土野繁樹
わが家の台所の壁にかかっている、逆回りで動くこの時計を奥方が買ったのは、こちらで暮らしはじめた10年前のことである。日本から遠路やってきた友人はたいてい「なぜ?」と尋ねる。「これは、時間に追われる東京にさよならをした象徴みたいなものよ。時間が逆に流れているみたいでしょう」と奥方は答える。
わたしも当初は戸惑ったが、慣れるにしたがって、これが普通になった。未来に向かう時の流れは地球上どこでも同じなのだが、なんだかわが家の空間だけは、時間が過去に向かって流れているような心地よい錯覚に一瞬とらわれるのである。
事実、ここでの時間の流れは実にゆったりしている。わたしが東京でニューズウィーク日本版の編集をやっていた頃は、土日月の3日間で40時間働いて週刊誌をだす、それを一年に50回繰り返す時間のサイクルだった。それに比べると、第一線を退き、自然のなかで暮らしている今は、時間の流れを測るバロメーターが春夏秋冬の四季の移ろいになった。
しかし、今年も残すところ1週間。この時期になると1年があっという間に過ぎたことを思い知る。年を重ねる毎に‘光陰、光速の如し’の感が深い。
凍てつく夜、ダイニング・ルームにある暖炉に火を入れる。この家は1827年築だから、暖炉も年季が入っている。人は炎になぜ魅せられるのだろう。揺らめく炎を見ていると、時の流れを忘れてしまう。あたりが優しく、親しみのある空間になる。そして、静寂と闇のなかで燃え上がる炎の前で、人は沈黙し哲学的になる。
この炎を眺めていると、同志社大学アーモスト館の寮生時代から親友だった石井信平君のことを想いだす。筑摩書房の編集者、テレビマン・ユニオンの番組製作者、ライターだった彼は才能豊かなほんもののジャーナリストだった。考え抜かれた見事な文章を書く友だった。なにより、わたしは誠実で毅然としユーモアを解する彼の人柄を愛した。
信平君が敦子夫人とわが家に滞在したことがある。彼は暖炉の炎の虜になり、朝に夕にマキを燃やし続けじっと炎を見つめていた。その信平君は3年半前にガンで亡くなった。
今宵は彼を偲んで、好きだったボルドーの赤ワインを飲みながら暖炉の炎と語らおう。
サン・ジャン・ドコール教会
年の瀬になると、奥方とわたしは花を携えてお世話になった村の友人宅を予告なしで訪れる。今年の花はアマリリス。フォルニエ夫妻の家は教会(写真)の前にある。アンリ・ジャンは退役将軍で、教会修復委員会の幹事として、中世ロマネスク様式の教会内部の修復事業のための基金43万ユーロ(5千万円)を集めた人だ。わが奥方も唯一の外国人委員として参加したが、10年間かけたこの事業も今年の夏で終わった。
アマチュア画家のニコール夫人は花にいたく感激したようすだった。コーヒーでもと誘われるのを辞退しての帰り際、ニコールは「これは、アンリ・ジャンのプレゼントよ」と、超ミニ折り紙が入っているイヤリングを指差した。
その後、フォルニエ宅から歩いて数分、コール川沿いにあるリトアニア人・バストカスさん夫妻のお宅に花を届けた。ロンはカナダのトロント大学の前人類学教授、オナは土木エンジニアで、なんでもできるスーパーウーマンだ。彼女はロンの書斎になる空間の壁に暖房シートを張っている最中だった。彼女は「明日、書棚をつくる木材を買いにいくのよ」と弾んだ声で言っていた。5年前廃墟にちかい5世紀前の家を買った彼らは、ほとんど自力で見事な住居に蘇らせつつある。この夫妻とは昔からの友達のように波長が合う。この村が結んでくれた縁である。
元旦ヌーヴェル・クイジーン
クリスマス休暇で娘の恵実がストックホルムからやってきた。彼女はスウェーデン環境省の役人で地球温暖化対策を担当している。今月ドーハで開催された国連気象変動会議(COP18)など、海外出張が年間100日というから相当タフな仕事だ。しかし、元気なので安心した。彼女が持参した奥方の故郷スコーネ(スウェーデン南部)の塩漬ハムや胡椒クッキーはわたしの好物でもあるのでありがたい。
クリスマスの朝、毎年わたしたちは教会のミサに行く。今年はひさしぶりにドルドーニュの首都ペリギューにあるサン・フロン教会に行くことにした。ここは、ビザンチン世界にタイム・スリップしたかと錯覚するような5つのドームで知られ、サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼路の一部として世界遺産に登録されている。
サン・フロン教会だけではなく、どこの教会でもクリスマスの日にいつも心を動かされることがある。それはミサが終ると、前後左右に座っている、見知らぬ人同士が黙って握手する光景だ。信者でないわたしも力強く握手をする。これほど気持ちが和むことはない。
毎年、猛スピードでやってくる大晦日。年越し蕎麦とシャンパンで‘行く年、来る年‘を祝うわが家の行事は、結婚以来だからもう40年近くも続いている。シャンパンは意外に蕎麦と相性がいい。これこそ東西グルメ文化の融合!
横浜で暮らしていた頃は、港の汽笛やNHKの流す除夜の鐘で正月を迎えたが、ここにはサン・ジャン・ドコール村の教会の鐘がある。なにしろ11世紀に教会が建てられて以来、鳴り続けてきた音色である。
仏鐘に 諸行無常の 響きあり
【フランス田舎暮らし ~ バックナンバー】 著者プロフィール
土野繁樹(ひじの・しげき) フリー・ジャーナリスト。 釜山で生まれ下関で育つ。 同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。 TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て 「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。 2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。 |