【リグミの解説】
2つの騒乱
昨日の新聞は、イスラム教の預言者ムハンマドを侮辱する米映画への抗議行動が、中東イスラム圏からアフリカ、アジア、欧州にも広がっていることを大きく報じました。抗議対象も、米大使館から英独大使館にも及び、「反米」が「反米欧」になる様相です。
そして、本日の読売、朝日、毎日、日経の各紙はそろって、1面トップで中国の反日デモを報じています。1日のデモとして、1972年の日中国交正常化以来、最大規模といわれ、中国各地で抗議行動が過激化し、日系企業や店舗への破壊行動が続いています。日経新聞は、日系工場への攻撃は過去にあまり例がない、と驚きをもって報道しています。
この2つの騒乱は、問題の背景も、発生地域も、当事国もすべて違います。それにもかかわらず、驚くほど似ている感じがします。反米デモも反日デモも、インターネットでデモの呼びかけがあり、同時多発的に拡大しています。さらに、記念日や公式行事などに絡めて、デモが過激化することが懸念されるています。反米活動は、イスラム教の金曜礼拝の影響が指摘され、反日活動は、満州事変の発端となった柳条湖事件の発生日となる18日に、さらに過激化する懸念があります。
そしてどちらのデモも、抗議行動の矛先が、今後どこに向かうことになるかわからないことが、一番やっかいな点です。デモ参加者の本当の「思い」はどこにあるのか、そのことが問われています。
デモの本質
反米デモは、預言者ムハンマドを侮辱する映画に抗議する意図があったのでしょうが、それならば映画製作者を非難すれば良いものを、なぜ米国政府が攻撃対象となってしまうのでしょうか。同様に、尖閣諸島の国有化に抗議するのであれば、反日デモは日本政府にのみ向けられれば良いものを、なぜ日本料理店や日本車や日系工場が襲撃されてしまうのでしょうか。
同じデモという形の抗議行動でも、労働組合の賃上げ交渉や、薬害被害者が国に救済を訴える行動などは、活動の大義と具体的な要求内容が一致しており、目標達成に向けて軸をぶらさずに進みます。
歴史的に大きな成果を上げたデモとして記憶されるのが、マハトマ・ガンディーのインド独立運動と、マーティン・ルーサー・キング牧師が米国の黒人差別撤廃を求めた公民権運動です。どちらも巨大なうねりとなった抗議活動でしたが、非暴力と調和を志向していたことにおいて、見事に一致していました。
「対話」の始まり
デモは、共通の「思い」をもった人々が自主的に集い、自由に意思表明し、抗議行動をするという現象です。しかしデモの本質は、示威と破壊にはありません。むしろその逆です。デモが暴徒化したとき、デモの大義は汚され、破壊されます。共通の「思い」をもった人々が結託し、抗議対象に理不尽な攻撃を加えた時、デモは理念を失うのです。
デモが本当に効果を発揮する大前提は、非暴力です。そして、誰に対して何を要求するのかという軸をぶらすことなく、静かな意志で、高邁な理念達成に向け、忍耐強く活動する。そのことで、はじめてデモは、所期の目的を達成しえる行為となります。なぜなら、非暴力の高邁な行為は、かならず傍観者の共感を得るものとなり、やがて反対者の耳にも真摯に届くものとなるからです。
そこから、本当の「対話」が始まります。
(文責:梅本龍夫)
讀賣新聞
【記事】 中国デモ、日系企業襲う
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
朝日新聞
【記事】 日系企業襲われる
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
毎日新聞
【記事】 中国反日デモ放火、略奪
(毎日jp http://mainichi.jp/)
日経新聞
【記事】 日系企業を破壊・略奪
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
東京新聞
【記事】 復興予算、原子力ムラに