【リグミの解説】
「政府広報」と裁判報道
新聞記事に「スタンプ」を押し、「色分け」する提案の続きです。昨日の「リグミの解説」では、全国紙(読売、朝日、毎日、日経)の1面記事の大半が「政府広報」の類になっていることを指摘しました。本日もその傾向に変化はありませんが、大きなトピックとして、大衆薬のインターネット販売に関する最高裁判決の記事が、毎日と日経のトップ記事として取り上げられています。
そもそも「政府」とは、何を指すのでしょうか。「英米系の国家では、立法・司法・行政の総称だが、ドイツ系の国家と日本では、内閣および行政機構を指す」と広辞苑では定義しています(参照:Wikipedia)。【政府広報】というスタンプは、「行政の司令塔となる内閣」「内閣を支える与党」「行政の執行機関となる中央省庁」を想定していますので、「狭義の政府」ということになります。
政府の定義
「広義の政府」ともいえる3権のうち、国会の過半は与党によって占められるますので、立法が内閣と与党の意向に沿う限り、一応カバーされます。一方、国会内の野党の動向を伝える記事は、「政治」であっても「政府」とは呼ばない方が誤解が生じないでしょう。では、司法の位置づけはどうするか。
本日のトップ記事にあるように、裁判所の判決はしばしば、「国」を原告や被告とするものです。ここでの「国」とは、「狭義の政府」である行政(内閣と中央省庁などの官僚機構)が対象となるケースがほとんどだと思います。とすれば、裁判所の判決を伝える記事に押すスタンプは、どういう種類になるのが良いのでしょうか。ここだけ、「広義の政府」と解釈して、【政府広報】とする手もありますが、ちょっと違和感があります。
新聞の軸足はどこか
この違和感、どこから来るかというと、結局は新聞(マスコミ)の「軸」がはっきりしないことにあります。衆議院のサイトに「三権分立」の解説があります。「日本国憲法は、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三権分立」の原則を定めています」(shugiin.go.jp)。「三権」が互いに牽制しあう民主主義の統治機構の中で、マスコミはどこに報道の「立ち位置」=「軸」を定めているのでしょうか。
上に引用した衆議院の公式サイトの図を見れば一目瞭然なように、「三権」の中心にいるのが、「主権者=国民」です。「政府」とは何かを定義したり考えたりすることは、マスコミの位置づけを定義することを意味します。国民の視点に立って、行政、立法、司法を監視し、批判と提言をしていくのが、新聞をはじめとするマスコミの基本的な役割であり、ぶれてはならない「軸」ではないでしょうか。
世論形成の場
さらに上記の図を見ていくと、「三権」に対する「国民(主権者)」の影響力の及ぼし方が、書かれています。まず国会。これは「選挙」です。機会は限られていますが、効果は直接的で有効です。司法に対しては、最高裁裁判官の「国民審査」があります。しかし、ほとんど国民に意識されていないのが実情です。そして行政に対しては「世論」とあります。
総理大臣や閣僚の選定や、官僚の人事に対して、国民は直接的な影響を与えることができません。だからこそ、逆説的に「世論」こそが、最も重要な武器になるのではないでしょうか。新聞(マスコミ)の使命は、「世論」を形成する器となり、代弁者となること。この基本中の基本を、私たちは再認識する必要があると思います。
新聞の「軸」が国民からずれ、「政府広報」のような報道を繰り返し、内閣や与党、官僚機構、あるいは国会や裁判所の意向や意図を優先する報道が大半を占める状況を、少しずつでも変えていく必要があります。そのためにどうしたらいいか。
裁判員制度に学ぶ
新聞報道の問題は、「世論」とは何か、という民主主義の基本テーマに立ち返ることになります。健全な「世論」をつくりあげる「場」をどう育成するか。そもそも「世論」とは何なのか。リグミでは、健全な世論は、時代のムードや空気とは別のものと考えています。瞬間風速で「好きと嫌い」を判じるような世論の在り方は、国の在り方として健全ではありません。国民ひとりひとりが、自分で考え、責任をもって「こうすべき」と主張できる「立場」を鮮明にしていくこと。言葉を代えれば、「パブリック・オピニオン(公論)」といえるものをつくっていくことが、大事です。
そのために参考になるのが、司法制度改革で実現した「裁判員制度」です。国民の代表として無作為に選ばれた裁判員が、判決に関わる裁判員制度は、国民の意識を変えました。公のために、「こうすべき」を判断する。「三権」などの公権力に一任せず、自ら考え、心を痛め、苦しい判断を出していく。そのプロセスを経た者は、「犯罪とは何か」「裁きとは」「償いとは」そして「犯罪を生まない社会の在り方」まで、自問自答します。社会の「当事者」になる経験といえます。
現代の新聞には、公権力の代弁者となるのでなく、逆にただ遠くから批判したり論評するだけもない「第3の立場」が求められています。有権者と対等の立場で交流し、自ら司法における「裁判員」のような心づもりになって記事を書く。国家運営の「当事者」として、国民と協働編集の記事をシリーズで積み上げていく。裁判員制度には、新聞などのメディアが、「世論形成の公器」となる上で、参照すべき学びが、たくさんあると思います。
(文責:梅本龍夫)
【記事要約】 「財政出動、生活に力点」
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
【記事要約】 「20兆円景気策、借金頼み」
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
【記事要約】 「薬のネット販売解禁」
(毎日jp http://mainichi.jp/)
【記事要約】 「薬ネット販売、解禁へ」
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
【記事要約】 「『心のノート』復活、現場当惑」