃止されましたが、自分たちにとって異質なものを隔離し排除しようとする動きは世界中にあります。ひょっとすると、アパルトヘイトは形を変えて広がっているのかもしれない。その遠因を考える上で、政治と経済のグローバル化は避けて通れないテーマです。サンプソンとゴーディマーが存命だったら、現代世界を動かす3つの震源地をどう語ったでしょうか。
 
梅本龍夫



(16) 2014.08.17


 

台風・豪雨、酷暑お見舞い申しあげます。当地は平均最高気温25℃が続き、寒い夜には暖炉の火をいれています。
 
サンプソンのおかげで今回のエッセーが書けたようなもので、彼に感謝しています。彼の名前を知ったのは、ぼくが出版社の新人社員の頃でした。当時は、20年後に親しくなるとは思ってもいませんでした。カネには縁がない人生ですが、面白い人々に出会えたのは編集者稼業のおかげです。
 
90年代のはじめ、サンプソンをロンドンのお宅に訪ねたとき「マンデラは妻のウィニーのことで、もうダメになるのではと心配したが、見事に立ち上がった」と彼は語っていました。等身大のマンデラを発見した瞬間でした。掲載した写真はサンプソンの自宅で撮られたものですが、バックの明るい絵を見て懐かしく思いました。
 
エッセーを書くにあたって、ゴーディマーの『バージャーの娘』を読みましたが、次のような場面があります。あるパーティの席で、南アフリカの保守的な白人がシガーを片手にアパルトヘイト社会の非情を無視して「自由こそ幸せの条件だ」と言うと、主人公のローザが敢然と「幸せを守る制度がないと、幸せになる可能性さえないことを知らないのか」という場面です。
 
この場面に行き当たり、自由を盾に富の偏在を許す現在の自由放任経済システムを思い起こしまた。ピケティのことを書いた余韻でしょうか。制度がないと、絵空事になる例は、日本政府の女性登用計画でしょう。第一線で活躍していた女性が出産し子育てをはじめると、保育園不足で職場復帰ができないという現実を解決しないかぎり、この計画はまったく実現性がありませんね。
 
アパルトヘイトは廃止されましたが、自分たちにとって異質なものを隔離し排除しようとする動きは世界中にあります。ひょっとすると、アパルトヘイトは形を変えて広がっているのかもしれない。
 
イスラエルのパレスチナ人の扱いは、アパルヘルトではありませんが、目に余るものがありますね。イスラエル軍のガザ地区への空爆で、連日、幼児が負傷して病院のベッドに横たわっている場面を、BBCは報道していましたが、いたたまれない気持ちになりました。
 
ニューヨーク・タイムズ紙(8月15日)に、オランダ人(弁護士・90歳)のザノリさんが、イスラエル政府に抗議して、勲章(イスラエル政府がユダヤ人をホロコストから救った外国人に感謝をこめて贈るもの)を返却した、との記事がありました。以下、抄訳です。
 
ナチス占領下の1943年、ザノリ一家は、両親が収容所送りになり孤児になった11歳のユダヤ人少年を、危険をおかして2年間アムステルダム郊外の自宅で匿った。
イスラエル軍のガザ空爆で、ザノリの姪の娘(オランダ外交官)のパレスチナ人の夫(エコノミスト)の家族6人が殺されたことに抗議して勲章を返却した。在蘭イスラエル大使への手紙には「今回の空爆による殺人は、ユダヤ人の少年を匿った勇敢な母への侮辱である」と書かれていた。
 
ハマスがいくら過激派であるにしても、イスラエルの空爆で殺されたパレススチナ市民2000人、なんの罪もない幼児まで巻き添えにするのは戦争犯罪でしょう。ホロコストを体験したユダヤ人国家が、こんな非人道的なことをするとは、哀しい歴史の皮肉ですね。
 
土野繁樹



(17) 2014.08.23


 
ドルドーニュ地方は、夏の最高気温25度ですか。日本でいうと北海道の釧路市と同じですね。釧路は隠れた避暑地として栄えていると聞きました。ドルドーニュの自然の豊かさには少々及ばないかもしれませんが、東京と釧路を往来する人のための別荘もたくさんあるそうです。
 
残念なのは、今回も異常気象の話をしなければならないことです。今度は広島です。豪雨による土砂崩れで、何十人もの方が亡くなったり行方不明になる大災害が起きました。九州や東北も、河川の氾濫などでたいへんです。2011年の東日本大震災の記憶がまだ生々しいなか、2014年の日本の夏は、再び水の苦しみの中にあります。
 
