2012.10.25 thu

仏独和解50周年 ~フランスの田舎から (5)~

仏独和解50周年 ~フランスの田舎から (5)~


土野繁樹

     仏独和解50周年記念式典のオランド(左)とメルケル     : Bundesregierung/Kugler 
 
  尖閣の領有権をめぐる日中の対立が先鋭化し、中国が日中国交正常化40周年の記念行事をキャンセルした9月末、ドイツ南西部の都市ルートヴィヒスブルグで独仏和解50周年の記念式典が行われた。TVニュースはこの式典の様子を大きく伝えていた。オランド仏大統領とメルケル独首相は、50年前、ドゴール仏大統領が7000人のドイツの若者に向かって語りかけた同じ場所に立ち、仏独の絆を称え、ヨーロッパ統一の推進を宣言した。オランドはドイツ語で、メルケルはフランス語で”仏独(独仏)の友情に万歳”と締めくくった。


           ロンドンのBBSスタジオから、フランス国民にヒトラ―打倒を呼びかける
           ドゴール(1940年6月18日)     “De Gaulle” Editions Mollere 

 
 50年前の1962年は第二次世界大戦が終わってまだ20年も経っていない。ドゴール将軍はビシー政権の対独融和政策に反旗を翻しロンドンで亡命政権を樹立、ヒットラーのドイツと戦いフランスを解放した国民的英雄だった。その戦勝国の大統領が戦後はじめてドイツ(当時は西ドイツ)を訪問したのである。六都市を歴訪したあと、ドゴールはルートヴィヒスブルグの城を背景に、草稿もなくドイツ語で演説をする。「ドイツの青年諸君、皆さんは偉大な国の若者だ。過去に過ちを犯したが、ドイツは偉大な国だ」。これはドゴールの仇敵への和解のメッセージだった。この演説をラジオで聞いていたドイツの友人マンフレッドは「当時、少年だったぼくは感激した。これで新しい時代がはじまると思った」と語っていたのを思い出す。
 

 仏独和解のもう一人の主役はアデナウワー独首相である。戦前、アデナウワーはケルン市長をしていたが、反ナチスでヒットラーと握手をするのを拒否した硬骨漢で、戦後は首相としてドイツの奇跡の復興を指導した。ドゴールとアデナウワーは20世紀の二つの大戦を体験し、二度とヨーロッパを戦火に曝さないことを誓っていた。そのためには、仏独が宿敵から友人にならなくてはならない。二人は個人的会合を重ね親密になった。


              エリゼ条約調印 ドゴール(右)とアデナウワー      Deutsche Welle
 
 ルートヴィヒスブルグの演説から6か月後の1963年1月の凍てつくような日に、パリのエリゼ宮で仏独友好条約が結ばれる。「両首脳がスピーチをしたあと、調印式はわずか5分で終わった」とドイツのディ・ツァイト紙のテオ・ゾンマー記者は書いている。しかし、この3分間は平和なヨーロッパ誕生の瞬間だった。

 この条約で両国は外交、安全保障、文化政策、青年交流などの重要課題についての協力を約束した。ドゴールとアデナウワーの卓見は、両国の将来にとって最も大事なことは青年交流にあると考えたことだ。条約調印から半年後にパリとボン(のちベルリン)に仏独青年交流センターが設置され、両国の若者がお互いの国を訪れ相互理解を深めるプロジェクトがはじまった。この半世紀の間に、800万人の青年が30万の交流プログラムに参加している。学生、生徒の留学・ホームステイ・語学研修、職業訓練生の共同研修などを通じて、友情が生まれ両国間の絆が深まったのである。青年期に異国で暮らし、その文化と言語を学び、人の喜怒哀楽には国境がないことを実感した彼らは相手の国に親しみを持った。この感情こそ平和の基盤だろう。


               共同ボランティア活動に参加した16人の独仏の若者        OFAJ

 平和を永続させるためにはシステムがいる。戦後、ヨーロッパはそのシステム創りの第一歩を踏み出している。1951年に調印された欧州石炭鉄鋼共同体がそれである。仏独伊など六か国が基本物資である石炭と鉄鋼の共同管理に合意し、超国家的な組織によってそれを運営した。これはEUの父と呼ばれる二人のフランス人ジャン・モネとロベール・シューマンの構想だった。戦争物資でもある石炭と鉄鋼を共同管理下に置いた彼らは知恵者だった。この同盟は後のEUの創設につながるのだが、仏独の和解なしではEUは実現しなかっただろう。

 同盟を提唱したシューマン(仏外相)は「世界平和は、それを脅かす危険に対応できる創造的努力なくして、守ることはできない」と宣言している。この「平和は創るものである」との理念のもと、和解を推進しEUを建設・発展させてきた、歴代の独仏首脳の努力は見事に実を結んでいる。フランス人に「あなたはヨーロッパで最も尊敬する国はどこですか」と聞くと84%がドイツと答え、ドイツ人に同じ質問をすると80%がフランスと答える(Pew Research Centerの世論調査 2012年5月)。

 戦争に明け暮れたヨーロッパで平和が70年も続いているのは、1410年(タンネンベルグの戦い)以降はじめてのことだ。EU圏内で領土問題はなく、国境が消えたいま、戦争が起こることなど考えられない。国家主権を超えるシステムを創りつつあるEUは、一言でいうと平和プロジェクトである。EUは2012年のノーベル平和賞を受賞した。経済運営について時に意見の違いはあるが、仏独首脳のEUを守る決意は固い。ユーロ危機でEUが崩壊することはないだろう。

 ヨーロッパに比べて東アジアの状況は対照的だ。日中間の尖閣諸島の領有権をめぐる不毛なナショナリズムの対立が高まっている。あのヤギしかいない無人島を巡って軍事衝突をする愚は犯してはならない。戦争をして、どちらが勝っても、なんの解決にもならないからだ。日中は領有権問題をこれまでのように棚上げにして、尖閣の石油資源の共同開発をするのが最善の方法だ。日中の政治家と国民は和解のための知恵を絞らなくてはならない。仏独は和解し50年かけてEUを創った。東アジア共同体は50年かけても実現する価値のあるプロジェクトではなかろうか。

 
 
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著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)

フリー・ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て
「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。