【リグミの解説】
感情や感動の共有
「文化の交換は『我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ』という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ」(村上春樹―2012年9月28日付朝日新聞朝刊3面)。
今朝の朝日新聞は、村上春樹さんが日中韓の領土問題に関するエッセーを朝日に寄せたことを、1面トップで報じています。尖閣諸島と竹島の領土問題が引き起こした騒動は、一線を超える勢いになっています。週刊誌や月刊誌の多くも、勇ましいタイトルをつけた記事を掲載しています。余りに過激で偏向した主張は論外ですが、相手の非を批判し、自国の理を説くのは、間違ったことではありません。
しかし、対立を前提した議論だけでは解決しないものがあることを、村上さんのエッセーは伝えています。「日中友好」という言葉に象徴される政治的な「建前」が、賞味期限を過ぎた今、東アジアのうねりに対応できる、新しい枠組みが必要になっているのではないでしょうか。
新しい枠組みの模索
そうした新フレームワークは、「認識の仕方」と「行動の規範」を再定義するものとなります。「日中友好」の枠組みは、仲良くすれば共通の利益を追求できる、というものでした。新しい枠組みは、互いの「違い」を認めます。文化も社会習慣も価値観も違い、歴史認識もすり合わず、政治・経済の目指すところも一致しない。そういう現実の捉え方、認識の仕方からスタートします。
では自分と「違い」がある相手とどう付き合うのか。異質なものとして排除し、攻撃するのか。あるいは自分にないものを持った興味深い相手として接近し、交流を図るのか。「行動の規範」は、対立軸がはっきり見えたときにこそ、価値が出てきます。「違い」は否定されるべきものなのか、価値をあるものとみなされるべきなのか。
「違い」を肯定する人、否定する人
ビジネスの世界では、「違い」は価値があります。「違い」を創ることで、企業はユニークな価値を顧客に提供できるからです。「違い」を創ることは、戦略そのものといえます。企業は、「同質」の戦いになると、価格競争に巻き込まれ疲弊します。「違い」を創れると、たくさんの利益を生み出せます。国同士の政治や、異国の人たちとの文化や社会の交流においてはどうでしょうか。
産業革命から第二次世界大戦ぐらいまで、欧米白人社会が世界をリードしてきました。黒人やヒスパニックや黄色人種は、劣等な存在とみなされました。肌の色や文化や歴史の「違い」は、序列の対象になっていました。男性に対する女性の地位も同様でした。今日でも、欧米におけるイスラム教の位置づけは、異質で排除されるべきものになっています。キリスト教徒にとってイスラムの「異教徒」は、信仰が異なるだけでなく、見た目も食べ物も日常生活も、すべてが異質とみなされ、価値観を共有できない相手になってしまっています。
人類は、「違い」に戸惑い、「違い」と上手につきあう「行動の規範」をまだまだ暗中模索している段階です。答はどこにあるのでしょうか。
科学と芸術の行動規範
単純化していえば、政治は「違い」を排除する負のエネルギーを内在しています。ビジネスは「違い」を利用して得しようとするインセンティブを内在させています。しかし、サイエンス(自然科学と社会科学)やアート(文学や音楽や芸術)は、「違い」の奥に「不変の法則」や「本質的な価値の一致」を見出す行動規範を内在しています。
サイエンスとアートを駆動している心のエネルギーは、「好奇心」「探求心」「創造性」です。その奥には人間性の本質である「共感力」があります。「違い」を偏見のない目で見つめ続けると、本質的な共通性を発見します。「不変でひとつのもの」から、多様な世界が生み出される不思議を探求するサイエンス。その無限の創造性を全身全霊で楽しむアート。
村上春樹さんの言葉は、隣国と自国の「違い」の奥にある「共感力」のベースを教えてくれます。それをどうやって行動規範にまで高めていくか、私たちの「好奇心」「探求心」「創造性」が問われています。
(文責:梅本龍夫)
讀賣新聞
【記事】 東ガス、東電火力に出資
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
朝日新聞
【記事】 魂の道筋塞いではならない ~村上春樹さんが寄稿
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
毎日新聞
【記事】 厚生年金基金廃止へ
(毎日jp http://mainichi.jp/)
日経新聞
【記事】 ソニー、オリンパスと内視鏡会社
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
東京新聞
【記事】 「相互誤解」続いている ~「日中友好」を超えて(上)