2012.12.15 sat

ノーベル平和賞 ~フランス田舎暮らし(10)~

ノーベル平和賞 ~フランス田舎暮らし(10)~


土野繁樹


ノーベル賞メダルとEU旗                    The Nordic Age
 
 
日本から長旅をしてサン・ジャン村に帰ってきた翌日の12月10日、ノーベル平和賞の受賞式典をスウェーデン国営TVのオスロからの生中継で見た。受賞したEUを代表して飄々とした風貌のハーマン・ファン・ロンパイEU大統領が、壇上に上がりスピーチをはじめた。わたしは彼のメッセージにいたく感動した。その演説内容は日本では断片しか紹介されていないので、以下ノーベル財団提供の全文を翻訳した。題して「戦争から平和へ:ヨーロッパの物語」。読者の皆さんのEU理解の一助になると幸いです。

  
中央 ファン・ロンパイEU大統領 右 バローゾEU委員長 左 シュルツ欧州議会議長          European Council

 
戦争から平和へ:ヨーロッパの物語
ハーマン・フォン・ロンパイ EU大統領 
 
国王陛下、妃殿下、各国の元首、首相、ノルウェー・ノーベル委員会の皆さま、大使各位、ご列席の皆さま。今、われわれは謙虚な気持ちと感謝の念をもってEU(ヨーロッパ連合)を代表してこの賞をいただくため、この場に立っています。この不安な時代にあって、今日EUは、ヨーロッパと世界の人々に、ヨーロッパ諸国間の友愛の促進という基本目的を想起させています。現在も将来も、これこそが、われわれの仕事であり、先輩世代の仕事でもあり、次世代の仕事でもあります。このオスロの地で、わたしはヨーロッパ大陸に平和が訪れることを夢みて、それを絶え間ない努力で現実にした、すべての人々に敬意を表したいと思います。この賞は彼らに与えられたものです。
 
ヨーロッパの歴史は戦争の歴史でもありました。われわれの大陸は槍と刀、大砲と銃、塹壕と戦車により破壊され、その傷跡が残っています。その悲劇を2500年前すでにヘロドトスは「平和の時代には、息子が父親を埋葬し、戦争になると、父親が息子を埋葬する」と書き記しています。しかし、この大陸と世界を巻き込んだ二つ悲惨な大戦のあとヨーロッパに永続する平和がやってきました。
 
あの灰色の日々、都市は廃墟となり、人々の心がまだ悲嘆と怨恨の炎に苦しめられていた頃、ウィンストン・チャーチルが言う「生きるに値する喜びや希望を取り戻す」ことが、いかに難しく思えたことでしょう。
 
戦後ベルギーで生まれたわたしは、家族から戦争体験を聞きました。祖母は第一次大戦のことを語っていました。父からは、1940年、彼が17歳のときに自分の墓を掘ることを強制されたことを聞きました。幸いにも彼は生き延びたので、今わたしが存在しています。
 
戦後ヨーロッパの創設者たちは、なんと大胆なプロジェクトに取り組んだことでしょう。彼らは「われわれはこの終わりなき暴力の悪循環を断つことができる、復讐の条理を変えることができる、明るい未来をつくることができる」と考えたのです。なんと豊かな想像力でしょう。
 
もちろん、EUなしでもヨーロッパに平和が訪れたかもしれません。おそらく。しかし、それは誰にもわからないことです。確かなことは、その平和は現在われわれが享受しているものとは同質ではないということです。現在の平和は、冷たい停戦ではなく永続的な平和です。
 
それを可能にしたのは、和解です。これは特筆すべきことだと思います。人生においても政治においても、和解は最も困難なことです。これは、忘れる、許す、新しい頁を開く、を超えるものです。フランスとドイツは過去の軋轢を超えて、和解の道を選び、仏独友好条約に調印しました。わたしはドイツ語でFreundschaft,フランス語でAmitieという友情を意味する言葉を聞くと感動を覚えます。この言葉は個人の間のもので、国家間の条約の言葉ではありません。
 
コンラッド・アデナウワー(西独首相)が、1951年に欧州石炭鉄鋼共同体条約の調印のために、パリのホテルに着くと贈り物が待っていました。それは、あるフランスの兵士が大事に持っていた戦功十字賞でした。当時学生だった兵士の娘が、アデナウワーにこれは和解と希望を願う気持ちの表明です、と短いメッセージを付け父の勲章を贈りました。
 
他にも、わたしが感動した多くの光景が目に浮かびます。新しい未来を拓くために、永遠の都ローマに集まった6か国の首脳、ウィリー・ブラント(西独首相)がワルシャワで跪いた光景、グダニスク造船所のゲート前の港湾労働者、ミッテラン(仏大統領)とコール(独首相)が手を携えている光景、1989年、200万の人々がタリン、リガ、ヴィリニュスを結んだ人間の鎖。これらの瞬間がヨーロッパを癒しました。
 
しかし、象徴的な行動だけでは、平和を確立することはできません。それを実現するには、EUの“秘密兵器“が効果的です。それは、ヨーロッパ諸国の国益をしっかりと結び付け、物質的に戦争をすることを不可能にしたEUの新機軸です。
 
