【リグミの解説】
本日の新聞1面トップ3記事の「スタンプ」
読売新聞
① 【政府広報】 「日米防衛指針と並行協議」
② 【政府広報】 「補正13.1兆円閣議決定」
③ 【発表引用】 「大島渚監督死去」
朝日新聞
① 【司法広報】 「警視庁の発表『違法』」
② 【政府広報】 「首都高47キロ大規模改修」
③ 【発表引用】 「大島渚監督が死去」
毎日新聞
① 【政府広報】 「先島諸島に空自配備」
② 【発表引用】 「大島渚さん死去」
③ 【司法広報】 「アレフ、都に勝訴」
日経新聞
① 【企業広報】 「電力供給、家庭も一役」
② 【シリーズ】 「さまよう『非正規博士』 ~働けない若者の危機」
③ 【政府広報】 「円借款、ドルでも返済」
東京新聞
① 【司法広報】 「『オウム犯行』公表違法」
② 【都政広報】 「小型芝生墓地を整備」
③ 【発表引用】 「大島渚監督死去」
「オウム犯行」公表についての判決
本日の新聞1面トップは、朝日新聞と東京新聞が「警視庁による『オウム犯行』公表は違法」との東京地裁の判決に関する記事です。
警視庁は、なぜ警察庁長官銃撃事件の時効直後に「オウム真理教の犯罪だった」と公表したのでしょうか。自分たちの組織の長が狙撃され重体になった前代未聞の事件で、容疑者を公訴できなかったことを恥とし、組織の名誉ために「犯人はわかっていた」と自己弁明したいためだったのではないか。そんな憶測を思わずしてしまいます。
「無罪推定の原則に反するだけでなく、刑事司法の原則を根底からゆるがすもので、重大な違法性がある」との裁判長の言葉を、警察組織は重く受け止める必要があると思います。当時、どういう理由と正当性でこの発表を行ったでしょうか。
公僕の説明責任と結果責任
被告となった当時の池田克彦・警視総監は、「公務員個人は民事上の損害賠償を負わない」との理由で、損害賠償請求が棄却されました。企業でも、株式会社の取締役は、個人の経営責任を株主代表訴訟で問われる時代です。億単位の損害賠償を請求されるのが当たり前になっています。そのことの是非はありますが、公務員の幹部・責任者クラスが、「民事上の損害賠償を追わない」という法律の位置づけには、素朴な疑問があります。
公務員を意味する公僕とは、文字通り「公(おおやけ)の僕(しもべ)」です。説明責任と結果責任の在り方を再考すべきかもしれません。池田氏は、現在の原子力規制庁長官です。こうした重要なポストに引き続き就いていればなおのこと、説明責任を果たしていただくことを期待します。
大島渚監督の訃報
他の記事では、映画監督の大島渚さんの死去(80歳)を伝える記事が、大きく報道されました。大島さんは、1996年に脳出血で倒れ、『御法度』(1999年公開)以降はリハビリに励んでいたと東京新聞の記事にあります。10年以上作品を作らなくても現役の映画監督と社会的に認知されていたから、各紙の見出しの多くも「大島渚監督」となったのだと思います。
「私は〇〇である」という認識をアイデンティティー(自己同一性)と言います。アイデンティティーは、心理的な安定をもたらします。生きていく上でなくてはならないものともいえます。アイデンティティーは、自分を納得させる内面的なものですが、社会的に認知される職業などによって、人々と共有できるものとなります。
映画の主人公を生きる
大島さんが、映画監督としての自己に、晩年どんな思いをお持ちだったかは知りませんが、「次の作品」を自分の最高傑作にする、との希望を抱いていたのではないか。そんな想像を巡らせました。同時に、生きるとは、生き切ることであり、「次の作品」を撮ることができなかったとしても、その人の人生そのものこそが、「最後の最高の作品」になっていくのが、人間の素晴らしさではないかとも思いました。
私たちはみな、自分を主人公にした物語を生きています。「私は〇〇である」という映画の主演俳優にしてにして脚本家、そして監督でもあります。大島渚さんの訃報に接して、「生涯現役」という生き方が、日本のこれからの社会の在り方のヒントになるかもしれないと感じました。監督のご冥福をお祈り致します。
(文責:梅本龍夫)
【記事要約】 「日米防衛指針と並行協議」
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
【記事要約】 「警視庁の発表『違法』」
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
【記事要約】 「先島諸島に空自配備」
(毎日jp http://mainichi.jp/)
【記事要約】 「電力供給、家庭も一役」
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
【記事要約】 「『オウム犯行』公表違法」