【リグミのの解説】
「因果関係」とは何か。原因を特定し、責任を明らかにし、処罰を含めた対処をする。同時に、被害を受けた人を特定し、救済する。何か事が起きたときに、どうやって因果の連鎖をたどり、正しい判断と対処をしていくか。この難しいテーマについて、今日の新聞は伝えています。
毎日新聞は、復興庁が発表した「震災関連死」の調査結果についてです。劣悪な避難所環境で死に至った高齢者の様子が伝わり、無念な思いとともに、今も避難生活を余儀なくされている方々の心身の苦労に対して何ができるのか、と考えてしまいます。東京新聞は、1954年の米国のビキニ水爆実験で被曝した漁師たちを追跡調査してきた元高校教諭のドキュメンタリーです。風評被害と偏見を恐れて被害や病状を語ろうとしなかった漁師たちの姿が、原発事故の被害者たちとも重なります。
本当は「因果関係」があるのに、救済されないケース。逆に本当は「因果関係」はないのに、偏見や風評被害にさらされるケース。どちらも理不尽なことです。1955年に起きた森永ヒ素ミルク事件では、「ヒ素の後遺症はほとんど起きない」と、厚生省が委託した学識経験者5人による委員会で、意見陳述されました。しかし実際には、何十年後にも重い障害が残りました。ハンセン病の例では逆に、間違った医学的判断と社会的偏見によって、患者たちは不要な肉体的・精神的被害をこうむってきました。
過度な不安と偏見から風評被害を広げることは避けなければなりません。しかし、政府・行政や企業などの組織が、「結果責任」レベルでしか物事を追求しない曖昧な態度で済まそうとすることも、風評や偏見が広がる一因になっていると思います。潜在的なリスクを徹底して洗い出し、長期に渡って因果関係や影響の広がりを調査し、必要な救済策を実施すること。そして情報公開と説明責任を全うすること。こうした一連の努力を怠らないことこそ、真の「原因責任」の取り方になるのではないでしょうか。
(注) 「原因責任」と「結果責任」については、以下の記事をご参照ください:
「『バス事故』『原発事故』『ダルビッシュ敗戦』にみる責任の取り方」
讀賣新聞
【記事】 住宅街で突然乱射
- 内戦が続くシリアの北部アレッポで20日、日本人ジャーナリスト山本美香さんが、取材中の戦闘に巻き込まれ死亡した。当時の状況について、山本さんと行動を共にしていた独立系通信社ジャパンプレスを主宰する佐藤和孝さんは、政府軍兵士とみられる「15人前後の一団」が突然、銃を乱射したと証言した。
- 山本さんと佐藤さんは、16日にシリア入りし、反体制派武装組織「自由シリア軍」に同行取材していた。20日にアレッポに入り、銃声や爆撃音が鳴り響く中、戦闘機による空爆や町の様子を取材し、撮影していた。ヘルメットをかぶった迷彩服姿の約15人の一団が突然現れ、銃を乱射した。避難するときに山本さんと離ればなれになった佐藤さんは、戦闘員から連絡を受け、病院で山本さんの遺体と対面、死亡を確認した。
- 佐藤さんは、銃を乱射したのは政府軍兵士、との見方を示した。一方で山本さんの入国を助けた自由シリア軍系組織の幹部は、襲撃したのは、政府軍と民兵「シャッビーハ」の混成部隊との見方を示した。シリア国営通信は21日、政府軍がアレッポで「対テロ作戦」を展開し成果を上げたと報じたが、山本さん殺害の事実には言及していない。
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
朝日新聞
【記事】 「迷彩服の男、突然乱射」
- シリア北部アレッポで、ジャーナリスト山本美香さんが殺害された状況について、一緒に行動していた独立系通信社ジャパンプレス代表の佐藤和孝さんは、朝日新聞の電話取材に答えた。現場近くでは反体制派が封鎖線を引いていたといい、「政府軍が撃ってくるとは想像できなかった」と振り返った。
