2012.11.05 mon

アルファロメオ ~フランス田舎暮らし(6)~

アルファロメオ ~フランス田舎暮らし(6)~


土野繁樹

アルファロメオ
 
 こちらで暮らしはじめるまで、わが家は車とは無縁だった。結婚以来、共稼ぎで東京と横浜で30年暮らしたが、自家用車を持ったことはなかった。そもそも運転免許がなかったのだから、持ちようもない。ところが、フランスの田舎への移住を決めてから事情が変わった。東京都の15倍の広さに、人口40万のドルドーニュ県では車なしでは生活ができないからだ。
 
 移住をきめた当時、わたしはまだサラリーマンで目黒の事務所に通勤していたが、一念発起、近くにある日の丸自動車に入学した。指導員に絞られ、実地試験に落ちること2回、やっと仮免をとるところまでこぎつけた。卒業式の日の教習所校長の祝辞がふるっていた。「この教習所の実地試験は、目黒、渋谷という全国でも最も難しいコースを走るテストです。日の丸自動車は教習所の東大と言われています。皆さんおめでとうございます」。その日以来、わが家でわたしは「ドライヴィング・スクールの東大をでた男」として知られるようになった。
 
 全国一の難関の自動車学校を卒業したわたしが8年前に当地で手にいれたのは、ルノーのクリオの中古だった。人生ではじめて所有した黒塗りの小型車を夕闇のなかで愛でていたわが姿を思い出す。その数年前、奥方がルノーのメガン(メガーヌ)の中古を買い使っていたのだが、わたしはマニュアル運転ができないので助手席に座っているだけだった。
 
 これでは行動範囲が限られてしまうと思い、オートマ車を購入した。車は人の行動範囲を飛躍的に拡大する、20世紀最大の発明は自動車である、と英エコノミスト誌の編集長が書いていたが、21世紀になってそれを実感している。
 
 数か月前、メガンの調子が悪くなった。ガレージで調べると修理をすれば大丈夫だという。しかし、修理代は高いし、前のオーナーも含めると15年も走り、エアバッグもないから車を買うことにした。新聞記者をしていた奥方はインターネットで得意のリサーチを猛然と開始。はじめは中古を探していたが、人生に一度は新車に乗ろうと方針転換、その結果浮上したのがアルファロメオのMITOだった。デザインが素晴しい。エアバッグが7つもある。小型車だから価格もそこそこで、日本で買う半額だ。「この車に乗ると10年若返りますよ」とセールスマンのオリヴィエが言う。この殺し文句で陥落。
 

村の教会前のMITO
 
 頭金10%を払い2か月後受け取りの契約書にサインをした直後、ベルジュラックで暮らすバンバリ夫妻の家に招待された。その日、ストックホルムに住むエドマン夫妻も招待されていた。二人のムッシュは東京でビジネスマンとして活躍し、日本を第二の故郷と思っている親日家だ。とくに、25年を東京で過ごしたエドマンさんは自らを江戸男と称している。その日宴もたけなわになったころ、奥方がアルファロメオの話をすると、彼は「メイド・イン・イタリア?大丈夫かな」「それにしても、ヤードはリスクが好きだね。日本人と結婚し、フランスに移住し、そのうえイタリア車を買うとは」とひやかすと、奥方曰く「ハイリスク、ハイリターンがわたしの人生哲学よ。ご心配なく」

バンバリ邸のワイン貯蔵庫で (左より)バーブロ(バンバリ夫人) 筆者 ヤード 
キキ(エドマン夫人) ご主人のピーター・バンバリさん    Goran Edman
 
 車が届くはずの日の数日前、アルファロメオの販売店に電話すると、すこし遅れるという。その後、なんども連絡をとり販売店に車が到着したのは約束の期日の2週間後だった。手続きに1週間かかったから、都合3週間の遅れである。この呑気さにいささか呆れたが、こちらで暮らすには忍耐力がいる。
 
 車受け取りの日の朝、販売店に引き渡すメガンを洗い、長い間お世話になったな、と思いながら丁寧に磨いた。きれいになったメガンで、奥方とわたしはペリギューの販売店に到着(自宅お届けサーヴィスはありません)。オリヴィエが笑顔で出迎え、大柄な女性マネージャーの部屋に案内する。保証契約などいくつかの書類にサインをしたあとのことだ。
 
 「メガンの廃棄処分同意のサインお願いします」とマネージャーが突然言った。8万㌔しか走っていないので、中古市場で再利用されるものとばかり思っていたのでびっくり。この車に愛着があった奥方の表情が変わり「可哀そうね」とつぶやいた。しばし沈黙が続いたあと、奥方の気持ちを察したマネージャーは「メガンの役割が終わって、MITOがお待ちかねですよ」と慰めた。15年も前の車は価値がないので廃棄処分にするのが、販売店の方針だという。ヤードは悲しそうな顔でサインをした。もったいないことだ。

さよならメガン
 
 奥方は愛用しているモノに時々話しかける。先日も、半世紀前に父親から贈られたシンガー・ミシンが故障したとき「頑張ってね」と言っていた。モノにも命が宿るという考えは、日本的なものだが、奥方にそれが根付いたのだろうか。

 日本には針供養のように引退するモノに感謝する儀式があるが、奥方によるとキリスト教にはモノを供養するコンセプトはないという。マネージャーの部屋をでて、二人でそんなことをしゃべっているところに、オリヴィエがお祝いのシャンパンの瓶をもって現れた。
 

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著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

フリー・ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て
「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。