こちらは、シリアと比較してミャンマーが開放体制に移行していることを評価する記事です。
その理由として、アジア諸国が経済的果実を手にしつつあるのに対して、中東は不安定であり、トルコなど一部を除いて経済浮揚ができていないことに原因がある、としています。そして、アジアが今日の経済基盤を作れたのは、ひとつには日本の「開発主義」のアプローチがあった、という認識を示しています。
政府開発援助(ODA)と民間資金を使って、日本の技術と経済力を現地とむすびつけ、アジア全体の経済浮揚を実現した面は、確かにあると思います。
「日本の手法は、欧米からしばしば、『人権、民主主義の軽視』と批判されてきたが、経済発展は権威主義的体制の国にも政治改革を促し民主主義へと脱皮をさせた」、と西川さん。
日本モデルの価値日本は1945年の敗戦によって文字通り国土が灰燼に帰しました。政治・経済・社会、さらには文化伝統のすべての分野で、「日本とは何か」を再構築しなければなりませんでした。
日本は外交においても、軍事力などのわかりやすいハードパワーには頼らず、経済力を着実につけ、経済的な援助を発展途上国にしていく取り組みを地道に続けてきたのは、上記の記事にあるとおりです。
そうした日本外交の現場で、人権を原理原則として主張することはなかったかもしれません。しかし日本は、軍事力に頼らずに、平和で安定し、経済的に豊かな社会を創れることを外国にも静かにアピールしてきました。
日本モデルは、国民全体の教育水準や技術力が高く、さらに学習意欲も旺盛で、現場で組織的に改善努力を積み重ねていく、というものです。それは国家に強制されたものではなく、創意工夫し生活基盤や文化芸能を豊かにしていく日本の伝統そのものといっていいと思います。そして何より、戦後の民主主義の体制が発展を支えるものとなりました。
一部のエリートだけがリーダーシップを発揮し、民衆は盲目的な存在として扱われる非民主的で専制的な開発モデルに対して、日本モデルは、民主主義を基本とした資本主義の長所を実証するものとなりました。しかも、人権といった原理的価値観を押しつけなかったことにより、専制的な体制にある国々にとっては、日本モデルは、経済発展なメリットを現実的に追求しやすいものだったのでしょう。
もちろん、韓国、台湾、シンガポール、マレイシア、タイ、ベトナム、そして最近のミャンマーの事例は、それぞれ複雑な内政事情や国際政治の現実が綾となって作り上げられたきたものであり、単純に日本の外交や経済援助、技術支援が奏功したと断言することはできません。それでも、戦後の日本の驚異的な経済発展と地道な外交的取組をベースとした日本モデルが、東アジアや東南アジアの国々に大きな影響を与えてきたことは間違いありません。
アジアの成功モデルを輸出する時代これはまったくの推測に過ぎませんが、中国は、こうした日本の対外援助の手法を研究し、自国の対外政策に応用しようとしているのではないかと思います。
欧米諸国は、「人権」を原理原則として主張する傾向があります。一方の中国は、欧米の人権問題批判をを内政干渉として排除してきました。しかし、「盲目の人権活動家」陳光誠氏の米国亡命希望を巡る米中のやりとりを見ていると、中国政府は、人権問題の外交的な対処に相当に苦慮している様子がうかがえます。(参照:
http://jp.wsj.com/World/China/node_438206)