2013.10.14 mon

さらばベルルスコーニ ~フランス田舎暮らし(28)~

さらばベルルスコーニ ~フランス田舎暮らし(28)~


土野繁樹



                              New York Times

 
イタリア政治を過去20年間牛耳ってきたシルヴィオ・ベルルスコー二(77歳)のフィナーレが迫っている。これまで、彼はなんども「これでベルルスコー二は終わりだ」という状況に追い込まれたが、そのたびに危機を乗り越えてきた。しかし、今回はそうはいかないだろう。
 
10月2日、首相を3回務めた彼が生き残りをかけて仕掛けたレッタ内閣不信任案が潰れ、国会から追放され逮捕収監の可能性が高まっているからだ(この政治ドラマの背景はあとで触れる)。上の写真は、ベルルスコー二が議会から退場する光景だが、その日の出来事を見事にとらえている。まるでイタリア中世の政治ドラマを描いた油絵のようだ。
 
ベルルスコー二はイタリアの大富豪でメディアの帝王でもある。ミラノ大学を卒業したあと、クルーズ船でカンツオーネの歌手(下の写真)として働き、ミラノを拠点とする建築業で資産をつくり、TV局や出版社を手にいれ、一代で76億ドル(7500億円)を稼いだ立志伝中の人物だ。

ベルルスコー二は陽気で、明るく、人生を謳歌するイタリア人気質まるだしの男でもある。
 
彼の性格をズバリ言い当てているエピソードがある。彼が政界入りした1994年に刊行された本のなかに、メディア帝国の子会社の広告代理店を訪れて、セールスマンに語った言葉がそれだ。「皆さん、わたしは毎朝、鏡の前に立って’わたしは自分が好きだ。わたしは自分が好きだ’と繰り返し言います」
 
この自己肯定、この自信こそが彼の成功の基盤である、と英国ガーディアン紙のローマ支局長ジョン・フーパーが「べルルスコー二は、世界は自分のためにあると信じていた」いう記事のなかで書いている。
 
それにしても、彼はセックス・スキャンダル、脱税、政治的買収と醜聞まみれの政治家だ。裁判沙汰になった事件はなんと22件もある。そして、ベルルスコー二政権下のイタリア経済は下降し続けている。にもかかわらず、彼はかくも長い間、最高権力者として君臨してきた。
 
なぜなのだろう。


60年代、歌手時代のベルルスコー二      Wikipedia

 
まずは彼の代表的なスキャンダルを紹介しよう。

セックス醜聞裁判

2013年6月、ミラノ法廷はベルルスコー二がルディと呼ばれる未成年17歳の少女を買春した罪で懲役7年の判決を下した。この裁判で彼が売春婦を招きセックス・パーティを頻繁に開いていたことが暴露された。それだけではない。モロッコ出身の踊り子ルディが盗みの疑いで逮捕されると、ベルルスコー二はミラノ警察に電話をかけて、彼女はエジプト大統領ムバラク(当時)の姪だから外交問題になるので直ちに釈放せよ、と命じている。ルディはムバラクとは無縁だから、彼はウソをつき首相の権限を乱用したことになる。それだけではない。警察はルディを釈放しベルルスコー二の知人の家に預けたが、その友人たるや彼のセックス・パーティで尼に扮してストリップを演じた女性だった。のちに彼への忠誠心が報われ、彼女はロンバルディア州(ミラノが首都で人口1000万)の政府に高給で雇われた。
 
政敵盗聴事件
 
2005年、盗聴を担当している情報機関のスタッフがジョルナーレ紙のオーナーであるベルルスコーニの弟パオロのもとにテープをもってやってきた。それは違法行為だった。テープには、政敵であるイタリア民主党の幹部ピエロ・ファシノと保険会社の幹部の電話会話が記録されていた。内容は大手銀行買収についてだったが、その中にファシノの「銀行の件は大丈夫か」という言葉があった。
 
ベルルスコー二はそれをクリスマス・イブに聞き大喜びし、テープを持ってきた男に‘永遠に感謝する’と言ったという。数日後に、ジョルナーレ紙はイタリア民主党の銀行買収関与を非難する‘スクープ記事’を書いた。国営TV局RAIも、彼が所有する三つのTV局もこの事件を大々的に報じた。選挙前だったので、政治的影響は大きかった。イタリア民主党はダメッジを受けベルルスコー二の自由の家党の支持率が急上昇した。

選挙ではイタリア民主党のロマーノ・プロ―ディが僅差で勝ちベルルスコーニは下野したが、禁じ手を使って2年後に首相に返り咲いた。のちの裁判で、ファシノは銀行買収とはまったく関係がないことが判明したが、ときすでに遅しだった。
 
買収事件と脱税

2010年、ベルルスコー二は政敵である有力議員を味方につけるために、300万ユーロ(4億円)使って買収した容疑で取り調べを受けた。カネを受け取ったセルジオ・ デ・グレゴリオは次のようにナポリの検察官に告白している。「わたしはプローディ政権を倒すための作戦に加わった。どのようにしてプローディを引きずり下ろすかの戦略をベルルスコー二と練った。300万ユーロで話はまとまった。これは犯罪であることは知ってはいたが、当時、わたしは借金で首が回らなかった」

