【リグミの解説】
評判と評価
人と人が出会い、一緒に活動をする社会では、人物として「評判」が良く、仕事内容が高く「評価」されることが大切。でも、「評判」の良い人と、高く「評価」される人は、かならずしも一致しません。
今朝の読売、朝日、毎日、日経はそろって、民主党と自民党の党首選に誰が立候補するのか、本命は誰かという記事です。ほとんどの新聞が「立候補」ではなく「出馬」という単語を使うこともあって、何やら競馬の予想記事のようで、深みに欠けます。党内の「評判」だけ追いかけて、次の国家元首にふさわしい候補者か、という「評価」がなされないからだと思います。
どうやらこの問題は、「評価」のプロであるべき、人材派遣会社においても同じようです。東京新聞は、東京都板橋区の病院で、区民の健康診断を行った男が、医師ではなかったという問題をトップ記事で伝えています。医師専門の人材紹介会社から派遣された男は、他人の医師免許をコピーし、医者になりすましていました。この男がどんな人物だったか、記事は伝えていませんが、多少の医学的知識と、相手の心理を読む力、そして演技力があれば、結構評判のいい医者として通用していたのかもしれません。
信用と信頼
同様に、多少の政治的知識と、支持者の心理を読む力、そして演技力があれば、結構評判のいい政治家として通用するかもしれません。そもそも「評判」はいい加減なものです。イメージやムードで決めたり、好き嫌いの感情で判断したりする部分が多いからです。「評価」はもっと厳密なものです。その人物の仕事や活動を棚卸し、何を意図し、どういう取組をし、そして結果はどうだったかを、できるだけ客観的に分析し、総合的に判断しようとします。
私たちは、日常生活では「評判」の良い人とつきあいたいと思うものです。しかし何かを真剣に成し遂げたいと思ったら、「評価」の高い人と組んで仕事をしたいと思うはず。「評判」の良い人は、何かしてくれそうだ、という漠然とした期待感を抱かせ、「信用」していい、と感じます。しかしそこには、「評価」の高い人にだけ与えられる、根拠ある「信頼」はありません。
安心と安全
「評判」と「評価」は、「安心」と「安全」の関係に似ています。本来は、安全という前提があって安心するはずです。しかし私たちは、福島第1原発事故の前までは、根拠のない「安全神話」によって安心しきっていました。今は、「原発は安全」という評価を下す政府や専門家、電力会社の言葉を信じられないために、「安心の前提」を持てない社会になっています。
政治が取り戻さないといけない信頼と信用は、政治家を正しく「評価」するところから始まります。マスコミに求められる報道姿勢は、国民にわかりやすいイメージやメッセージだけ伝えて、政治家の「評判」を煽ることではありません。ひとりの政治家やひとつの政党が、何を成してきたのかという実績と、何を成そうとしているのかという政策を、客観的に「評価」し、心ある国民に正しい情報として提供することです。
安心して国家の未来を託せるリーダーを選べることは、成熟した民主主義の証です。
(文責:梅本龍夫)
讀賣新聞
【記事】 野田首相、代表戦確実
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
朝日新聞
【記事】 野田首相の再選濃厚
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
毎日新聞
【記事】 谷垣、石原氏出馬へ
(毎日jp http://mainichi.jp/)
日経新聞
【記事】 自民・石原氏出馬へ
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
東京新聞
【記事】 なりすまし医師、健診か
(TOKYO Web http://www.tokyo-np.co.jp/)
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