2013.10.07 mon

フクシマ・センダイ・カルイザワ それぞれの地で考えること(第10回)

フクシマ・センダイ・カルイザワ それぞれの地で考えること(第10回)


髙木 亨

慣れ

 
  バタバタしている間に、夏が過ぎ、秋がやってきた。福島県内をはじめ、稲穂が頭を垂れてきた。あれから3回目の秋が来た。今年も福島県産のお米は全量・全袋検査を実施する。安全・安心に欠かせない取り組みである。本来であれば、今はキノコの季節。山の幸がたくさん取れる阿武隈山地も、ひっそりと静まっているようだ。それでも、好きな人はこっそり山に入り、山の幸を取ってきて自分で食べているようだ。あの人は「ホールボディカウンタ*の値が高かった」という話も漏れ聞こえてくる。
 
  地元紙を開くと、未だに農産物に含まれている放射性物質の測定結果が一覧になって掲載されている。ほとんどは検出限界値以下(ND)である。ただ、この時期のキノコだけは、「いい値」が出ている。国の基準値であるkgあたり100ベクレルを超える値が検出され、県内外で多くが出荷停止となっている。山の幸はイノシシなどの動物、春の山菜、秋のキノコ、いずれも厳しい状況にある。
 
  県内各地の空間放射線量も同様に掲載されている。こちらは、昨年に比べて空間線量は下がってきている。除染の成果や半減期**の影響だけではないようだ。先月末、いわき市の山間部へ出かけたが、昨年より確実に線量は下がっていた。とはいえ、避難指示が出ている地域ではまだまだ線量は高い。また、空間線量計を持って歩くと、大学構内(屋外)でも思わぬ値が出る場所もある。
 
 フクシマへ赴任して1年半が過ぎ去っていった。
 
  震災の年の7月、まだフクシマへ赴任する前、学生たちと高部集落(第7~8回で取り上げた)へ訪れたときのことを思い出す。高部の人たちは放射能に対して「慣れた」と言っていた。「え、そうなんだ」と返答していたが、当時は信じられなかった。放射能に「慣れる」なんてあり得ない、と思った。
 
  ところが、である。気がつくと確実に「慣れた」自分がいる。気にして測っていた空間線量計(エステー製エアーカウンターS)の出番はすっかり減った。誰かが来たとき、高そうな地域に出かけるときに持ち出す程度である。風が強そうな日にマスクをして出かけたこともあったが、いつしか気にしなくなった(写真1)。

空間線量計
写真1 空間線量計(以前住んでいた福島市内のアパート内。0.14μSv/h。2012年4月1日)

 
  そして、積算線量計(日立アロカ製マイドーズミニ)。震災の年の9月に購入、1年以上ほぼ毎日身につけ計測し、facebook、Twitterで毎朝前日の被曝量を報告していた。どのような行動をすると被曝線量が上がるのか、測ることで感覚的にわかるようになってきた。福島市内での私の生活であれば、関東にいるのと被曝線量に大きな差が無いこともわかった。それが、なんとなくルーズになり、身につけるのを忘れる日が出てきて、facebookやTwitterでの報告もおろそかになってきている。週末、福島市の飯坂温泉へ行ってきたが、積算線量計の携帯を見事に忘れた(写真2)。

積算線量計
写真2 積算線量計(おそらくスイッチを入れて1ヶ月半程度経過した程度の線量)

 
  自分でも驚くが、着実に「慣れた」のだと思う。「非日常」の「日常」化、フクシマの状況を見て感じた言葉だが、自分自身もそうなっている。改めて自覚した。「慣れた」の意味は広い意味での「思考停止」がある。イチイチ気にしていられない、気にしたところで何も変わらない、気にした方が身体に悪い、考えないようにしている…etc。でも、時々ふっと頭をよぎる。「線量はどれくらいあるのだろうか?」「この食べ物大丈夫か?」…
 
  「あのとき」枝野官房長官(当時)が言った言葉「直ちに影響はない」。まさにその通りである。直ちに影響はない、しかし、将来にわたって影響がないのか。その不安が隠れたりあらわれたりしている。私はあの当時、フクシマにはいなかった。でも、あのときフクシマにいた、あのプルームの下にいた人たちは、と思うと言葉を失う。放射能に色がついていれば、味がついていれば、臭いがついていれば、痛ければまた違っていたかもしれない(写真3)。

線量測定のイメージ
写真3 線量測定のイメージ

 
  非日常の日常化。慣れてはいけないのだが、いろいろな物事に対して慣れが出てきてしまう。とくに原発事故、最近であれば汚染水の問題である。連日のようにタンクから水が漏れている。数万ベクレルの汚染水が漏れている。その報道を受けても、何となく感覚が鈍っている。怒ったり恐れたりというよりも、「またか」「なにやっているのだか…」という感覚である。しかし、1Fからダダ漏れ状態の汚染水については、国際原子力事象評価尺度(INES)***のレベル3(重大な異常事象)に該当する。それにもかかわらず、である。
 
  それでも、さすがにオリンピック招致の際の一連の首相発言には怒りを覚えた。「状況はコントロールされている」「福島第一原発の港湾内0.3平方km範囲内で完全にブロックされている」「健康問題については、今までも現在も将来も、全く問題ない」。さすがに、その状態に慣れていたとはいえ、「何事もない、大丈夫だ」といわれると、カチンときた。一国の首相が自国で起きていることを把握していない。あのお方は何回もフクシマに来ている。なのに、一体どこを見てそのようなことをいっているのだろうか?
 
  この発言が契機となり、ますます「無かったこと」にされるのではないか、という危惧。一方で、国際公約だからきっちりやるはずという期待。これとは別に、フクシマの問題がオリンピック招致の足を引っ張らなくて良かったという複雑さ。オリンピック招致決定により、東京での建設ラッシュに人手が取られ、復興がますます進まなくなるという不安。地元紙を読んでいるといろいろな思考が交錯している。ただ、同僚の間では、首都直下型地震が来たらそれどころではなくなるのだが、その視点からの発言はなかったよね、という話も出ていた。
 
  「決まったからには」ということもわかる。おそらくその状況にも慣れていくのだと言うことも。でも、「嘘」はいけない。そのことは慣れずに忘れないでいたい。
 
*ホールボディカウンタ:体内にある放射性物質の量を測る機械。体内被曝を把握するためのもの。
 
**半減期:放射性元素の原子数が崩壊により半分に減るまでの期間(広辞苑)。東京電力福島第
 
一原子力発電所(1F)事故により放出された主な放射性物資は、ヨウ素131、セシウム134、セシウム137である。半減期はそれぞれ、ヨウ素131が約8日、セシウム134が約2年、セシウム137が約30年である。
 
***国際原子力委員会(IAEA)などが定めた原子力事故等の評価尺度。ちなみに東日本大震災にともなう東京電力福島第一原子力発電所事故はレベル7。これはチェルノブイリ原子力発電所事故と同じ評価である。
 
 
 
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著者プロフィール

髙木 亨(たかぎ・あきら)

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授
博士(地理学)、専門地域調査士。
東京生まれ、東京近郊で育つ。
立正大学で地理学を学ぶ。
立正大学、財団法人地域開発研究所を経て2012年3月から現職