土野繁樹
「新宿泥棒日記」(1969)の撮影現場の大島渚(中央) ルモンド紙
あの名作「戦場のメリークリスマス」を作った大島渚が亡くなった。ルモンド紙は1頁全面という破格のスペースを使って彼の死を悼んでいる。同紙の映画担当トマス・ソティネ記者は「青春残酷物語」から「御法度」までの主な作品を紹介しながら、大島の監督としての生涯を淡々とした筆致で描いている。
東京支局のフィリィプ・メスメール記者がもう1本、大島作品に出演した俳優、監督、映画評論家(北野武、吉田喜重、篠田正浩、品田雄吉など)の談話をのせ記事を書いている。そのなかで「愛のコリーダ」にでた藤竜也の「大島さんは才能の人である以上に、愛すべき人でした」という言葉が印象に残った。
ルモンドの記事には、日本のメディアには載っていないエピソードも入っている。1995年、大島は英国映画協会の依頼を受け、ドキュタリー‘日本映画の100年’を制作した。BBC4が放映したその内容について記者は「この作品のなかで、大島は小津安二郎の作品をわずか一本だけ紹介し、自らの作品を4本も取り上げている」と指摘し「この作品は大島の挑発精神が発揮される場になった」と皮肉をこめて言っている。
この作品についての、英国テレグラフ紙の評価はより厳しい。「偉大な監督である小津、溝口、黒沢の作品を、彼の作品に行きつく踏み石のように扱っている‘極めてエキセントリックで、アンバランス’な作品だ」と批判している。一方で、記者は「愛のコリーダ」をセックスのタブーに果敢に挑戦した歴史的作品だと称賛している。ということは、大島のBBC4の作品によほど腹が据えかねたのだろう。
大島は、客観性と公平性を重んじるBBC4のドキュメンタリーの基本をよく理解していなかったのではなかろうか。英国人のフェアプレーの精神を理解していなかったのではなかろうか。
わたしは、松竹時代の大島が小津の映画は‘時代遅れで、ブルジョア趣味’と批判していたのを、どこかで読んだ記憶があるが、ここまで小津作品を嫌っていたことを知り複雑な気持ちになった。
東京と富山の友人がメイルで送ってくれた新聞記事で、大島の友人・知人の回想を読んだ。それによると、日本社会の不条理とタブーに挑戦する怒れる男の表の顔とは裏腹に、彼は日常では実にやさしく親切な人だったと言う。心やさしい人が「東京物語」の良さが分からないはずはない、と小津ファンのわたしは思うのである。
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著者プロフィール
土野繁樹(ひじの・しげき) フリー・ジャーナリスト。 釜山で生まれ下関で育つ。 同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。 TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て 「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。 2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。 |