2013.01.15 tue

八方破れの男 ~フランス田舎暮らし(13)~

八方破れの男 ~フランス田舎暮らし(13)~


土野繁樹

パリ・マッチ表紙
 
フランスが誇る世界的映画俳優ジェラール・ドパルデューが、フランス国籍を返上して、ロシア市民になった。オランド社会党政権のスーパー・タックス(100万ユーロを超える所得に75%課税)への抗議の行動だった。
 
彼はフランス人のアイデンティティの象徴である人物を演じてきた俳優だ。恋する詩人シラノ・ド・ベルジュラック、フランス革命の大立者ダントン、レ・ミゼラブルのジャン・バルジャン、岩窟王モンテ・クリスト伯などを迫真の演技で現代に蘇らせてきた。誰もが、強烈かつ繊細に役を演じるあの巨体の俳優はフランスそのものだと思ってきた。
 
ところが、その彼がロシアのプーチン大統領と抱擁し合い、ロシア民族衣装を着て新しいパスポートを掲げている光景に、フランス人はおどろきクビをかしげている。彼は税率13%の魅力に負けたのだろうかと。
 
12月中旬にドパルデューがスーパー・タックスを嫌ってベルギ―に移住のニュースが報じられると、フランス中がこの話題でもちきりになった。コメントを求められたエロー首相は「税金を払うのは、愛国的行為だ。彼のやっていることは非愛国的で哀れ(mirable にはみじめという意味もある)」と彼を非難した。これにドパルデューは激怒し、直ちに首相宛に痛烈な公開書簡を書いた。以下は手紙の要旨である。
 
わたしは14歳のときから働きはじめ、いちども納税の義務を逃れたことはない。わたしが演じた歴史映画は、わたしのフランスとその歴史への愛を証明するものだ。残念ながら、ここで、もはややることはない。ここを去る理由は、あなたが成功や創造性や才能を罰するに値すると考えているからだ。すくなくとも敬意をもって接してほしかった。自分の選択を正当化はしない。この選択は個人的な理由からだ。わたしは2012年の収入にかかる税金85%を払いここを去る。しかし、美しいフランスの精神を持ち続ける。これまでに45年間働き、1億4500万ユーロの税金を納めた。わたしには同情も称賛もいらない。しかし、哀れという言葉は拒否する。わたしを裁くエローさん、オランドさんの首相であるあなたは何者ですか。わたしは自由な人間だ。

この文面にはー自分はフランスのためにこれだけ働いてきたのに、非愛国者、哀れだと侮辱される覚えはない、首相あなたは何様だーと怒るドパルデューの声が聞こえてくる。
 
パリ・マッチ誌は表紙(写真)に‘傷ついた男’と書いた。彼の代理人で映画プロデューサだったルイ・リヴィは「彼は首相の言葉に深く傷ついた。・・マリリン・モンローもそうだったが、彼の心も壊れやすい」と言っている。
 
リヴィはまた、ドパルデューがミッテランからサルコジまで歴代の大統領と対等の付き合いをしてきたことを語っているが、彼の誇りがこの手紙を書かせたのだろう。
 
歌手のアズナブールも俳優のアラン・ドロンも高い税金を嫌って、スイスに移住しているではないか、なぜ自分だけ侮辱をうけなくてはならないのだ、との思いも去来したにちがいない。
 
フィガロ紙は10万人を対象に、ドパルデューの決定について世論調査をしたが、80%が彼の怒りを理解できると答えている。

1990年作品 ジャン=ポール・ラプノー監督
 
彼は仕事を愛し人生を謳歌する陽気な八方破れの男である。女性遍歴も多彩だ。年に平均4本の映画・テレビドラマに出演し、幅広くビジネスを展開している彼は、ストレスを感じる日にはワインを5.6本、ご機嫌の日には3,4本飲む、と語っている。ワイン好きが高じて、ブドウ畑を世界各地に持ちワインを製造・販売している(彼のワインはけっこういける)。
 