公開対話(16)拝読しました。土野さんの人生は、編集者としての醍醐味と「お金」では買えない人の縁によって色彩豊かになったのですね。まことにうらやましいです。それにしても、ゴーディマーの『バージャーの娘』の中に出てくる南アフリカの保守的な白人の言葉は実に象徴的ですね。
 
「自由こそ幸せの条件だ」
 
これは、自由のすばらしさを享受できる恵まれた立場の人の言葉であることを、主人公ローザが指摘しなければ、この人物はアパルトヘイトの現実も、何も見えないのかもしれません。
 
これで思い出したことがあります。9.11直後、ブッシュ大統領がイラク参戦をかかげ、テロとの戦いに前のめりになったとき、米国の世論は確か、8割以上がブッシュ支持でした。そのとき、TVインタビューに答えていたさまざまな世代の米国市民が異口同音に語った言葉。それが「自由を守ることがアメリカにとって一番重要なことだ」でした。
 
この映像を見て、米国人は、自国の自由が奪われそうになるとき、ちゅうちょなく他国の自由を奪うのだと知りました。それは為政者の勝手な意志ばかりではなく、アメリカという国家のコンセンサスなのでしょう。しかし、米国はかつて、「自由」と同格で、もうひとつの基本的人権を大切にしてきました。それが「平等」です。
 
たぶん、「自由」と「平等」が矛盾しないために、アメリカンドリームという希望があったのだと思います。「結果の平等」は保障されないが、「機会の平等」は誰にでもある。新しいことにチャレンジし成功をめざす「自由」は「平等」に与えられている。ところが、「新自由主義」という不思議な名前の経済政策が浸透した結果、米国はたいへんな格差社会となりました。
 
9.11後のTVインタビューに答えていた人々は、「自由」の価値を迷いなく掲げていましたが、「自由」は「平等」に支えられていたことを忘れ、今、過度な格差という逆襲を受けているように見えます。
 
8/17の東京新聞で、「格差拡大の構造警告 欧米でベストセラー『21世紀の資本論』」という2ページにわたる記事が掲載されました。すでに土野さんのエッセー「『21世紀の資本論』の衝撃 ~フランス田舎暮らし(35)~」で詳しい知識を得ていましたので、新味のある情報はありませんでしたが、週刊東洋経済の特集記事につづくもので、ピケティは日本でも脚光を浴びつつある感じです。
 
この記事に掲載された、経済評論家の山崎元氏のコメントに注目しました。
 
「世界的に格差は、政治が無視できないレベルに拡大している。問題は富の再配分についての議論が不十分なこと。資本主義は株主総会と同じで出資額に応じて投票権は増えるが、民主主義では1人1票で平等。その意味で、格差問題は民主主義が試されている。ピケティ氏の分析も参考に、再分配の仕組みについて日本も考えるべきだ」
 
フランス革命のスローガンは、「自由、平等、博愛」ですね(「博愛」は正しくは「友愛」でしょうか)。フランスでは、「自由」と「平等」のせめぎあいは、どう社会的におりあいをつけられているのでしょうか。米国よりは「平等」の地位が高いのでしょうか。「自由」と「平等」が譲り合わないとき、「博愛(友愛)」が仲裁に入る―そんな関係なのかなと、ふと想像したりします。
 
もし、これに似たスローガンが今日の日本にあったしたら、それは「自由、平等、同調」になる…そんな気がしてきました。「自由」と「平等」を宥和させるよりも、「同調」の圧力、つまり集団主義の空気でうやむやにしてしまうのかもしれない。いや、これは少しシニカルにすぎますね。私たちは戦後69年間をかけて、もっと学び、成熟してきたはず。
 
「自由、平等、調和」
これが日本らしい。私の理想です。
 
フランスから見た、土野さんのご意見を、伺いたく思います。
 
梅本龍夫



(18) 2014.08.27


 

当地は例年にない冷夏で、もう暖房を入れています。京都からはるばる来訪した息子一家が3週間滞在、昨日京都へ去りました。かりん(3歳)と悠吾(1歳)の孫と大いに交流愉快でした。

