2012.05.14 mon

外交は国の戦略ストーリーを実践する場

外交は国の戦略ストーリーを実践する場


日経新聞朝刊2面
2012.04.23
「在外公館『選択と集中』進まず」
 

アフリカの在外公館の配置数は6割弱
玄葉外務大臣が、日本の在外公館の戦略的な配置に意欲を見せている、という記事です。現在の大使館数は134ですが、それを150まで増やし、資源が豊富なアフリカなどとの関係を強化したい考えです。

アフリカには54の国がありますが、日本の大使館があるのはその内の32ヵ国に留まります。一方でアフリカの資源を重視している中国は、既に49の大使館があります。

新興国での日本の存在感を増やすためには、先進国から人員の配置転換を進める必要がありますが、計画通りには進んでいないようです。

この記事は、日本の公館における領事担当者数が米国(約5人)やフランス(約7人)に比べて著しく少ない1.7人であり、業務に支障をきたす事例を紹介する一方で、日本の在外公館は、豪華な建物や高額の人件費がかねてから批判の対象となっており、特別手当や人員の削減が求められている、と結んでいます。

外交は戦略的な取り組むべき分野
まず、アフリカに54ヵ国あるという現実がアフリカの今を象徴していますが、日本の大使館を置いている率が約6割に留まることにも驚きます。

日本人にとってアフリカは物理的にも心理的にも遠い大陸ですが、政治的にも経済的にも将来に向けて戦略的な関係づくりに今から取り組むべきだと思います。

今の日本は、無駄なお金を政府も官僚も使っていて国民が犠牲になっているという論調が主流になっています。
そういう面は多々あるでしょう。外務省の役人や実際に赴任する外交官の資質や活動内容を厳しく問うことも必要でしょう。しかし、問題をたたくだけでは日本の将来を構築することはできません。

特に外交や経済援助そして文化交流は、時間をかけて戦略的に構築していくことで長期的な果実を手にするものです。

アジア外交に長期的に取り組んできた日本
そう考えるのは、アジアの先行事例があるからです。アジアがほとんど世界の注目を集めなかった時代に、日本は地道な援助活動を続けてきました。

参考として、毎日新聞の専門編集委員の西川さんの記事を掲載します。

毎日新聞朝刊3面
2012.04.13
「アジア的関与の評価」

こちらは、シリアと比較してミャンマーが開放体制に移行していることを評価する記事です。

その理由として、アジア諸国が経済的果実を手にしつつあるのに対して、中東は不安定であり、トルコなど一部を除いて経済浮揚ができていないことに原因がある、としています。そして、アジアが今日の経済基盤を作れたのは、ひとつには日本の「開発主義」のアプローチがあった、という認識を示しています。

政府開発援助(ODA)と民間資金を使って、日本の技術と経済力を現地とむすびつけ、アジア全体の経済浮揚を実現した面は、確かにあると思います。

「日本の手法は、欧米からしばしば、『人権、民主主義の軽視』と批判されてきたが、経済発展は権威主義的体制の国にも政治改革を促し民主主義へと脱皮をさせた」、と西川さん。

日本モデルの価値
日本は1945年の敗戦によって文字通り国土が灰燼に帰しました。政治・経済・社会、さらには文化伝統のすべての分野で、「日本とは何か」を再構築しなければなりませんでした。

日本は外交においても、軍事力などのわかりやすいハードパワーには頼らず、経済力を着実につけ、経済的な援助を発展途上国にしていく取り組みを地道に続けてきたのは、上記の記事にあるとおりです。

そうした日本外交の現場で、人権を原理原則として主張することはなかったかもしれません。しかし日本は、軍事力に頼らずに、平和で安定し、経済的に豊かな社会を創れることを外国にも静かにアピールしてきました。

日本モデルは、国民全体の教育水準や技術力が高く、さらに学習意欲も旺盛で、現場で組織的に改善努力を積み重ねていく、というものです。それは国家に強制されたものではなく、創意工夫し生活基盤や文化芸能を豊かにしていく日本の伝統そのものといっていいと思います。そして何より、戦後の民主主義の体制が発展を支えるものとなりました。