同じ頃、彼がオーナーであるTV局の子会社が脱税容疑で告発され裁判が開かれた。映画権やテレビ権を売買するこの会社はカリビアンにあるオフショアの幽霊会社を利用して巨額な脱税をした嫌疑である。脱税で捻出されたカネはベルルスコー二がプライベートに使うためだったと言われている。彼は30%以上の課税は道徳的ではない(現行法では上限50%)と公言したことがあるので、これは彼の有言実行でもある。


ベルルスコー二退陣を要求するデモの光景(2013)       La Repubblica 3


上記のようなスキャンダルが他の民主主義国家で発覚すれば、政治家は辞任を迫られ、その政治生命は断たれる。しかし、ベルルスコー二の場合そうはならなかった。その理由のひとつは三審制の悪用にある。彼は告訴され一審で判決がでても、上審してやり手の弁護士を使って長期戦にもちこむ。ありとあらゆる理由をみつけて、弁護・反論し裁判を長引かせ、そのうちに時効になる作戦をとる。実際、これまでに裁判官買収など6件の裁判の有罪判決を時効で逃げ切っている。

ベルルスコー二のメディア帝国が世論をコントロールしているという現実もある。それに、彼は演説がうまいし、大衆がなにを望んでいるかを動物的カンで見分ける才能がある。イタリアを代表する知性、学者で作家のウンベルト・エーコ(『薔薇の名前』の著者)は、反ベルルスコー二の急先鋒だが「彼はコミュ二ケーションの天才だ」と認めている。

国営テレビ局もベルルスコー二の影響力下にある。首相時代に任命した彼の息のかかった人物が主要なポジションを占めているからだ。彼の見解が所有する三つのTV局でひっきりなしに流されるから、大衆は洗脳され反対意見を歪んだ鏡で見ることになる。イタリア国民の大半のニュース情報源は、唯一TVだからその威力は計り知れない。

ベルルスコー二は側近に「TVに映らないと、アイディアも、政治家も、商品もなにも存在しないことを、君は分かっているのか」と言っている。彼は現代政治におけるTVの役割を知り尽くしている男だ。

イタリアの政治文化もまた彼の支配を許す理由だろう。

国民は政治家を信用していない。なにせ、社会党の首相が大型汚職で辞任し、国外へ逃亡した国だから右も左も腐敗していると思っている。だから、ベルルスコー二の支持者は彼の違法行為を特別なことと思っていない。

それに加えて、政治で最も重要なことは‘勝つか、負けるか’だとイタリア人は考えているから、法の支配、善悪、道徳的基準は二の次になる。とくにベルルスコー二の支持者は、何事が起ころうと、彼は政敵に立ち向かうわれらが利益代表であると思っているから、スキャンダルはそれほど影響しない。だから彼は安定した支持率を保っているのだ。

ベルルスコー二はこの春の総選挙で、固定資産税の廃止を公約した。廃止するだけでなく、昨年納付されたものは還元すると約束した。イタリアは脱税天国だが、南へ下がるほどそれはひどくなる。ナポリの歯医者は警察官より低い収入を申告するという。それでも、彼は脱税者には恩赦を与えると約束し票を伸ばした。

いまイタリアは戦後最悪の不況のなかにある。6年前に比べると製造業の生産高は4分の一減り、3人に一人の若者が失業中だ。この国は隣国と経済的に競争する力がない。人々はまるでなにも起こっていないかのように振る舞っているように見える。

以上の政治文化についての分析は、米国人作家で在イタリア30年のティム・パークが書いた「イタリアをハイジャックした男」(The New York Review of Books)によるものだが、彼は「イタリア人は、政治指導者は市民代表とは思わず封建時代の領主のように考えている」と結んでいる。



2013年の総選挙                 New York Times


10月2日、ベルルスコー二が議会で屈辱的な敗北を味わったことに話をもどそう。そもそも、内閣不信任案が提出されるきっかけになったのは、最高裁判所が彼の脱税(総額3億ユーロ=400億円)に下した懲役4年の判決だった。

それまでは法廷での引き伸ばし作戦が成功していたのだが、最高裁の判決だから逃れることはできない。追い詰められた彼が考えだしたのが、内閣不信任案だった。案を成立させ解散に追い込み、選挙で再選され議員の不逮捕特権で身の安全を計ろうとしたのだ。

しかし、彼のシナリオどおりにはいかなかった。現内閣はベルルスコー二の率いる自由の人民党とエンレコ・レッタ首相のイタリア人民党が組んだ連立内閣だ。ベルルスコーニは自党出身の5人の大臣に辞表を出させ、党員に不信任案に賛成投票せよと号令をかけたが、そうは問屋がおろさなかった。

首相の「イタリアの経済は戦後最悪の状況にある、いま解散をすれば危機はさらに深まる」という訴えに、ベルルスコーニが後継者に指名したアルファノ副首相を先頭に多くの同党議員が賛同し不信任案は否決されたのだった。党内の予期せぬ反乱に直面し党の分裂を恐れたベルルスコー二は、議場で自らも不信任案反対を表明する羽目になった。鉄の規律で党を支配してきた彼の威信は地に落ちた。
 
追い打ちをかけるようにその2日後、議会の特別委員会が彼を国会から追放する勧告をだした。国会はこれを可決する可能性が高い。となると、彼の議員資格が剥奪され、不逮捕特権がなくなるから懲役刑に服さなくてはならない。とは言っても4年ではなく(新法で、監獄のスペースがないので3年は帳消しになる)1年のコミュ二ティ・サービスか自宅軟禁ということになるだろう。
 
アッディーオ(さらば)、ベルルスコー二!
 
 
 

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著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

フリー・ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て
「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。