2013.02.25 mon

フクシマ・センダイ・カルイザワ それぞれの地で考えること(第5回) 

フクシマ・センダイ・カルイザワ それぞれの地で考えること(第5回) 


髙木 亨
 
 前回からの続きである。昨年末に宮城県内の高等学校で模擬授業をおこなった。後日生徒の皆さんから頂いたコメントに対する返答の後半部分である。後半は人文地理学や大学生活についての質問に対し、私なりの考えをまとめてみた。
 


 現地をして語らしめよ
  次に「避難している人たちがどのような思いで生活しているのか気になった」という感想がありました。これは、私も当事者ではないのでわかりませんという答えです。授業でも触れましたが、「現地に行って話を聞く」ということでしか解決しません。


聞き取り調査の様子  

 田中啓爾(1885‐1975)という地理学の大先生の言葉に「現地をして語らしめよ」というものがあります。地理学は「座学」ではありません。フィールド(野外)の学問です。地域という「現場(フィールド)」があります。そこに出かけていって、見て、聞いて、調べて、そこで地域を「面的」に考える。これが地理学です。また、現場は被災地だけではありません。法律など物事が決まっていく「東京」も現場の一つです。こうした地域の関係性から、被災地を考えていくのも地理学の役割です。

 話がずれました。地理学に限った話ではありません。世の中には「ステレオタイプ」な話はたくさんあります。しかし、それが本当であるか、疑うことを忘れてはいけないと思います。皆さんがどの分野に進まれても、「現場の人たちの声に耳を傾ける」ということは忘れないで欲しいと思います。「勝手な想像」ではなく、耳を傾ける姿勢が大事です。感想にありました「必要なのは、気になったことは徹底的に調べるというハングリー精神だと思いました」がまさにその通りだと思います。

 こんな質問もありました。帰還しない住民の話の中で「お金をもらった後もどうなってしまうんだろう」というものです。原子力災害に見舞われた地域では、住民票ベースに賠償金が支払われています。しかし、未来永劫支払われるのではなく、数年後賠償が終わることになります。その際、被災された方々がどのような行動をするのかは、まだ見えません。避難先で新たな生活をはじめるのか、戻って生活を再開させるのか、それはわかりません。福島県の銀行預金残高は非常に高いという話しも聞きます。それだけ被災された方々が将来に不安を抱え、備えているのだと思います。パチンコの話ばかり強調されますが、そればかりでは無いという事です。


2年ぶりに全面開催となった相馬野馬追い

 
地域としては、戻ってもらうための取り組みは必要、というのが私の考え方です。そのためには福島第一原子力発電所事故の収束は絶対条件です。また、生活していくための様々な「機能」の回復も必要です。戻るための条件は整える、つまり地域としての魅力をあげていくことが大事なのです。そのあとの判断は住民に任せる、強制はしない、それしかないと思います。私の仕事はその地域の魅力を上げるための、地理学を基本としたお手伝いなのです。これは被災地復興だけの話ではありません。地域活性化全般に通じる事です。
 
人文地理学の調査手法
 さて、質問には「人文地理学では何を資料にしているのか」というのもありました。人文地理学の学問領域がとても広いことは、授業の中で理解して頂けたかと思います。このため、その資料も幅広いものが必要となります。とはいえ、基本的なものは決まっています。もっとも重要なのは地図です。とにかくフィールドとする地域の地図は必要です。基本的な地図は国土地理院が発行する地形図と呼ばれる紙地図です。最近は電子地図も出てきています。これらをベースマップにして、地図の上で物事を考えていきます。このほかには、文献資料として各種統計や各市町村誌・県誌などの自治体誌、企業の社史、類似分野などの専門書、行政や企業などの内部資料など必要に応じて利用します。

 また、人文系の調査には「聞き取り調査(注・「聞き込み」ではないので注意!)」や「アンケート調査」といった調査によりオリジナルなデータを収集しています。研究者は、研究目的に応じた調査方法で資料を集めています。このあたりのテクニックは大学や大学院で学んでいきます。これら調査方法は、復興支援のお手伝いにも活用しています。方法論さえ確立できれば、応用によっていくらでも対応することができるのです。大学はこのような事を学ぶことができるところです。

 学生の自主性と友人
 感想には、大学の授業時間の長さやコマ数の多さを心配するものが見られました。90分は長いですね。しゃべる方も長いと思っています…。でも、大学では時間割を自分で組む事ができます。「必修科目」を除いて、科目は比較的自由に選択できます。また、大学の先生が言うのも何なのですが、大学での授業への出席は「自由」なのです。2000年代に入ってからは、大学でも出席がうるさくいわれるようになりました。でも、基本的に大学は「学生の自主性」によって成り立っています。

 大学の4年間、学生さんの興味を持ったことを突き詰める時間はたくさんあります。その時間を有効に使い、最終的に単位を取得し、卒業していく。それが理想です。「出席したくない講義には…要領よく」ということです。長いようで短い4年間、でも人生の中で一番自由で身分が保障された4年間です。有効に使わないともったいないです。より有効に使うためには、良い仲間が必要です。大学の友人は一生のつきあいになります。私もそういう友人が何人もいます。


十数年ぶりに再開した大学同期 

 一方、自主性の裏には落とし穴もあります。それは誰も助けてはくれない、ということです。高校までは、授業への欠席が続けば先生をはじめ周りも心配してくれました。しかし大学では「自主的に休んでいる」として、誰も心配してくれません。最近はフォローアップの仕組みができてきましたが、基本的なスタンスは変わっていません。自由の裏には自己責任が必ずつきまといます。だから、友人が必要になります。友人だけは心配して気にかけてくれます。情報をくれます。これがとても大事なことです。

 皆さんの身近な大学経験者は、高校の先生方です。つかまえて、先生の学生時代の話を聞き出してください。きっと興味深いお話を聞く事ができると思います。いかにサボったか、ノートを手に入れたか、友人と遊んだなどの話は貴重です。学生生活について先生方を対象に「聞き取り調査」をしてみてはいかがでしょうか。
 
 長くなって申し訳ありませんでした。私が模擬授業をやったのも何かのご縁だと思います。メールアドレスを記しておきますので、大学生活・ふくしまのことなど何かありましたら、遠慮せずに御連絡ください。対応いたします。それでは皆さんの高校生活が有意義なものになるよう祈念しております。ありがとうございました。



【フクシマ・センダイ・カルイザワ それぞれの地で考えること  バックナンバー】


 

著者プロフィール

髙木 亨(たかぎ・あきら)

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授
博士(地理学)、専門地域調査士。
東京生まれ、東京近郊で育つ。
立正大学で地理学を学ぶ。
立正大学、財団法人地域開発研究所を経て2012年3月から現職