2014.07.04 fri

『21世紀の資本論』の衝撃 ~フランス田舎暮らし(35)~

『21世紀の資本論』の衝撃 ~フランス田舎暮らし(35)~


土野繁樹
 

トマ・ピケティと『21世紀の資本論』                        Wikipedia
 
 
フランスの若き経済学者トマ・ピケティが、世界を揺るがす本『21世紀の資本論』(CAPITAL in the Twenty-First Century)を書いた。3月にハーバード大学出版から英訳版が刊行されると、たちまちアマゾンのベストセラーNO1になり、米国を中心に英語圏で45万(フランス語版は10万)も売れている。1867年に刊行されたマルクスの『資本論』はオリジナルのドイツ語版が5年かけて1000部が売れただけで、英訳版は20年後にでているから、ピケティの本の伝播スピードは21世紀現象ではある。
 
『21世紀の資本論』は富と所得の分配の不公平という、今日最も重要なテーマに取り組んだ本だ。ピケティとそのチームは、過去300年間の仏英米日独など20か国の膨大な税務データを15年かけて収集・分析し、格差の歴史的トレンドを明らかにしている。これはかつてない試みだ。データを分析したピケティは、今日、先進国では富と所得の格差が広がり「世襲資本主義」現象が起きている、このまま富の集中が続けば、1世紀前の極端な格差社会に逆戻りする、富の集中はデモクラシーの根幹を揺るがしている、と言う。そして、彼は、なぜこの不公平が起こっているかを解明し、処方箋を示している。この本をノーベル経済学賞学者ポール・クルーグマンは「素晴らしい本だ。(この本を読むと)社会を見る眼と経済学への見方が変わる」と絶賛している。
 
ピケティは一般読者向けに平明な言葉でときにユーモアを交え、小説(バルザックやジェーン・オースティン)や映画(タイタニック)を引き書いているので読みやすい。経済書ではあるが同時に歴史書だから面白く視野が広がる。富の分配をテーマにした700頁の本が、米国でベストセラーになり、国際的な話題になっている背景には、富の不平等分配への市民の苛立ちがある。これは世界的現象で、日本も例外ではない。今回のエッセーでは、この本の内容とその革新性を紹介し、最大の富の偏在国である米国に焦点を当ててみよう。
 
突然、彗星のように現れたピケティとは何者か。童顔で感じがよく、穏やかにフランス語なまりの英語をしゃべる、43歳の彼はパリ郊外のクルシーに生まれた。両親は労働者でトロツキー主義政党の活動家だったから、幼い頃から不平等への関心は高かった。18歳でエリート校パリの高等師範学校に入学し数学と経済学を専攻、22歳で博士号をとった。論文のタイトルは「富の再分配理論」だった。その後、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで学び、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)で準教授として3年間教えた。MITでの体験をピケティは「同僚が数学をツールに、狭い分野の研究ばかりしているのに、違和感があった」と言っている。不平等をテーマにしている彼は、なんのための経済学だと思ったのだろう。学生時代に、彼が最も影響を受けたのは、アナール派(新しい歴史学派)のフェルナン・ブローデル(『地中海』の著者)、リシュアン・フェーブル(『書物の出現』の著者)などの歴史学者だというからエコノミストとしての奥が深い。米国から帰国してフランス国立科学センターなどで研究を続け、現在、パリ経済学校の教授である。英語版のタイトル文字のCAPITALが赤いので、読者はマルクスの『資本論』(Das Kapital)を想起し、ピケティはマルクス主義者だと思うかもしれないが、そうではない。アンフェアーな不平等への憤りはマルクス同様に強いが、彼は社会民主主義者だ。
 
ピケティはこの本を書くにあたって世界中のエコノミストとチ―ムを組み、膨大なデータ、を集めている。クルーグマンによると、富と所得の分配についての米国のデータは、国勢調査局と連邦準備銀行の国勢調査がおもなソースで、それも1947年以降のものしかなかった。ピケティの手法の斬新性は税記録に注目してデータを集めたことにある。これだと米国の記録は1913年からあり、英国は1909年からある。フランスは18世紀までさかのぼることができる。
 