ひっきりなしの交渉、拡大する加盟国、増え続ける議題、これはEUの現実です。しかし、これはジャン・モネの黄金律「テーブルを挟んで戦ったほうが、戦場で戦うより良い」の実行でもあります。このことを、アルフレッド・ノーベルに説明を求められたら、わたしは次のように言います。これはたんなる和平会議ではありません。永遠の和平会議なのですと。
 
確かに、外部者でなくとも、当惑するような側面があります。内陸諸国の大臣が漁獲高の割り当て交渉に熱心に取り組む、スカンジナビアのEU議会議員がオリーブ・オイルの価格の討議に加わる、というような場面です。
 
とは言え、EUは妥協のアートを完成させました。ここには、勝利と敗北のドラマはありません。粘り強い交渉によって、すべての国がなんらかの利益を得る方式です。その結果、政治が退屈なものになりますが、これは小さな代償です。このシステムは機能し、平和は自明の理になっています。今では戦争は考えられません。しかし、考えられないということは“不可能”を意味しません。今日、ここにわれわれが参集されたのは、そのためでもあります。ヨーロッパは平和の約束を守らなければなりません。わたしは、これがEUの究極的な目的であると信じています。しかし、ヨーロッパはこの約束だけでは、もはやその市民を鼓舞することはできません。
 
ある意味で、戦争の記憶が消えつつあるのは良いことです。しかし、すべての地域でそうだという訳ではありません。ソ連による東欧支配が終わったのはわずか20年前ですし、その直後バルカン半島でのあの目を覆いたくなるような虐殺がありました。スレグレニツア虐殺のころに生まれたこどもは来年やっと18歳になります。しかし、彼らの幼い兄弟姉妹は、バルカン戦争のあと生まれたヨーロッパ初の戦後世代です。新しい戦後世代をつくってはなりません。
 
かつて戦争があった地域は、いま平和です。とは言え、もう一つの歴史的任務がわれわれの前にあります。それは、平和を維持する任務です。所詮、歴史は小説ではありません。ハッピーエンドで終わる本ではないのです。われわれは、起こるかもしれないことに責任をもって対応します。
 
そのことが今日ほど明らかなことはないでしょう。現在われわれは過去最悪の経済危機に直撃され、人々は困難な状況にあり、EUはその政治的結束が試されています。親は家計に苦しみ、労働者は解雇され、学生はいくら努力しても就職できない。このような状況下で彼らがヨーロッパを考えるとき、最初に思い浮かぶ言葉は平和ではないでしょう。
 
社会の基盤である繁栄と雇用が脅かされると、すでに忘れられたはずの断層やステレオタイプが再浮上してきます。一部の人々は、EUの既成の共同決定に異議を唱えるだけでなく、共同で決定するプロセスそのものに疑念を投げかけます。われわれはバランス感覚をもって事に臨むべきです。しかし、このような緊張があるとしても、過去の暗い時代に逆戻りすることはありません。
 
同時に、現在ヨーロッパが直面している試練はほんものです。アブラハム・リンカーンは「この国家が、あるいはまた、このような精神に育まれ、その理念に献身するあらゆる国家が、永続できるか否かの試練を受けている」(ゲティスバーグ演説)という言葉を残していますが、これは今日のEUが置かれた状況に似ています。
 
この問いにわれわれは行動で答え、成功することを確信しています。困難を克服し、成長と雇用を回復するために、EUは懸命に取り組んでいます。これは緊急課題です。しかし、われわれを導いているものは、これを超えるものです。それは自らの運命の主人であろうとする意志、一体感、何世紀もの間、歴史がわれわれに語りかけてきたヨーロッパの概念そのものです。
 
今日、ここに多くのヨーロッパ首脳が参列していますが、これは「われわれは共にこの危機を乗り越え、より強くなる」という共通の確信を示すものです。EUは強くなり、世界における自らの利益を守り、その価値観を促進します。
 
われわれは皆、現在と未来のこどものため、より良いヨーロッパを引き継ぐべく努力しています。その努力が実り、後世の人が、われわれの世代はヨーロッパの約束を守った、と評価することを願っています。
 
今日の若い世代はすでに新しい世界に生きています。彼らにとって、ヨーロッパは日常的な現実です。同じボートに乗る窮屈さではなく、彼らは自由に分かち合い、旅をして、交換する豊かさを味わっています。彼らは大陸と体験を分かち合い、未来を形作っています。
 
1945年の灰の中から蘇り、1989年に一つになったこの大陸は、自らを再生する偉大な能力を持っています。EUの冒険をさらに前進させるのは、次世代の仕事です。彼らがこの責任を誇りもって果たすことを期待しています。
 
Ich bin ein Europaer.(独語) Je suis fier d’etre europeen.(仏語) I am proud to be European(英語)   わたしはユーロツパ人であることを誇りに思います。
 
次世代の彼らもまた、こう言えることを願っています。


 
【フランス田舎暮らし ~ バックナンバー】 


著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

フリー・ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て
「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。