一部のエリートだけがリーダーシップを発揮し、民衆は盲目的な存在として扱われる非民主的で専制的な開発モデルに対して、日本モデルは、民主主義を基本とした資本主義の長所を実証するものとなりました。しかも、人権といった原理的価値観を押しつけなかったことにより、専制的な体制にある国々にとっては、日本モデルは、経済発展なメリットを現実的に追求しやすいものだったのでしょう。

もちろん、韓国、台湾、シンガポール、マレイシア、タイ、ベトナム、そして最近のミャンマーの事例は、それぞれ複雑な内政事情や国際政治の現実が綾となって作り上げられたきたものであり、単純に日本の外交や経済援助、技術支援が奏功したと断言することはできません。それでも、戦後の日本の驚異的な経済発展と地道な外交的取組をベースとした日本モデルが、東アジアや東南アジアの国々に大きな影響を与えてきたことは間違いありません。

アジアの成功モデルを輸出する時代
これはまったくの推測に過ぎませんが、中国は、こうした日本の対外援助の手法を研究し、自国の対外政策に応用しようとしているのではないかと思います。

欧米諸国は、「人権」を原理原則として主張する傾向があります。一方の中国は、欧米の人権問題批判をを内政干渉として排除してきました。しかし、「盲目の人権活動家」陳光誠氏の米国亡命希望を巡る米中のやりとりを見ていると、中国政府は、人権問題の外交的な対処に相当に苦慮している様子がうかがえます。(参照:http://jp.wsj.com/World/China/node_438206

中国がいつまで内政干渉を排除する論理で、諸外国の批判をかわせるかはわかりません。中国が徐々に民主的な対応に順応していくことを期待したいところです。

日本モデルは、戦後60年以上を経て、成熟化してきています。かつて経済援助、技術援助中心であったものが、今後は、政治・経済・社会の安定的成長をもたらす社会インフラ全体の構築支援へと向かうのではないかと予想されます。

社会インフラの中には、政治体制が含まれます。成熟した民主主義が、結局は国を豊かにしていく、という新しい日本モデルが、アジア全体の成功モデルの鋳型になるように、日本は尽力すべきです。本当の豊かさは、経済だけでは達成されません。自由に職業や生き方を選択できる社会。多様性が認められ、しかも基本的な価値観を共有し、助け合い支え合えるコミュニティ。文化・伝統とつながり、しかも窮屈でない自在で創造的な社会。

それは、人権といった原理原則を声高に主張しなくても、結果として自由と人権の大切さが認められていく体制づくりにつながるものではないかと思うのです。

外交は「ヒト・モノ・カネ」を有効に配置する戦略ストーリー
日本は明治維新から80年間、ハードパワーを追求し続け、1945年にすべてを失いました。戦後は一転、ソフトパワーを追求してきました。東日本大震災で、あきらかに経済的余裕に乏しい国からも支援がなされた理由として、日本の援助に対する感謝と御礼の気持ちがあったことを、私たちは報道などを通じて知りました。

外交は、軍事力と経済力を背景としたハードパワーの中軸です。しかし同時に、文化や伝統、自然環境などの国としての魅力、さらにはさまざまな問題を解決する能力といったソフトパワーもまた、外交の重要な軸となります。そうしたソフトパワーを輸出することが今後の日本モデルの発展のカギとなります。

その際にかならず必要となるのが、「人の援助」と「技術の援助」と「お金の援助」。ビジネスでいう3つの経営資源の「ヒト、モノ、カネ」の重要性は、外交でも同じではないかと思います。

外交において場当たりでない、本当の意味での長期戦略を構築し実行できる日本であってほしいと思います。外交は、科学技術の開発と合わせて、予算を削減すべきではなく、むしろ「選択と集中」で「ヒト、モノ、カネ」を増やすべき分野です。

日本が戦後営々として発展させてきた経済力は、日本の文化や伝統に根ざしつつも、それを新しい時代に合わせて変容させてきた成果物です。芭蕉のいう「不易流行」(不変の軸と変化し続ける表現の両立)があって、戦後の日本の驚異的な復興と繁栄は成されたのだと言えます。

そうした日本のソフトパワーをしっかりと認識し、それを戦略ストーリーとしてまとめあげ、アフリカを含めた今後発展する地域に応用していって欲しいと思います。