ピケティによると、いまや米国は第二のベル・エポック(良き時代)に入ったという。ベル・エポックはご存じのように、19世紀末から第一次世界大戦前までのパリが繁栄を極め、文化が爛熟した時代のことだが、富裕層にとっても‘最高に良き時代’であった。大戦前夜、フランスの最富裕層1%は国の富の60%を所 有し、英国の1%は70%を所有というから、その富の集中度は凄い。
 
ピケティが作成した1910年の所得分布表によると、当時、ヨーロッパの最富裕層トップ1%が国民総所得の20%、次の富裕層9%が30%、次の中間層40%が30%、最下層の50%が20%を所有していた。ということは、トップ10%が所得の50%を独占していたことになる。この100年前の不平等は過去のことではない。現代アメリカでも、トップ10%の富裕層が所得50%を所有しているから、歴史は繰り返している。
 
 
「ウォール街を占拠せよ」運動 2011年秋                Wikipedia

 
なぜこのような現象が起こるのか。ピケティは、その要因は資本利益率が経済成長率をつねに上回ってきたことにあるという。これまでの学説によると、成長率が鈍化すると、資本利益率も下がると思われてきたが、歴史的データを検証すると実態はそうではない、と彼は説く。米国の成長率が鈍化しはじめた80年代以降その傾向が顕著で、成長率が1-1.5%でも資本利益率は4-5%(ときに6%-7%)とギャップがあり、そのトレンドは今後も続くという。この意味するところは、低成長率の時代になると、勤労者の賃金は据え置きかわずかな上昇しか期待できないが、富裕層は潤沢な資金を運用して、不動産、株式、債券、事業投資などで稼ぐというわけだ。その結果、1%層に生産設備、金融資産、不動産などの資産が集中し、米国ではGDPの6倍にもなっている。
 
ピケティの『21世紀の資本論』は、もうひとつの通説を覆している。米国のエコノミストの多くは、これまで、ノーベル経済学賞学者サイモン・クズネットの50年代の理論「工業化の初期段階では不平等が拡大するが、経済が成熟すれば不平等は減る」との‘ハッピー・エンド’説を信じていたが、それは誤っていることを、ピケティの示すデータで知ることになる。彼が示すグラフは、第一次大戦前のトップ1%への富の集中が、二つの大戦による破壊で半減し、戦後の復興期までその状況は続いたが、1970年代以降、技術革新による経済の成熟にも関わらず、再び不平等は拡大していることを示しているからだ。

このトレンドが続くと、100年前の富と政治権力が集中する世襲資本主義の時代に逆戻りするのではないか。それなのに、この問題はあまり論議されていない。その理由をピケティは次のように言う。「富があまりに集中されているために、大多数の人々はその存在に気づいていない。彼らにとって、それは超現実的あるいは神秘の世界なのだ」

トップ1%への富の集中が、先進国のトレンドであることを示すOECDの表がある。この表は17か国を対象に1981年と2012年の比較をしているのだが、米国は30年前、トップ1%が国民総所得の8%を所有していたが、2012年には20%になっている。第二位の英国は6%から12%へ、三位のドイツは10% から12%へ、日本は8位で7%から9%へ、フランスは12位で8%と30年前とかわらず、最下位はオランダで6%、これも30年前と同じである。

これを見ると先進国で米国が最も富の集中が激しいことがわかる。ピケティの調査によると、2012年の最富裕層1%の所得は1928年以来の最高値に達しているという。以下、日常風景のなかで、不平等が拡大している例を挙げてみよう。1950年代の米国の平均的CEOの所得は一般従業員の20倍であった。しかし、今日では、フォーチュン500企業のCEOと従業員との差は平均201倍である。創業者CEOは別にして、雇われマネージャーが巨額な報酬を受けるのは異常だろう。それに、巨大企業での彼らの貢献を評価するたしかな基準はあるのだろうか。

