髙木 亨
5年の積み重ね(その1)
写真1 田植えの日は「一粒万倍」のとても良い日でした(区長さんが教えてくれました)
福島県いわき市川前町高部地区。いわき市の北東部、阿武隈山中にあるその小さな集落は、典型的な過疎の村。「限界集落※」と呼ばれるような集落である。そんな高部集落と学生との交流がはじまって、今年で5年目を迎えた。今年も無事に田植えができた。「活性化」とは何か、改めて考えてみたい。
きっかけは、2009年度に福島県が打ち出した事業「大学生の力を活用した集落活性化事業(当時:以下、大学生事業)」に手を挙げたことにはじまる。この事業、大学生と集落とのマッチングをおこない、大学生が集落調査し、様々な企画提案をする、しかも低予算で、というものである。できれば、事業終了後も末永く集落と大学生との交流を続けてもらい、大学生に集落のサポーターになってもらいたいという事も。県の事業としては異例の「ヒット」事業として、現在(2013年度)も形を変えて続いている。
前職の時、たまたま、いわき市の仕事をしていた関係で、市の担当者から大学生事業の話があった。たまたま、非常勤先の埼玉県にある大学の地理学科学生(当時2年生)に話をしたところ「やってみたい」ということになった。そして、たまたま、大学生事業に手を挙げていいという集落が見つかった。このような「たまたま」が重なって活動がはじまった。たまたま、集落へ入る最初の大学生グループとなったため、県の広報番組の取材が入り、TVクルーとも出会い、学生・集落ともにTVデビューするという幸運にも恵まれた。
写真2 なかよしご夫婦 活動の経緯は古今書院(
http://www.kokon.co.jp)刊『地域資源とまちづくり 地理学の視点から』に所収されている「学生と地域の交流による地域づくり:福島県いわき市」を参照頂きたい。当初は、学生による地域魅力発見調査だけであったのが、高部の皆さん、行政関係者と学生との交流によりその輪が広がっていった。学生たちもサークルとしてこの活動に取り組むようになった。
2年目以降は、大学生事業の実証実験として、前年度計画した事業の実施(稲作体験(=お米を「高部姫」と命名)と大学祭でのお米販売、夏祭りの復活など)。3年目以降も助成金を活用しながら稲作体験・お米の販売、集落行事への参加と活動を継続していった。途中、2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故による影響も受けた。これまで積み上げてきたものを一気に破壊してしまう原子力災害の非道さを経験した。しかし、それを乗り越え、集落と大学生との交流を継続していった。
2012年3月には、活動の中心となっていた学生メンバーが卒業を迎えた。私も福島大学への赴任が決まり、この活動での学生側の大きな転機となった。これまで私は、学生たちと週1回顔を合わせることができた。しかし、福島へ赴任以降、なかなか顔を合わせる機会が無くなってしまった。学生の代替わりがこの活動の課題だと感じていたが、かなりの環境変化をともなう代替わりとなってしまった。
こうして活動のバトンは次の新2年生へと渡された。引き継ぎのまずさもあり、バトンを受けた2年生は相当苦労したようである。アドバイザーである私は近くに居らず、集落など外からの要求は前年度並みを求められるという、大変でありかつ申し訳ない状況になってしまった。
それでも、彼らは「高部姫」の価値を上げるため、同じ大学の東京都心にあるキャンパスでの大学祭へ出店、埼玉で売るよりも倍以上の単価で、稲作体験のお米「高部姫」を売り上げた。高部の皆さんも、学生が案内した商店街でのお米の販売価格を見て、それと同等の価格で売れたことに自信を持ってもらえたようである。これは大きな成果であった。また、2年生は、新たに加わった1年生にも、引き継ぎに苦労しないようノウハウの伝授をしながら活動に取り組んでくれた。これで、5年目も「これならうまくいける」と感じていた。
ところが、そうは問屋が卸さなかった。5年目に入り、いよいよ今年度の取組がはじまるという段階になって、学生サークルが内部分裂してしまった。高部での取組を継続したい学生と、高部での活動が重荷で、別なことをしたい学生とに別れてしまった。結果、前者の学生たちがサークルを辞めて、学生有志として高部での活動を続けることになった。
両者にはそれぞれの言い分があり、ここで書いても仕方が無い。ただ、サークルに残った学生には、「高部の活動は学生たちだけの活動ではなく、社会を相手にしている活動であった事」、そのため「年度の途中で「投げ出すこと」はとても無責任なこと」を伝えた。高部での活動の意味を、学生たちにきちんと伝えられていなかったと反省している。
写真3 老いも若きもみんなで田植え そんな曲折があり、5年目の最初の活動として5月末に田植えをおこなった。学生は少なくなってしまったが、困ったときのOB頼み、ということでOBも休みを都合して数名参加してくれた。懐かしい顔に地区の皆さんもにっこりした顔を見せてくれ、ホッとした。自分でも「ああ、いいなぁ」と改めて感じた。4回目の田植えも、恒例の手植え。学生もずいぶんと手慣れてきた。私が手伝わなかったこともあり、予想以上に早く終了。8畝の田んぼは地区の皆さんと学生とOBの手により、きれいに苗を植えることができた。
その後の「さなぶり」と呼ばれる打ち上げの席で、学生の事情を地区の皆さんに説明した。ノンアルコールビールを飲みながら地区の方から「学生との活動は集落の年中行事になっているから大丈夫だ。みんな楽しみにしている。今まで通り来てくれれば良い」と言って頂けた。この活動が定着してきたことを実感できる、とてもありがたい言葉であった(続く)。
写真4 田植えのあとは「さなぶり」。今年は運転の関係でノンアルコール飲料が主流でした
※限界集落とは、大野晃氏(現長野大学教授・高知大学名誉教授)が提唱した概念で、人口の50%以上を65歳以上の老齢人口が占めている集落で、かつ集落機能(生活環境の管理・冠婚葬祭など)の維持ができなくなった集落のことを指している。マスコミ等では人口に占める老齢人口の割合だけで語られることが多いが、重要なのは集落機能が維持されているか否かである。高部地区も限りなく「限界集落」に近いが、集落機能は維持されており、いわゆる「限界集落」のイメージでは語ることのできない集落である。また、近年道路事情が改善され、近隣の都市部に住む子息の「通勤」により集落機能が維持されている事例も多数ある。数字だけでは判断できず、生活環境を総合的に判断する必要がある。
【フクシマ・センダイ・カルイザワ それぞれの地で考えること バックナンバー】
著者プロフィール
髙木 亨(たかぎ・あきら)
福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授 博士(地理学)、専門地域調査士。 東京生まれ、東京近郊で育つ。 立正大学で地理学を学ぶ。 立正大学、財団法人地域開発研究所を経て2012年3月から現職 |