【リグミの解説】 ロンドンオリンピックでの日本選手の活躍が続いています。朝日新聞は「フェンシング男子フルーレ団体の決勝進出」、毎日新聞は「競泳400メートルメドレーリレーで男女がメダル」を1面トップにもってきています。
メダル圏外と見られた男子競泳チームですが、大奮起しました。日本競泳界を引っ張ってきた北島康介は今大会メダルを逃していました。男子競泳主将の松田選手は、北島選手を除く3人のリレーメンバーに「康介さんを手ぶらで返すわけにはいかないぞ」と話していたことを試合後のインタビューで明らかにしました。入江選手は個人でメダルを取ったときに、「競泳は8日間において27人で1つのリレーをしているようなものなので、最後の、男子のメドレーリレーの自由形の選手がタッチするまで27人のリレーは終わらないです」と語っていました。
フェンシング男子フルーレのメンバーの三宅選手は決勝戦前に、北京大会銀メダリストの太田選手や同学年の千田選手の世代から「未来に引き続く責任が僕にはある」と語っていました。そして、銀メダル獲得後のNHKの番組で男子フルーレ団体チームの特徴を聞かれた千田選手は、「団結力ですね!」と即答しました。それは、各自の世界ランキングだけを見れば、到底決勝に残れるチームではなかったことを自覚しての発言でした。
体操男子で個人総合優勝を果たし、種目別の床演技でも銀メダルを獲得した内村航平選手も、北京大会で中国に敗れた団体戦の雪辱を果たすために、ロンドン大会の照準を団体戦金メダルに当て、チームメンバーを牽引してきました。団体は力を発揮しきれず銀メダルに終わりましたが、ロサンゼルス大会の個人総合金メダリストの具志堅幸司さんが「天才」と絶賛する内村選手が、今大会でチームの優勝を最優先に取り組んできたことも印象的でした。
オリンピックは、数でいえば個人競技が圧倒的に多いわけですが、個人以上の力量を団体戦で発揮する日本人選手は、世界的にも珍しいアスリートたちなのではないかと思います。もちろんこれは、スポーツだけの世界でなく、日本社会の際立った特徴であると言えます。例えばトヨタ自動車は、カンバン方式(ジャストインタイム生産システム)という、まったく新しいビジネスモデルを提示し、世界の製造業を大きく変革しましたが、このトヨタのものづくりの思想の根底にあるのも「団体戦」です。工場の生産工程で、「前工程」と「後工程」は連携せず、それぞれで在庫を持つのが当たり前であった欧米のメーカーの発想に対して、トヨタはすべての工程がひとつのチームとなり、ひとつでも欠品や不良が生じれば、工場のラインすべてが停止するやり方に挑みました。この逆転の発想の結果、トヨタは世界一級の規模、利益、品質を達成しました。
卓球女子も、個人では惜しくもメダルを逃しましたが、団体では見事決勝戦に進出しました。日本選手は、これからもたくさん出場します。それぞれの個人競技で精いっぱい頑張って欲しいと思います。そして団体戦がある競技では、ひきつづき日本人のチームワークの真髄を発揮してもらいたいと思います。
そしてこんなことを言えば「鬼が笑う」かもしれませんが、未来のオリンピックにも思いは馳せます。もし、2回目の東京オリンピックが実現したら、新しく追加したい競技は何か。多くの人が心ひそかに想定しているのが、「駅伝」ではないでしょうか。オリンピックの花形の陸上競技の最後を飾るのは男子マラソンです。その陸上競技の舞台に、世界中の国別の駅伝競走が加わったら、どんな世界が展開するでしょうか。「タスキをつなぐ」駅伝のチームスピリットを体現する各国のアスリートたちは、きっと世界中の人々に新鮮な感動と共感をもたらすでしょう。
讀賣新聞
【記事】 首相問責あすにも
(YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/)
朝日新聞
【記事】 フェンシング、銀以上
(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/)
毎日新聞
【記事】 競泳メドレーリレー、男子「銀」女子「銅」
(毎日jp http://mainichi.jp/)
日経新聞
【記事】 日本車、欧州の提携縮小
(日経Web刊 http://www.nikkei.com/)
東京新聞
【記事】 国民的議論、反映なるか
(TOKYO Web http://www.tokyo-np.co.jp/)
【リグミから一言】 今回のDPで注目すべきは、「15%から0%」に変化した人と、「0%から15%」に変化した人がいたことです。この事例だけを取り上げて、全体の傾向に目を向けないのは全体観のない見方になりますので、注意しなければいけません。特に、京新聞が懸念するように、政策決定の事例としてつまみ食いすることは避けなければなりません。その上でここで、こうした意見の変化に注目する理由は、これが「熟議」の果実となる可能性があるからです。
ディベートのように立場を固定して論戦するのではなく、文字通り自分の考えや「主義」が話し合いや知識の獲得を通して熟していくことには、大きな価値があります。なぜなら、国民がそれぞれ、より自分の意見に自信と責任を持てるようになるからです。それは「当事者」としての民意です。社会を覆う空気やムードではなく、社会に対して責任を負える意見=パブリックオピニオンとしての民意です。
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