梅本龍夫
(20) 2014.09.04
この数日、ネズミ退治に大わらわ、毒蜂に刺されて大騒ぎ、鹿の再来襲で薔薇の芽全滅といろいろありました。しかし秋晴れが続き気分爽快です。
自由俳句を拝見したあと、BBCのドキュメンタリーをYOUTUBEで見ていたら面白い場面に遭遇しました。この番組は30―40年前に、BBCが第一次世界大戦をテーマに製作したものでモノクロ全26のロングシリーズです。毎晩、各40分の番組を2本見ています。
1914年のクリスマス休戦ご存じですか。塹壕戦で殺し合うドイツ軍と連合軍兵士が、自発的にクリスマスの日に休戦をして、互いの陣地を訪れて交流したという事件です。シリーズ③で、それを体験した英軍の元兵士がドイツ兵士と交わした会話を紹介しています。英国兵士が、戦死したドイツ兵の墓に「祖国と自由のために戦い、ここに眠る」と記されていることを知り、「ドイツが自由のためにと言うのは解せない」と言うとドイツ兵は「われわれは自由のために戦っているのだ」と答えたと語っています。そして、双方とも「神はわが味方」と信じていることを発見したと言っています。
神と言い 自由と言って 殺し合う
しかし、この自発的な敵味方の交流は、人間捨てたものではないと希望の光を感じる出来事だと思います。「Humanityは、人間らしさということ。親切な気持ち、相手を思いやる心は万国共通」の原理が極限状況の戦場で発揮されたことに感動しました。
Wikipedia のChristmas ceasefireというよくリサーチされた項目に10万人が参加(サッカー交流もあった)したその日のクリスマス休戦の詳細が書かれていますので、お時間があればのぞいてみてください。
「人間としての普遍的価値を自覚し、他者に敬意と思いやりをもち、みなと対等に接する。堂々として卑屈でも尊大でもない」個の自律、これは福沢諭吉が150年前に口を酸っぱくして言われたことですね。
先週の秋晴れの土曜日、この福沢ドクトリンが実践されているのを、わが村で目撃しました。5年毎にある選挙で再選された村長と執行部の就任祝賀午餐会が、村役場の庭でありました。ホストは村長で、村人約100人が参加する盛大な会で、儀式は村長のあいさつは30秒、庭の片隅の記念植樹のてっぺんに仏蘭西旗とEU旗を掲げることだけでした。席は自由で外国人の村人(英国人、イタリア人、ブラジル人など)も15人参加、わが奥方もぼくもひさしぶりに村人と愉快に歓談しました。
ぼくが座っていたのは前村長(28年間)のドボモンさん(86歳)と同じテーブルでした。彼はドルドーニュ地方の1000年も家系が続いている有名な貴族の末裔で、村の城主でもあります。その隣りに座って歓談しているのは、村の清掃をするナディーヌさん(40歳くらいの女性で英語をしゃべります)でした。二人はまったく平等で、自然に四方山話をしている姿をみていい光景だなと思いました。フランス革命を体験した彼らの人間関係は一皮むけています。
「EU という国境を消し去る連合体の中で暮らしていて、日本人の無意識的な国境感覚について、どう見ておられますか」。
日本はまだまだタテ社会ですね。ですから、ランキングが大好きです。国のランクもあり、個人の能力より国籍で判断しがちです。先週、フランスでも内閣改造があり、文化相に就任したのは、デジタル担当相から横滑りで文化大臣になったフレール・ペルラン(41歳)でした。彼女親は韓国人ですが、孤児となりフランス人の養子になり、フランス人になりました。彼女のことは、フランス社会のオープンさの象徴でしょう。日本の国際化は半世紀来の課題ですが、霞が関の官庁、丸の内の大企業に何人の外国人の親をもつ日本人の官僚と幹部がいるでしょうか。今回の安部内閣の顔ぶれを見ると、国際化の香りはまったくありませんね。靖国参拝急先鋒の高市総務相などを見ると、逆に排外主義の匂いがします。
EU圏内で戦争が起こることは考えられませんが、ウクライナ情勢の悪化を前に、EUはその対応に苦慮しています。ヨーロッパとロシアは二つの大戦を体験したのに、その教訓が生かされていない、との思い痛切です。
土野繁樹
(21) 2014.09.14
今年の日本は、9月中旬ですっかり秋の雰囲気になりました。例年は亜熱帯気候が10月初頭までつづきますので、この時期に過ごしやすくなったのはありがたいですね。ただ、雷雲が一定地域にとどまり、異常な豪雨を降らすのが「日常」になってしまったようで、なんだか日本の行く末が心配になってきます。
政治や社会の現象の中にも、集中豪雨があちらで起きている感じがすると言ったら、ちょっと考えすぎでしょうか。いったん自分の主義主張が固まると、その考え方に合う情報だけを集め、それとは異なる意見や事実には目を向けなくなるのが、どうも「情報化社会」の特質になってしまっています。
情報があふれると、人間の処理能力はパンクするので、最初からスクーリングをかけてしまうのかもしれません。情報が少なかった時代には、真実を求めて探求するのが人間の知性の特権だったのですが。