- 佐藤さんによると、ふたりは20日昼過ぎから反体制派・自由シリア軍の兵士約20人に同行し、アレッポの取材を始めた。この地域は、政権軍も反体制派も制圧できていない空白地帯だったという。迷彩服を着た10~15人の男たちが見え、先頭の男がヘルメットかぶっていることから政府軍だと思った瞬間、男たちは銃を乱射しはじめたという。
- 反体制派の「アレッポ地域調整委員会」によると、山本さんを撃ったのは政権軍の正規兵でなく、政権軍と連携する政権派民兵だという。在トルコ日本大使館によると、山本さんの遺体はトルコ南部キリスの公立病院に安置されていたが、司法解剖のため別の病院に移送された。
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
毎日新聞
【記事】 避難所の疲労、福島433人
- 復興庁は21日、「震災関連死」に関する最終報告書を発表した。調査対象になった岩手、宮城、福島3県18市町村の死者は1263人で、約9割が70歳以上の高齢者。世代別では80代が549人で最も多かった。全体の約半数が震災から1ヵ月以内、約8割が3ヵ月後までに死亡していた。
- 死亡診断書などで調べたところ、死亡原因(複数回答)については「避難所生活の肉体・精神的疲労」が638人と半数を超えた。「冷たい床に薄い毛布1枚を敷いていた」「寒さで布団にいることが増え、体が動かず食事や水分も取れなくなった」「狭い避難所に詰め込まれて疲労困憊した」―など心身に強いストレスを受けた事例が続く。
- 同上638人のうち福島県内が438人と7割近くを占め、東京電力福島第1原発事故が広範囲・長時間にわたり多数の住民を苦しめている実態が明らかになった。事故直後、政府や東京電力からの情報が伝わらず、放射能汚染の恐怖と大混乱の中で、高齢者は無理な避難を余儀なくされて命を落とした。
(毎日jp http://mainichi.jp/)
日経新聞
【記事】 風力促進へ送電網整備
- 政府は、風力で起こした電気を消費地に送るための送電線を電力会社、風力発電事業者と共同で整備する。官民で3000億円規模の基金を設立し、北海道や東北で重点的に建設する方針だ。
- 風力発電には風が年間を通して強く吹く必要があり、北海道や東北の海沿いが適地となる。しかし電気を送るための送電線がないため、事業者にとっては多額の初期投資がかかり、風力事業への参入をためらう原因になっていた。
- 政府は原発依存度を2030年度で0%、15%、20~25%とする3選択肢のエネルギー政策案をまとめているが、いずれも再生可能エネルギーは2010年度の2倍以上となる25~35%まで引き上げる必要がある。再生エネの中で比較的発電コストが低い風力は、2030年までに5%を目指す。
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
東京新聞
【記事】 死の灰1000隻に、恐怖今も
- 1954年の米軍ビキニ水爆実験では、第五福竜丸だけではなく、1000隻ものマグロ漁船が死の灰を浴びた。高知県の元高校教諭の山下正寿さんは30年近く調査を続け、船員たちが長く健康被害に苦しみ、がんなどで亡くなった実態を明らかにした。
- 山下さんたちは、突き動かされるように漁村を訪ね歩き、風評被害や偏見を恐れて沈黙していた漁師たちも口を開いた。身元が判明した被爆者187人中40人は死亡していた。大半は60代前後で、うち13人はがんだった。元船員らの団体を作るなどして補償を国などに求めているが「因果関係が不明」と相手にされない中、元船員らは相次いで亡くなった。調査は今も続いている。
- 「核の恐怖は30年後、40年後でないと分からない」と山下さん。東京電力福島第1原発の事故後も「放射能の直接的な影響で亡くなった人はいない」という論で再稼働を求める動きがある。市民の被害を過小評価する姿勢は変わっていない、と山本さんは危惧する。
(TOKYO Web http://www.tokyo-np.co.jp/)
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