【リグミの解説】
党首討論会の報道姿勢
本日の新聞1面トップ記事は、読売、毎日、日経が「日本記者クラブ主催の11党首討論会」です。昨日のニコニコ動画での党首討論会に比べ、扱いが大きくなっています。
新聞から見れば、インターネットはメディア的な秩序が確立されていない空間であり、「ほんもの」と「にせもの」の情報が交錯する、どちらかというと無秩序な空間に見えるのではないかと思います。視聴者の反応がリアルタイムでダイレクトの返ってくるところも、戸惑いの原因になっているのではないしょうか。
「編集」の限界
一言で言うと、「編集」が効きにくい空間がインターネットです。新聞は、限られた紙面に何を書くか、徹底して推敲します。タイトルの表現と大きさ、インパクトのある写真をどこに配置するか。こうした「読ませるための工夫」も、ネット空間に入ると、有象無象の情報に中に埋没してしまいます。
新聞と並ぶ2大メディアであるテレビもまた、「編集」を大前提としています。NHKの国会中継のような貴重な例外もありますが、基本的にテレビは政治家の発言を映像と共に細かく再編集します。NHKの元アナウンサーによると、インタビューで30秒のコメントを収録するために、1時間の取材をするそうです。
オンエアーに値するワンフレーズ、見出しに大書きする一文を引き出すために、アナウンサーや記者は「質問力」を鍛え、本社は「編集力」を発揮してきました。しかし新聞もテレビも、生命線であった「編集」に限界が見えてきました。
情報の独占
従来のメディアが、「編集」の価値を発揮できた大きな理由のひとつに、「情報の独占」がありました。一般人は、政府や行政や企業などで何が起きているか、知る術はありませんでした。それを新聞やテレビが取材し、情報を編集して、読者や視聴者に提供してきました。
記者クラブという日本の独特の組織も、「情報の独占」には大変有効な仕組みなので、今日のように多くの疑問と批判に晒されるようになっても、大手マスコミから見直しの機運が生まれる兆しは見られません。
新しい時代の「目線」と「情報の質」
これからの報道の在り方を考える上で、2つのポイントがあります。1つは、目線です。「上から目線」か「対等な目線」か。伝統的なメディアは、「情報の独占」によって、行政、立法、司法に次ぐ第4の権力と呼ばれるまでの存在になりました。しかし、ネットの時代には、あらゆる個人がメディアになります。そこでは、あらゆる情報が自由に往来しており、そうした情報の発信と受信は、「対等な目線」で行われています。
2つ目のポイントが、情報の質です。マスコミが情報を独占できた時代には、情報の質は問われませんでした。大衆にとって、それはほとんど唯一の情報源であり、マスコミは「正しい情報」を提供してくれていると信じられていました。この信頼は、3.11で崩れました。特に東京電力福島第1原発事故で、「官制報道」を繰り返したために、読者や視聴者は何が本当かわからない大きな不信と不安にさらされました。しかし、ネットの中はもっと混乱していました。何が「ほんもの」か、どの情報が「にせもの」か、わからない混とんの中にありました。
「サードビュー」の価値
党首討論会で、党首のパフォーマンス的なワンフレーズが飛び交い、それをマスコミが脚色して報道する姿勢が、今回一層顕著になりました。今は、メディアの過渡期です。目線はどんどん「対等」になっていきます。情報はリアルタイムで双方向に流通するので、情報の独占を前提とした従来の「編集」は効かなくなります。その中で、「ほんもの」の情報をどうやって見つけていくか。
ひとつの現実的なソリューションに、「サードビュー」があります。マスコミの報道を横並びにし、客観的な「地図」にプロットすることで、A紙の「ファーストビュー」やB紙の「セカンドビュー」を俯瞰する「サードビュー」(第3の視点、全体を俯瞰する客観的な視点)を手に入れることで、自然と見えてくるものがあります。偏食は健康を害します。メディア情報も同じです。
(文責:梅本龍夫)
讀賣新聞
【記事要約】 「11党首、原発で論戦」
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
朝日新聞
【記事要約】 「甲状腺被曝、最高1.2万ミリシーベルト」
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
毎日新聞
【記事要約】 「11党首、直接対決」
(毎日jp http://mainichi.jp/)
日経新聞
【記事要約】 「安倍総裁『物価目標2%』、野田首相『1%が現実的』」
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
東京新聞
【記事要約】 「脱原発、未来伸ばす」