中には、塹壕にこもり、自分の考えや主義主張と合わない人々を「敵」とみなし、徹底攻撃する人も出てきました。なんだか戦争みたいですね。でも、土野さんから第一次世界大戦の塹壕戦の兵士たちが、ちょうど100年前の1914年のクリスマスに、休戦し交流した逸話を教えられ、驚きました。Youtubeを見ましたが、英独が共に「自由のために戦う」と言っていたことを知り、互いに驚くシーンは象徴的です。
「自由のために戦う」という論理は、対テロ戦争でも繰り返されています。私たちは、心の塹壕にこもってしまうと、自分たちが大事にする権利は、相手にも平等に与えられているという人間共通の基盤=Humanityが実感できなくなる気がします。
英独の兵士の交流は、人間同士が主義主張やネイションの境界を超えて、理解し合う可能性を実感させてくれました。悲惨な塹壕の現場で、クリスマス休戦が実現しただけでなく、双方が贈り物をもって行き交ったというのは奇跡のようです。
土野さんは、「日本はまだまだタテ社会ですね。ですから、ランキングが大好きです。国のランクもあり、個人の能力より国籍で判断しがちです」と言われましたが、これが今日のEUから見える日本の風景なんでしょうか。
文化人類学者の中根千枝さんが『タテ社会の人間関係』を出版したのは、約半世紀前の1967年ですが、今読んでもまったく色あせていません。タテ社会の秩序を維持するために、私たちは「ウチとソト」を分けます。「ウチ」という枠の中では一体感を保ちます。そして、その枠を保つために「ソト」に対しては排他的になります。
これで思い出したのが、朝日新聞問題です。「従軍慰安婦報道」と「吉田調書報道」で、朝日はついに社長が直接謝罪し、記事削除と第三者委員会などによる原因究明に乗り出す事態となりました。特に池上彰さんのコラム「新聞ななめ読み」の記事掲載を拒否したことは、言論空間を守護すべき新聞メディアの大失態でした。
EUで朝日新聞問題はどう報道されていますか。国際ジャーナリストの土野さんは、どのようにこの問題をとらえていらっしゃるか、ご教示いただければ幸いです。
なんでこんなことが起きたのか。ヒントとなるブログがありました。元朝日新聞編集委員の山田厚史さんが朝日の編集現場の様子を書いています。
- 「朝日新聞は編集部門だけで3000人余が働く。組織は縦割りで、東京、大阪、名古屋、九州と本社が別れ、それぞれに社会部や経済部などあり、さらに分野ごと課題別に担当が細分化している。それぞれがタコツボのような縄張りがあり、よく言えば専門性が尊重され、逆の見方をすれば、部外者は立ち入れない。相互不干渉が独善を招くこともある」
- 「朝日新聞は言論機関であるのに、私が現役の頃、編集方針をめぐる闊達な議論がないことが不思議でたまらなかった。部長会・デスク会は毎日昼夜行われるが、記事を巡って議論が戦わされることはあまりない。記者クラブごとに「出稿予定」を編集局に送り、各部のデスクが調整して編集会議にあげる。各部が記事を持ち寄って紙面ができる。部長が説明や釈明をすることはあっても、他の部長・デスクが意見を差し挟むことはまずない。議論という横串がないから他分野への関心は薄くなり、相互チェックが働かない」
朝日の報道問題は、個別事象としてしっかり棚卸する必要があります。同時に、日本の典型的な組織のあり方が問われているように感じています。山田さんのブログを読むと、中根千枝さんの学説は今も有効であることがわかります。
日本には優れた文化特性があり、経済においても、モノづくりに典型的に表れる資質の高さが私たち社会を支え発展させてくれています。でも、どんな民族や国民にも、強みと弱みがあります。
私たち日本人の弱さがしばしば顕在化するのが、政治や行政の現場のような気がします。モノづくりの現場であれば、「分野ごと課題別に担当を細分化し、それぞれがタコツボのような縄張りを作る」ことがあっても、優れた仕事ができます。しかし、政治や行政は広くあまねく、平等に公正に対応していく必要があります。
「ウチとソト」を分けるのは、別に日本人だけではありません。ただ私たちはそれを無意識にどんな状況でも適応する傾向があることに、自覚的であるべきです。時代が移り、社会の価値観が変化しても、国民性の根っこはそう簡単には変わりません。構造的な社会心理があるから、文化伝統も守られるわけですが、それが大きな問題を再発させる原因にもなっているのが気にかかります。
第一次世界大戦の塹壕では、最も苛烈な形で「ウチとソト」が峻別されました。そこで、奇跡のクリスマス休戦が生まれました。でも、戦争は終わらず、ますます悲惨の状況になったのはほんとうに悲しい歴史です。
戦争は絶対にしない。そう覚悟する国民であり国家であってほしいです。この歯止めがあれば、戦争という究極の手段に訴えなければならないはるか手前で、「ソト」と対話、交流し、理解し合おうとするのではないでしょうか。
そう期待できるのは、土野さんのエッセー「仏独和解50周年 ~フランスの田舎から (5)~」のメッセージが、今でも鮮烈に記憶に残っているからなのですが。