幼な子の 歩きはじめに 手を打てり
 
米国人の80%が「自由を守ることがアメリカにとっ て一番重要なことだ」と信じて、イラク戦争に突入していきましたね。マスコミもその熱に煽られブッシュの政策を支持しました。それに正面から異議を唱えたのが米国の知識人スーザン・ソンタグ女史でした。911の直後、ニューヨーカー誌に米国の単純な自由至上主義を批判し、なぜ米国は嫌われるのかを考えなければならない、と書いていたのを思い出します。イラク戦争に突入する前、当時のシラク仏大統領は「戦争に突入すると泥沼に入ると、ブッシュに膝詰談判を8回もしたのに聞き入れなかった」と言っています。フランスのアラブ世界との歴史的体験は米国よりも深いわけですから、ブッシュは謙虚に耳を傾けるべきだったと思います。
 
日本は「自由、平等、同調」というのは面白いですね。同調は長いモノには巻かれると同義でしょう。「自由、平等、調和」も味があります。ぼくは「自由、平等、人情」を提案します。日本の美徳は義理人情ですが、最近では、これが社会の絆ではなくなってきたように思います。生活保護予算の削減や母子家庭への支援の減額などは、安倍君の言う「美しい日本」を冒涜するものでしょう。これは弱い者いじめと言います。人情の国際化も大事ですね。先のエッセーで、マンデラがANCへの支援の少なさに失望したと書きましたが、日本人の人情は日本の海岸線で消えてしまう例でしょう。
 
 
ぼくは同志社大学を卒業して米国の大学に2年留学しました。そのときの教訓のひとつ(おそらく最も大事な)は、日本人であろうが米国人であろうが、義理と人情に変わりはないということでした。チベット、べトナム、エチオピアと外国留学生とも付き合いました。文化の違いによるスタイルは多少異なりますが、義理人情のわかる同輩でした。義理人情の英訳はDuty and Humanityです。英語にすると、日本人の良き伝統がより明快になるのは面白いですね。
 
フランスは「自由、平等、友愛」の元祖ですから、この言葉への思い入れは強いですね。多くの小学校と村役場の正面の壁にこれが掲げられています。「連帯」という言葉もよく使われます。友愛を行動に移すと連帯になるのでしょう。昔は日本でも労働運動や学生運動が盛んなとき、この言葉をよく耳にしましたが、最近さっぱりです。人情から連帯が生まれたのは、311の大被害へのボランティア活動だと思います。しかし、原発反対への声が過半数を超えているのに、政治的連帯をして影響力をもつにいたらないのはなぜでしょう。状況に同調するのは得意だが、状況をつくるのは不得意だからでしょうか。
 
土野繁樹



(19) 2014.08.31


 
自由の音(ね) 手の鳴る方へ たなびくは 
 
土野さんの一句に連歌のように応えようと思いましたが、力およびませんでした。お孫さん、3歳と1歳なんですね、ほんとうにかわいらしいお年頃と思います。かりんちゃんと悠吾くんがおとなになるころ、世界がもっと自由で、もっと平等で、もっと調和に満ちたところになればと願います。
 
「自由、平等、人情」は味があります。とりわけEUの国から語っていただくと、何やらグローバルな息吹も感じられてきます。最近は、義理人情ということばを聞く機会もすっかり減ってしまいました。その英語訳が、Duty & Humanityであると知り、はっとしました。
 
おっしゃるとおり、日本人の伝統的価値観はグローバルパースペクティブで語れる可能性を感じました。Humanityは、人間らしさということ。親切な気持ち、相手を思いやる心は万国共通。チベット人も、べトナム人も、エチオピア人も同じというお話には「いいね!」をスタンプしたいです。辞書を見ると、Humanityには、人類という意味もあります。わかりあえ、共感しあえるのが人間同士の素晴らしさなのでしょう、ほんとうは。
 
ところが、「日本人の人情は日本の海岸線で消えてしまう」という文学的表現に接し、今度は別の意味ではっとしました。日本人にとって、海岸線(国境)の意味を身体感覚でとらえる必要があると感じました。私たちにとって外国とは「海の向こう」であり、日本とは「海岸線から内側」なんだということ、その感覚は無意識的で強固です。人情がHumanityになるには、もう少し時間がかかりそうです。
 
土野さんは、EUという国境を消し去る連合体の中で暮らしていて、日本人の無意識的な国境感覚について、どう見ておられますか。私は、一人ひとりが個としてもっと自立し、主体とならないと、心の国境を超えるのはむつかしいのではないかと感じています。ほんとうの意味での「自由」は、自律(自分のことをコントロールできている状態)だと思います。自立はひとり立ちすることで、他者の援助なしに生きられるという意味ですが、自律はそこに個としての規範があり、りっぱに生きているということだと思います。
 