食通でもある彼はパリで3軒のレストランを経営しているが、そのひとつは日本料理店である(昔、パリ16区にある小さな日本料理店‘赤坂’から出てきた‘スリムな’彼を見たことがある)。ベルギーへの移住が報じられたあと、レストラン従業員が連名で彼は気前のいい寛容なボスだ、と声明をだしていた。いい経営者なのだろう。そのほか、石油採掘権を持ち、テレコム企業などに投資している。彼が所有するパリのアパートの売値は5000万ユーロというから、資産家にちがいない。
 
ドパルデューに関する型破りのエピソードは数多あるが、最近ではエ―ル・フランス機のなかでの放尿事件がある。離陸した直後でトイレが利用できず、機内後部でペットボトルを使って放尿したが、カーペットにこぼれ落ちたという事件である。幸いにも、機内には数人の客しかいなかったが、国際ニュースになった。
 
こんな事件があっても、フランス人は‘これがドパルデューさ’と肩をすくめていたが、彼の‘ロシアの偉大な民主主義’発言(彼一流の挑発にしても)には当惑している。とりわけ、知識階級の反応は敏感だ。当初は彼の立場を支持していた人々も、人権無視のプーチンの強権政治のどこが偉大な民主主義だと憤懣やるかたない。
 
三つの国旗を着たドパルデューのマトリョーシカ人形  France -Yahoo! Actualites
 
そもそも、スーパー・タックスは大統領選挙中に、オランド候補が提唱したものだった。最富裕層への高率課税は、オランド自身のアイディアというから、彼の目玉プロジェクトみたいなものである。しかし、庶民の票を獲得する効果はあったが、税収への波及効果はない。なぜなら、その対象が数千人で税収はわずか年間2.1億ユーロ(230億円)という象徴的なものにすぎないからだ。
 
いまこの課税案は、実施直前の大晦日に、憲法裁判所がその一部を違法とする裁定を下したので、政府は修正を余儀なくされている。
 
さらに新年に入り、この法案をめぐって閣僚間の意見の違い明るみになった。カユザック予算相は、当初計画されていた2年間だけの暫定措置ではなく、2017年まで継続すると言い、モスコヴィシ経済・財務相は、経済危機が終わるまでその法案を延長すべきではない、と主張している。
 
そのうえ、税金を徴収する役所のトップであるカウザク予算相にスイスの銀行に隠し口座があるという疑惑が発覚している。このマスコミ報道を、本人は事実無根だと否定しているから、たんなる噂かもしれない。その真偽を明らかにするため調査委員会が設定されたが、クロとでたらオランドにとって大打撃となるだろう。
 
スーパー・タックスを巡るこの混乱に、メディアは厳しい。右派のフィガロ紙も左派のルモンド紙も、この問題についてはめずらしく歩調をあわせて、オランドを批判している。こんなことより早く財政再建に取り組めという論調だ。
 
かくして、ドパルデューの仰天のフランス国籍離脱宣言で火が付いたスーパー・タックス75%は、国政を揺るがす問題になっている。

1983年作品 アンジェイ・ワイダ監督
 
税のギロチンにかかることを拒否して、ロシアのパスポートを取得したドパルデューは「ベルギー国籍も間もなく手にはいるだろう。ロシアとそれで二重国籍になる。それでもわたしはフランス人だ」と意気軒高だ。しかし、前述の友人リヴィは「いま彼は病んでいる。ロシアから早く帰ってきて、彼が演じたダントンの威厳を取り戻してほしい」と語っている。これが大方のファンの気持ちではないだろうか。
 
この八方破れの男を、かつて女性作家で映画監督のマルグリット・デュラスは‘美しい巨大な暴走トラックみたいな男’と言っている。現在撮影中の名優ドパルデュー主演のノンフィクション映画‘TAX’の結末は誰にもわからない。おそらく、本人にも。
 
 

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著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

フリー・ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て
「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。