「人が育つ社会」
リグミのメルマガに対して、先日読者の方からコメントを戴きました。
2013年1月25日【リグミの解説】「人が育つ社会」で、社会には「夢」や「希望」が必要なのでは、と問題提起したことに関連したコメントです。
http://www.lgmi.jp/detail.php?id=789
以下、ご本人の許諾をいただきましたので、引用いたします。
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「若者に希望は必要ですが、私たちの世代でも、その日その日を生きていくのがやっとで、とても将来のことまで考える余裕はなかったと思います。戦後は、学校の先生も、大人たちも間違っていた人たちで、信用できなかったことを思い出します。だからこそ、自立したいと頑張ったのだと思っています。
仕事に就いてからも、新しいことばかりで、教わることはほとんどなく、自分で考えてやってきました。同窓会でも、仕事仲間でも皆そう言っています。『いい時代だった』と。若者に言いたいことは、親も政府も頼りにせず、信用せず、自分の意思で生きることではないでしょうか。」(70代後半、男性)
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今回、コメントをお寄せくださったのは70代後半の男性です。戦中・戦後の苦労を体験し、その後の高度成長を牽引してきた世代といえます。
70代の時代論・世代論
リグミでは、「世代論」や「時代論」のようなものをテーマにしていきたいと考えています。そこで、「まじめな雑談」のテーマとしてSNSで交流をしました。
まず、同じ70代の男性のコメントです。
「戦後、いちばん苦労したのはわたしたちの世代の親です。彼らには、戦争中のあの苦労を子供にはさせたくない、との思いが強かったので、甘やかされて育ったきらいがあります。ということは、無意識の自己中世代とも言えます。
同世代はほとんど引退して年金生活をしていますが、大企業や公務員の職歴のある皆さんは、生活に余裕がありますね。大組織の幹部であった皆さんがとくにそうです。
わたしの同世代論の結論は次のようなものです。経済的にもっとも恵まれた時代の恩恵を受けてきたわれわれの世代は、時代に乗り、流されるだけで、次世代のことを昔も今も真剣に考えてたことがない、恩返しをやってない、というものです。」(70代前半、男性)
現在75歳の方は、1938年生まれ。7歳の時に終戦を迎えました。成人の20歳になったのが1958年。若手として社会で活動する期間を35歳と考えると、1973年です。まさに高度経済成長期のど真ん中を牽引した戦中派世代です。
苦労も大きかったですが、得たものも大きい世代ともいえます。そのときは余裕もなかたが、振り返れば「いい時代」だった。それだけに、「若い世代に恩返し」すべきなのに、できていない。こうした率直な声が出たことに、ちょっと驚くとともに、ではどうすれば、「恩返し」を具体化できるのかと、次の問題意識が出てきます。
60代、50代の時代論・世代論
65歳の人になると、1948年生まれ。いわゆる戦後派の代表で団塊世代になります。20歳になったのが1968年。35歳は1983年です。高度成長から安定成長期を経て、日本が「ジャパンアズナンバーワン」と言われ、頂点を打つ時代を若手として体験しています。
これが55歳では、1958年生まれ。いわゆる戦無派になります。20歳になったのが1978年。35歳は1993年。安定成長から日本が頂点を打つ時代を経て、バブルに踊る時代を体験し、そのあだ花が儚く破裂するさまも体験しました。
ちなみに、厚生年金、国民年金などの社会保障制度は、若い世代、現役世代がリタイア世代を支える順送りの制度ですが、自分が払ったお金と受け取るお金がちょうどイーブンになるのが、だいたい50代半ばまでと言われています。そういう意味では、「逃げ切り世代」と批判されているのは、50代後半から上の世代ともいえそうです。
そんな分水嶺の世代の声です。
「当時、音楽的には、岡林信康、五つの赤い風船からはっぴいえんど、荒井由実、山下達郎が受けられるようになり、演劇では、つかこうへいが出てきました。よく友人と見に出かけましたが、その合間に新宿トップスなどの喫茶店で何を話したのか覚えていませんが熱い議論をしたような記憶があります。
今考えてみると女性の感性が社会に反映される時代に変化しつつあった様に思います。ユーミンは渋谷ジャンジャンで毎日、500円でライブをやっていました。荒井由実とパパレモン、懐かしいですね。
当時の熱い議論のテーマ(テーマ自体は忘れたフリをするしかない)を支えていたのが、夢や希望以上に友人とのつながりを求めたい気持ちであった思います。その時の社会や自分の生活に満足か否かよりも社会や友人とつながりを求めること、自分で何が出来るのかをそれぞれが考えていた時代であったと思います。素敵な時代ですね。」(50代半ば、男性)