この規範は、たぶんHumanityに通じますね。人間としての普遍的価値を自覚し、他者に敬意と思いやりをもち、みなと対等に接する。堂々として卑屈でも尊大でもない。たぶん、これが本当の意味の「平等」ではないかと思います。これなら、「自由と平等」は両立しそうです。
 
ところで、「日本の海岸線」というお話で、作家の半藤一利氏が、語っている言葉を思い出しました。
 
「日本の近代史を勉強してみると、明治維新以来、日本の政治家や軍人が知恵を絞ったが、“日本の国は守れない国”だということが分かった。海岸線の長さは世界で5番目。中央に山脈が連なるので、日本の国民は逃げようのない海岸線に住んでいる。国民が勉強してその事を知れば、この国は武力で守れない国だということが分かる」
 
国境を守ることを「防衛」というのだとすれば、EUが実践していることは、国境そのものを消していくことで「防衛不要」な環境をつくろうとしているように見えます。国家の主権を維持しつつ、国境は消す。これは矛盾に見えますが、それを真剣にやり遂げようする人々は、フランス人でも、ドイツ人でもなく、「ヨーロッパ人」になろうとしているのでしょうか。
 
悲惨な世界大戦を2度も引き起こし、帝国主義でアジア、アフリカ、中東、さらには南米でもさんざんひどいことしてきた欧州の国々が、戦争はもうこりごりだと思っているように見えます。歴史的事実はちゃんと見つめるべきですが、そこに拘泥しすぎず、未来に継承すべき人類普遍のHumanityを明示することの方がもっと大事ですね。「ノーベル章作家ゴーディマーの勇気と文学 ~フランス田舎暮らし(36)~」を拝読して感じた通奏低音・・・ゴーディマーとマンデルとサンプソンをつなぐものは、Humanityであったことに気づきました。
 
少なくとも、「自分たちの領土」においては戦争を起こしたくない。国家が定める国境に変わるものが、「お互いに戦争を起こしたくない場所=自分たちの領土」というものではないか。日本から見えるEUの景色です。それはまだ、少しばかり自己中心的ですが、帝国主義tとは正反対の方法で「自分たちの領土」に含まれる国家を増やしていくという意味で、「EU(ヨーロッパ人)の人情は、国境線で消えない」のですね。
 
梅本龍夫



(20) 2014.09.04

 

 
この数日、ネズミ退治に大わらわ、毒蜂に刺されて大騒ぎ、鹿の再来襲で薔薇の芽全滅といろいろありました。しかし秋晴れが続き気分爽快です。
 
自由俳句を拝見したあと、BBCのドキュメンタリーをYOUTUBEで見ていたら面白い場面に遭遇しました。この番組は30―40年前に、BBCが第一次世界大戦をテーマに製作したものでモノクロ全26のロングシリーズです。毎晩、各40分の番組を2本見ています。
 
1914年のクリスマス休戦ご存じですか。塹壕戦で殺し合うドイツ軍と連合軍兵士が、自発的にクリスマスの日に休戦をして、互いの陣地を訪れて交流したという事件です。シリーズ③で、それを体験した英軍の元兵士がドイツ兵士と交わした会話を紹介しています。英国兵士が、戦死したドイツ兵の墓に「祖国と自由のために戦い、ここに眠る」と記されていることを知り、「ドイツが自由のためにと言うのは解せない」と言うとドイツ兵は「われわれは自由のために戦っているのだ」と答えたと語っています。そして、双方とも「神はわが味方」と信じていることを発見したと言っています。
 
神と言い 自由と言って 殺し合う
 
しかし、この自発的な敵味方の交流は、人間捨てたものではないと希望の光を感じる出来事だと思います。「Humanityは、人間らしさということ。親切な気持ち、相手を思いやる心は万国共通」の原理が極限状況の戦場で発揮されたことに感動しました。
 
Wikipedia のChristmas ceasefireというよくリサーチされた項目に10万人が参加(サッカー交流もあった)したその日のクリスマス休戦の詳細が書かれていますので、お時間があればのぞいてみてください。
 