アップル社のCEOティム・クックは、2011年に従業員の6258倍の3億8000万ドル(年俸と株式)を稼いでいるから、唖然とするしかない。オクスファム(貧困根絶のNGO)によると、世界の長者番付トップの85人(ビル・ゲーツやウォーレン・バフェットなど)の富は、世界人口の半分、最貧層の35億のそれを上回るという。これもショッキングな数字だ。

リーマン・ショック後の2009年以来、米国の企業収益が増大し、株式市場も好調だったが、賃金はほぼ据え置かれた。しかし、トップ1%は潤った。ピケティによると、1%は2010-12年の3年間の所得増部分の95%を手にいれたという。この不平等の極限とも言うべき状況を彼は、「平等主義のパイオニアの理想はもはや忘れられ、新世界はいまや21世紀の旧世界になりつつある」と言っている。
 


ベル・エポックは1%支配の時代でもあった                  出典不明

 
ピケティは日本の格差についてどう分析しているのだろう。本書には日本をテーマにした部分はないが、しばしば登場する。欧米とは歴史的、文化的背景が異なるにもかかわらず、20世紀初頭の日本の富の集中度は仏英米と同レベルだったことがわかる。新興資本主義国の日本の1%は、不平等の面で早くも欧米と肩を並べていたわけだ。現在、日本の1%は国民所得の9%を所有し、0.1%はその2.5%を所有している。この数字は米国とは比べものにならない。しかし、ピケティによると、ヨーロッパと日本のトレンドは米国が歩んだ軌道に似ていて、その時差は「10年か20年遅れ」という。今でも、ジ二係数が示すように先進国の中でも有数な格差社会である日本は、富の集中によるこれ以上の格差拡大を避けなくてはならない。

『21世紀の資本論』は米国で英訳が刊行される前から話題になり、書店にでるとすぐにベストセラーになった。経済学の本がこれほど注目されるのは異例である。しかし、この本が脚光を浴びるのは不思議でもない。‘世界一の格差社会になったこの国のシステムはどこかおかしい’と考えている多くのアメリカ人がこの本を買っているのだ。

4月、ピケティが訪米するとたちまち時の人となった。ワシントンでは、ジェイコブ・ルー財務長官と懇談、大統領経済諮問委員会との会合(オバマ大統領は不平等との戦いを優先課題にしているから、二つの会合が実現したのだろう)、IMFでの講演。ニューヨークでは二人のノーベル経済学受賞学者、クルーグマンとジョセフ・スティグリッツの招待を受け、ニューヨーク市立大学での講演と晩餐会に出席。翌日はロイターTV、CNN,MSNBC,ニューヨーク・タイムズ、ネイション誌などインタビューをこなしたあとコロンビア大学で講義。

ボストンでは、ケネディ・センターでクリントン政権の財務長官だったローレンス・サマーズ司会の講演会(サマーズは「『21世紀の資本論』は、現代の経済学の主流であるドライでテクニカルな内容ではなく、ケインズ、スミス、マルクスの政治経済学のスタイルで書かれている」「ノーベル賞に値する」と紹介)ハーバード大学とMITでの講義と、どこへいっても満席で、まるでスーパースター誕生の光景であった。ニューヨーク誌の記者が、彼がTV局のはしごをした日のルポを書いているが、その出だしは「180年前、この国を旅したアレクシ・ド・トクヴィルは、アメリカには真の平等があると書いた。しかし、今日、彼の同国人はそれとは正反対のニュースをたずさえてやってきた」とあった。


ピケティとウォーレン上院議員                    Huffington Post

 
筆者はピケティが訪米中に出演したTV番組をいくつか見たが、ハフィントン・ポストの彼とエリザベス・ウォーレン上院議員を招いたボストンでの番組が最も面白かった。生放送の会場は、250年前、アメリカ革命に火をつけた元祖ティパーティの集会場で、スポンサーも‘百万長者の愛国者’と異色だった。彼らのモットーは「この国はわれわれのマネーより重要だ」で、富裕層へもっと税金をかけろと言っているグループだ。
 
ウォーレン女史はハーバード大学の破産法の前教授で、民主党リベラル派の人気抜群の新人議員、大統領候補のひとりと目されている。中産階級の代弁者とし知られる彼女が書いた“A Fighting Chance”(まだ(庶民に)勝ち目はある)は、放映の日にベストセラーリストの第二位であった。ピケティの本が第一位だから、米国の世相を反映している。
 