世代的に、今日につながるポップカルチャー(大衆文化)がメジャー化した時代だと思います。政治の時代を駆け抜けた団塊世代と違い、政治社会のテーマよりももっと個人の内面や文化的なテーマについて、やたら凝った対話や議論をしたがった世代かもしれません。女性の存在が社会の中でメジャー化し始めたことや、「ポップ」が主役となれる時代になったという意味で、自由で多様な社会の入り口を作った面がありますが、同時に自己中心な価値観を確立した世代ともいえそうです。
40代の時代論・世代論
次の世代の45歳になると、1968年生まれ。上の世代とも重なりますが、新人類と呼ばれた世代です。20歳になったのが1988年。35歳は2003年。社会人になったときはバブル真っ盛り。しかし1990年代に入ると、宴の後の厳しい時代を迎えました。ここで時代感覚は一気に暗くなります。
「子どもの頃は、それほど困らずに過ごしてきて、いざ、社会に出て、ビックリしちゃった世代でしょうか。テレビ世代、ゲーム世代、オタク世代などと言われている世代だと思います。若者を20歳から35歳とすれば、社会に出たときには、バブルがはじけて、暗い雰囲気が漂っていた時代です。」(40代前半、男性)
30代の時代論・世代論
そして2013年の今、35歳の方は、1978年生まれ。中学生のときにバブルがはじけ、1998年に20歳。就職氷河期の真っただ中でした。社会人としては、「失われた20年」の低迷しか知らない世代です。
「私は2013年35歳の世代が近いですが、戦中の方の話を聞くと、自分は恵まれた時代に生まれたんだなあと思います。食べ物はあるし、勉強もできるし、本も自由に読める。就職は確かに大変ですが、アルバイトすら見つからないほどの不況ではない。もし、私が戦中を生きてるとしたら、その状況に耐えられないなあと思います。
だからといって、将来の希望はあんまりないですね。考えるとマイナスなことしか思い付かない。長生きしても大変そうだから、あんまり長生きしたくないな、と思います。その上で自分はどう生きていくことがいいのかって考えたりしています。」(30代前半、女性)
ここまで来ると、シニア世代(50代後半より上)とジュニア世代(40未満)との「世代ギャップ」はかなり明瞭に実感できるようになります。シニア世代は「がんばれ!」「努力すればいいことがある!」と叱咤激励したくなりますが、ジュニア世代の心には響かないという現実があります。
20代の時代論・世代論
なぜでしょうか?さらに若い20代前半の男性の声が、答の一端を教えてくれます。
「社会に「夢」や「希望」がないわけではありせんが、むしろそれよりも「不安」が大きいのではないかと思います。暗い気持ちを抱えているというのも、希望がないからというよりは、不安を抱えているということだと思うのです。
それは、なにかつまずいたらどこまでも転がり落ちて行って、もう復活のチャンスはない、という雰囲気です。制度的な言葉遣いをすればセイフティネットがない、ということかもしれませんが…。それはさておき、失敗したらおしまい、しかもそれはたんなる偶然に左右される、なのに自己責任にされる、そういった一連の状況に「不安」を覚えざるをえないのです。」(20代前半、男性)
「失われた20年」で何を失ったのか
バブル崩壊後の長い低迷を「失われた20年」と呼ぶようになってきましたが、この間に失われたものは、「夢」や「希望」であり、「全体として良くなる」という感覚や「真ん中にいれば大丈夫」という安心感も薄くなりました。「閉塞感」が長く言われてきましたが、社会心理の根っこのあるのは「不安感」だと思います。
何もなく苦労の連続だったが無我夢中でやれた70代。不安を感じる余裕もなかったし、何とかなるさという楽観的気分も持てた時代。60代と50代は集団として、また個として、やりたいことを追求する自由で自己中心な行動が許され始めた世代として、戦後の平和と繁栄を謳歌できた。
ところがバブル以降になると、こうした社会ダイナミクスがことごとくが逆回転をはじめました。ネジをもう一度戻すのか、それとも「今ここ」の現実に立脚しつつ、社会の在り方を根本から創り直すぐらいのつもりで臨むのか。
世代をつなぐことで変わる世界
やらなければいけないことはたくさんありますが、シニア世代とジュニア世代が「つながる」ことで、社会の構造的問題を共有できるようになります。経験や年齢で上下をつけず、対等な立場で対話をし、何をしたらいいか一緒に探求する。その中で、シニアがジュニアに「恩返し」できることも、自ずと見えてくると思います。
「チャレンジをして失敗しても再起できる」仕組みや環境を用意できることがカギです。
そうすれば、「がんばれ!」と言わなくても、若者たちはかならず変わり始めます。「夢」や「希望」を自然に見つけ、日本社会全体が、未来に向けて新しい姿に変わっていくということです。
そのときシニアも、既得権に安住せず、一緒に日本を再生する気概を持てるか。逆説的に言えば、元気で前向きな老人が有言実行し、率先垂範することが、若者を救い、日本再生へと鼓舞していくことになるのかもしれません。
(文責:梅本龍夫)
「まじめな雑談」アーカイブ
【ごあいさつ】 2012年3月11日リグミがスタートしました
株式会社リーグ・ミリオン 代表取締役社長
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