「人間としての普遍的価値を自覚し、他者に敬意と思いやりをもち、みなと対等に接する。堂々として卑屈でも尊大でもない」個の自律、これは福沢諭吉が150年前に口を酸っぱくして言われたことですね。
 
先週の秋晴れの土曜日、この福沢ドクトリンが実践されているのを、わが村で目撃しました。5年毎にある選挙で再選された村長と執行部の就任祝賀午餐会が、村役場の庭でありました。ホストは村長で、村人約100人が参加する盛大な会で、儀式は村長のあいさつは30秒、庭の片隅の記念植樹のてっぺんに仏蘭西旗とEU旗を掲げることだけでした。席は自由で外国人の村人(英国人、イタリア人、ブラジル人など)も15人参加、わが奥方もぼくもひさしぶりに村人と愉快に歓談しました。
 
ぼくが座っていたのは前村長(28年間)のドボモンさん(86歳)と同じテーブルでした。彼はドルドーニュ地方の1000年も家系が続いている有名な貴族の末裔で、村の城主でもあります。その隣りに座って歓談しているのは、村の清掃をするナディーヌさん(40歳くらいの女性で英語をしゃべります)でした。二人はまったく平等で、自然に四方山話をしている姿をみていい光景だなと思いました。フランス革命を体験した彼らの人間関係は一皮むけています。
 
「EU という国境を消し去る連合体の中で暮らしていて、日本人の無意識的な国境感覚について、どう見ておられますか」。
 
日本はまだまだタテ社会ですね。ですから、ランキングが大好きです。国のランクもあり、個人の能力より国籍で判断しがちです。先週、フランスでも内閣改造があり、文化相に就任したのは、デジタル担当相から横滑りで文化大臣になったフレール・ペルラン(41歳)でした。彼女親は韓国人ですが、孤児となりフランス人の養子になり、フランス人になりました。彼女のことは、フランス社会のオープンさの象徴でしょう。日本の国際化は半世紀来の課題ですが、霞が関の官庁、丸の内の大企業に何人の外国人の親をもつ日本人の官僚と幹部がいるでしょうか。今回の安部内閣の顔ぶれを見ると、国際化の香りはまったくありませんね。靖国参拝急先鋒の高市総務相などを見ると、逆に排外主義の匂いがします。
 
EU圏内で戦争が起こることは考えられませんが、ウクライナ情勢の悪化を前に、EUはその対応に苦慮しています。ヨーロッパとロシアは二つの大戦を体験したのに、その教訓が生かされていない、との思い痛切です。
 
土野繁樹



(21) 2014.09.14


 
今年の日本は、9月中旬ですっかり秋の雰囲気になりました。例年は亜熱帯気候が10月初頭までつづきますので、この時期に過ごしやすくなったのはありがたいですね。ただ、雷雲が一定地域にとどまり、異常な豪雨を降らすのが「日常」になってしまったようで、なんだか日本の行く末が心配になってきます。
 
政治や社会の現象の中にも、集中豪雨があちらで起きている感じがすると言ったら、ちょっと考えすぎでしょうか。いったん自分の主義主張が固まると、その考え方に合う情報だけを集め、それとは異なる意見や事実には目を向けなくなるのが、どうも「情報化社会」の特質になってしまっています。
 
情報があふれると、人間の処理能力はパンクするので、最初からスクーリングをかけてしまうのかもしれません。情報が少なかった時代には、真実を求めて探求するのが人間の知性の特権だったのですが。
 
中には、塹壕にこもり、自分の考えや主義主張と合わない人々を「敵」とみなし、徹底攻撃する人も出てきました。なんだか戦争みたいですね。でも、土野さんから第一次世界大戦の塹壕戦の兵士たちが、ちょうど100年前の1914年のクリスマスに、休戦し交流した逸話を教えられ、驚きました。Youtubeを見ましたが、英独が共に「自由のために戦う」と言っていたことを知り、互いに驚くシーンは象徴的です。
 
「自由のために戦う」という論理は、対テロ戦争でも繰り返されています。私たちは、心の塹壕にこもってしまうと、自分たちが大事にする権利は、相手にも平等に与えられているという人間共通の基盤=Humanityが実感できなくなる気がします。
 
英独の兵士の交流は、人間同士が主義主張やネイションの境界を超えて、理解し合う可能性を実感させてくれました。悲惨な塹壕の現場で、クリスマス休戦が実現しただけでなく、双方が贈り物をもって行き交ったというのは奇跡のようです。
 
