【リグミの解説】
「日中友好」の歴史
本日の1面トップ記事は、読売と毎日が「日中国交正常化40周年記念式典の中止」です。朝日、日経、東京も2番目の記事として大きく扱っています。尖閣諸島の国有化に端を発した反日の動きを受け、40周年という節目の年に、日中が仲違いし、友好の証である式典も中止するというのは、残念なことです。
1972年の日中国交回復のための交渉は、日本の田中角栄首相と中国の周恩来首相の間で成されました。日中戦争の負の遺産にどう向き合うかは、両国にとって大きなテーマであったと思います。周恩来氏、「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」という「未来志向」の考え方を提唱し、共同声明の成立に向け大きく前進したとされます(参照:Wikipedia)。
その後、田中首相は毛沢東主席と会談。冒頭で毛沢東は「周首相との喧嘩はすみましたか。喧嘩はしなきゃ駄目ですよ。互いに云うべきことを主張し喧嘩してこそ仲良くなれるものです」と発言。田中角栄は、「ええ、周恩来首相と円満に話し合っております。いいたいことは、一つ残さずに話したつもりです」。それに対して毛沢東は、「そう、それで結構、喧嘩をしてこそ仲良くなれます。本当の友情が生まれます」と答えた、と伝えられます(参照:「毛沢東―角栄首脳会談の秘話」)。
デッドロック条項
ビジネスと政治は異なりますが、外国企業と合弁事業を設立するときなどは、外交交渉のようなやりとりも成されるもの。そこで大事なことは、3つあります。
40年サイクル
40年前の日中国交回復交渉の席で、両国首脳は、本音で語り合い、未来志向で臨みました。しかし、国と国の関係は永続が前提であり、夫婦喧嘩の和解方法や離婚を想定した「デッドロック条項」を交わすのはなじまない考え方です。そこで、ケンカの火種となる歴史認識や領土問題を抱える両国は、「友好」の2文字に希望を託し、問題に蓋をして大火になるのを回避してきました。それは、両国が「未来志向で臨む」ための知恵でしたが、「本音で語り合う」という大事な前提を置き去りにする結果になりました。
40年は、時代が変わる象徴的な年数です。日本の近現代史を見ると、まさに40年サイクルで大きな動きをしています。1868年の明治維新から日露戦争勝利の1905年までの約40年で日本は、欧米列強に伍す「富国強兵・殖産興業」に成功しました。しかし次の40年は「軍国主義」に傾斜していき、1945年の敗戦ですべてを失いました。戦後一転して「平和主義」に転じた日本は、1985年までの40年間で、「Japan as Number One」と呼ばれるところまで到達しました。しかし、つぎの40年サイクルの前半は「失われた20年間」と言われ、国の方向性を見失っているように見えます。
建前から本音へ
日中関係も同じかもしれません。「友好」という「建前」は賞味期限を過ぎました。2006年から、「戦略的互恵関係」という表現も使われるようになりましたが、喧嘩を辞さず「本音」を探り合うレベルまでは行きませんでした。
今、日中両国が喧嘩状態なのは大変不幸なことです。しかし、起きたことを棚上げする戦術も、もう有効ではないと思います。厳しい現状を逆手にとって、「デッドロック条項」を交渉するのも一手です。離婚や関係終了の条項としてではなく、最悪の事態を回避し、「復旧」「復興」「再生」を果たしていくための工程表(ロードマップ)を話し合い合意するというものです。
ビジネスの現場で、「本音」をぶつけ合う厳しい交渉を本気でやれば、「友好」という社交レベルでない、「友情」とも呼ぶべき信頼関係が目覚めるもの。国と国の関係においても、実務者同士、そして要人同士の「友情」を作りあがることが、どれほど大切なことか。グローバル時代の最大のテーマと言っても、過言ではありません。
(文責:梅本龍夫)
讀賣新聞
【記事】 日中国交40年式典中止
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
朝日新聞
【記事】 石破氏、地方票集め先行
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
毎日新聞
【記事】 国交40年式典を中止
(毎日jp http://mainichi.jp/)
日経新聞
【記事】 五感を超える力 ~ネット・人類・未来
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
東京新聞
【記事】 消えた原発凍結宣言 ~レベル7 (2)