二人の論点を紹介してみよう。
 
ウォーレンは舌鋒鋭く次のような内容の話をした。金持ちはどんどん豊かになるが、その他の市民は毎日の暮らしのやりくりで精いっぱいだ。大銀行、グローバル企業、富裕層は、彼らに有利な法律を次々に、弁護士とロビーストを使い議員に働きかけ作っている。その結果、富とパワーが集中する不公平な社会ができ、中産階級が没落している。ブッシュ大統領(父)は大企業や富裕層が豊かになれば、自然に川下にも富が流れていくと言ったが、現実はその逆で富は川上に吸い上げられている。その結果なにが起こっているか。将来のための最も大事な教育投資が削られている。(不平等社会は教育の機会均等を奪っている。例えばハーバードの学生の親の平均年収は45万ドルで富裕層トップ2%に属する)これを是正するための方法は、政治が介入し政策を立案・実施するしかない。厳しい戦いだが、フェアーな社会をつくるために立ち上がろうではないか。そのためにはまずは税法を書きかえる必要がある。
 
それを受けてピケティは次のように語った。不平等の拡大が世界的なトレンドだとすると、グローバルなアプローチがいる。資産への富裕税と巨額所得への累進課税が必要だ。巨額所得への課税は最大80%、富裕税は純資産100万ドルから500万ドルには1%、10億ドル以上の純資産には5%から10%の課税を提案する。しかし、それを実施するには、富裕層が実際にどれほどの資産を所有しているかのデータがいる。現段階ではそれが不透明だ。国際協力によって、タックスヘイブン(ルモンド紙によると、日本と米国のGDPを合わせた約2000兆ドルより大きい)などへ流れているマネーの実態を把握する必要がある。その上で、グロー―バル富裕税を実施する。別のインタビューで「富裕税を導入すると、経済が委縮するのではないか」との質問を受けたピケティは「最富裕層1%は、毎年4-5%、時には6-7%の利益を上げている。それに1%の税をかけて、経済のダイナミズムに影響があるとは考えられない」と答えていた。
 
保守派はそんな高税をかけると成長も競争も技術革新も止まってしまうと猛然と反対する。ピケティの提案に同意する人々でも、そんなラディカルな税の導入は、今の米国の政治状況では望みがないと言う。その悲観論にピケティは、次のように言う。現実離れの提案かもしれないが、政府の介入がないとフェアーな分配は実現できないことは、歴史が証明しているではないか。100年前に所得税のアイディアが浮上したとき、それが実現すると思った人はごく少数だった。80年前、ニューディールを掲げたルーズベルト大統領は、累進課税の最高比率を80%まで上げたではないか。5年前、スイスの銀行が顧客情報を開示すると誰も思わなかったが、米国の圧力で5年前に実現したではないか。

ピケティの予測が正しいとすると、米国の富の集中はさらに進み、世襲資本家が政治をも動かすオリガーキーになるかもしれない。その状況で、人々はアメリカの夢を見ることができるのだろうか?社会の絆である平等社会の神話は機能するのだろうか?米国は歴史的危機に直面するたびに、バランス感覚を取り戻し、軌道修正をしてカムバックしてきた。米国の友人である筆者は、この国の復元力が再び作動することを願っている。
 
さて、世界を揺るがす本を書いたピケティは今なにをしているのだろう。伴侶と3人のこどもと5週間の夏のバカンスを楽しんでいるという。大仕事のあとのビッグ・バカンスはさぞかし愉快なことだろう。

 
付記 筆者は"Le capital au XXIe siecle" Thomas Piketty著 2013刊と以下の記事をもとにエッセーを書いた。“The New Gilded Age” Paul Krugman The New York Review of Books (2014 5.8 号), . “Inegalite la revolution Piketty “ Alternatives Economiques (2014.6号),”Is surging inequality endemic to capitalism?”John Cassidy New Yorker (2014.3.31号) 
 
 
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著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

フリー・ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て
「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。