土野さんは、「日本はまだまだタテ社会ですね。ですから、ランキングが大好きです。国のランクもあり、個人の能力より国籍で判断しがちです」と言われましたが、これが今日のEUから見える日本の風景なんでしょうか。
 
文化人類学者の中根千枝さんが『タテ社会の人間関係』を出版したのは、約半世紀前の1967年ですが、今読んでもまったく色あせていません。タテ社会の秩序を維持するために、私たちは「ウチとソト」を分けます。「ウチ」という枠の中では一体感を保ちます。そして、その枠を保つために「ソト」に対しては排他的になります。
 
これで思い出したのが、朝日新聞問題です。「従軍慰安婦報道」と「吉田調書報道」で、朝日はついに社長が直接謝罪し、記事削除と第三者委員会などによる原因究明に乗り出す事態となりました。特に池上彰さんのコラム「新聞ななめ読み」の記事掲載を拒否したことは、言論空間を守護すべき新聞メディアの大失態でした。
 
EUで朝日新聞問題はどう報道されていますか。国際ジャーナリストの土野さんは、どのようにこの問題をとらえていらっしゃるか、ご教示いただければ幸いです。
 
なんでこんなことが起きたのか。ヒントとなるブログがありました。元朝日新聞編集委員の山田厚史さんが朝日の編集現場の様子を書いています。
 
  • 「朝日新聞は編集部門だけで3000人余が働く。組織は縦割りで、東京、大阪、名古屋、九州と本社が別れ、それぞれに社会部や経済部などあり、さらに分野ごと課題別に担当が細分化している。それぞれがタコツボのような縄張りがあり、よく言えば専門性が尊重され、逆の見方をすれば、部外者は立ち入れない。相互不干渉が独善を招くこともある」
  • 「朝日新聞は言論機関であるのに、私が現役の頃、編集方針をめぐる闊達な議論がないことが不思議でたまらなかった。部長会・デスク会は毎日昼夜行われるが、記事を巡って議論が戦わされることはあまりない。記者クラブごとに「出稿予定」を編集局に送り、各部のデスクが調整して編集会議にあげる。各部が記事を持ち寄って紙面ができる。部長が説明や釈明をすることはあっても、他の部長・デスクが意見を差し挟むことはまずない。議論という横串がないから他分野への関心は薄くなり、相互チェックが働かない」
(引用:DIAMOND Online 袋だたきの朝日新聞!リベラルメディアの退潮に喜ぶのは誰か http://diamond.jp/articles/-/58954
 
朝日の報道問題は、個別事象としてしっかり棚卸する必要があります。同時に、日本の典型的な組織のあり方が問われているように感じています。山田さんのブログを読むと、中根千枝さんの学説は今も有効であることがわかります。
 
日本には優れた文化特性があり、経済においても、モノづくりに典型的に表れる資質の高さが私たち社会を支え発展させてくれています。でも、どんな民族や国民にも、強みと弱みがあります。
 
私たち日本人の弱さがしばしば顕在化するのが、政治や行政の現場のような気がします。モノづくりの現場であれば、「分野ごと課題別に担当を細分化し、それぞれがタコツボのような縄張りを作る」ことがあっても、優れた仕事ができます。しかし、政治や行政は広くあまねく、平等に公正に対応していく必要があります。
 
「ウチとソト」を分けるのは、別に日本人だけではありません。ただ私たちはそれを無意識にどんな状況でも適応する傾向があることに、自覚的であるべきです。時代が移り、社会の価値観が変化しても、国民性の根っこはそう簡単には変わりません。構造的な社会心理があるから、文化伝統も守られるわけですが、それが大きな問題を再発させる原因にもなっているのが気にかかります。
 
第一次世界大戦の塹壕では、最も苛烈な形で「ウチとソト」が峻別されました。そこで、奇跡のクリスマス休戦が生まれました。でも、戦争は終わらず、ますます悲惨の状況になったのはほんとうに悲しい歴史です。
 
戦争は絶対にしない。そう覚悟する国民であり国家であってほしいです。この歯止めがあれば、戦争という究極の手段に訴えなければならないはるか手前で、「ソト」と対話、交流し、理解し合おうとするのではないでしょうか。
 
そう期待できるのは、土野さんのエッセー「仏独和解50周年 ~フランスの田舎から (5)~」のメッセージが、今でも鮮烈に記憶に残っているからなのですが。

梅本龍夫

 
 
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