2013.05.15 wed

中国の夢 ~フランス田舎暮らし(21)~

中国の夢 ~フランス田舎暮らし(21)~


土野繁樹


Economist誌5月4-10日号
 
 
英国の週刊誌Economistが最近号で中国を特集している。習近平国家主席が清朝の皇帝服を着て右手にシャンパン・グラスを持ち左手に拭き戻し、表紙のサブタイトルは‘中国の夢、偉大(な国)への回帰’とある。
 
タイトルは‘Let’s Party like it’s 1793’。Party はパーティと党の掛詞だから、超訳すると共産党は栄華を極めた清朝の最盛期を目指す、という意味になる。当時の中国は世界のGDPの三分の一を占める大帝国であった。(1793年は英中外交の事始めの年。英国王の使節マッカ―トニー卿が清朝の乾隆帝に拝謁)
 
皇帝服は乾隆帝の着たもののコピーだが、超高層ビルや爆撃機や艦船も描かれているから、デザインはいささか違っている。Economist誌は世界の潮流分析では定評のある雑誌(今日の中国の興隆を20年前に予測)で、ウィット(機知)に富んだ表紙と記事でも知られている。この表紙はその好例だ。
 
習近平自身が乾隆帝時代を目指そうと言ったわけではない。しかし、彼が‘中国の夢’をスローガンに掲げ、国営テレビが大々的にキャンペーンをはり、人気歌手・陳思思の同名の歌がヒットしているから、その夢を解読する記事を書いたというわけだ。
 
中国の政治はスローガンで動く。たとえば、毛沢東の‘大躍進’(大失敗)、鄧小平の‘改革開放’(大成功)、胡錦濤の‘調和社会’(失敗)などがある。習の‘中国の夢’はこの伝統を継ぐものだが、そのお披露目は天安門広場に隣接する巨大な中国国家博物館で行われた。国家主席に就任して2週間のち、彼は6人の中央政治局員を引連れて、そこで「中国の夢は中華民族の復興である」と宣言している。
 
歴史的展望と未来予測に長けたEconomist誌の夢分析は次のようなものだ。
 
1793年、マッカ―トニー卿が乾隆帝に拝謁し、英中交易の相互利益を訴えたが、皇帝の返事は「朕は貴国の心からの謙譲と服従の態度は見てとった。しかし、わが国は貴国の物品をまったく必要としない」だった。その後1830年代に、英国は砲艦外交で交易を清に認めさせた。清王朝は改革を試みたが失敗、屈辱の時代が続き、毛沢東が政権をとり共産党支配がはじまった。
 
過去30年間の中国の躍進は目覚ましく、偉大な国への回帰の道を歩んでいるように見える。何億の人々が貧しさから解放され、新しい中産階級が生まれている。そして、これから10年以内にGDPで米国を追い抜くだろう。マルクス主義イデオロギーが飾りものになった今、この国をまとめるためのスローガンが‘中国の夢’だ。
 
それでは、習の‘中国の夢’のビジョンは一体どんなものだろう?
 
19世紀に屈辱を味わって以来、中国のゴールは富国強兵だった。習の偉大な国のスローガンは、共産党指導部が18世紀の王朝の継承者であることを強調し、愛国主義に訴えて党支配に新たな正統性を与えようとする試みに見える。習が‘中国の夢’をはじめて語った場所が、国家博物館の‘復興への道’の展示会場だったのは偶然ではない。そこには、植民地主義者によって苦難を強いられた民族を解放した共産党の物語が展開されている。(大躍進と文化大革命で、数千万の犠牲者がでたことは無視されている)
 
しかし、習の夢には二つの危険性がある。第一はナショナリズムの問題だ。民族再興のレトリックは国民の間にある根強い歴史的被害者意識を刺激し、すぐに火がつき険悪な状況になる可能性がある。東シナ海での小さな衝突や挑発が増えれば、ネット愛国者たちが日本人に屈辱の教訓を与えよ、と声高に要求するだろう。習は昨年12月、中国南部を軍事視察したが、そのとき‘強い軍の夢’を語っている。それは軍の強硬派の懐柔が目的だったかも知れないが、この発言は東アジアでの軍事対立を加速させる恐れもある。
 
泰然自若で自信のある中国を気にする者はいない。しかし、植民地の犠牲者の立場から日本に仇討をしようと見構えている国への変身は、東アジアの安定にとって有害である。それは、中国自身にとっても有害だ。
 
‘中国の夢’の第二のリスクは、それが国民ではなく党へより権力が集中する可能性だ。習は「われわれのミッションは国民の幸福への願いに応じることだ」と言っている。これはアメリカン・ドリームの響きがある。が,習の力点は党の絶対的な権力の強化にあると思われる。ソ連邦 が崩壊したのは,共産党がイデオロギーの堅持と党の規律を放棄したからだ、との彼の発言はそれを裏付けるものではないか。
 
習が法治をどのように考えているのか。これが彼のビジョンを計るテストになる。国民の幸福、国家の真の強さは、恣意的な権力の行使に歯止めをかけることで達成される。腐敗と権力の乱用は憲法が党より強くなることでチェックできる。
 
今年の元旦、南報週末は‘憲法主義の夢’と題する社説で、法治の重要性を主張しようとした。しかし、この社説は検閲にあい書き換えられた。もしこれが,習の意図であるとすれば、‘中国の夢’への旅は前途多難なものになるだろう。


「中国、世界を行く」の表紙

 
フランス南西部の小さな村で暮らしていても、中国の存在感は大きい。散歩の途中で農家の老婦人から「北京の天気はいかがですか」と尋ねられたこともある。先日、隣の町で買った血圧測定器はドイツ企業が中国で製造したものだった。衛星テレビではCCTVが3つのチャネル(ニュース・チャネル「英語」、ドキュメンタリー・チャネル「英語」、総合チャネル「仏語」)を駆使して24時間放映している。4月にはArte(仏独共同TV局)が ‘中国:新しい帝国’と題する3時間のドキュメンタリーを放映していた。
 
フランス人(ヨーロッパ人と言い変えてもいい)は、猛スピードで興隆する中国をおどろきと不安の混じった複雑な感情で見つめている。マ―ティン・ジャック(英国人)の『中国が世界を支配するとき:中華帝国の興隆と西欧世界の終焉』(2009年)は世界的ベストセラーになったが、この本は、いずれ中国は米国を凌駕しナンバーワンの超大国となる、と予測したものだ。
 
本当にそうなるのだろうか。その疑問に答える本が、今春オックスフォード大学出版から刊行されている。米国ジョ―ジ・ワシントン大学の中国学者ディビッド・シャンボウが6年かけて書いたChina Goes Global: The Partial Power (中国、世界を行く:限定的なパワー)は、われわれの中国イメージを覆す好著である。著者は、中国の経済力、軍事力、外交力、文化力などが国際社会へ与えている影響を綿密に測定して、この国が世に言われるほどのインパクトを与えてはいないことを実証している。
 
たとえば、中国は世界の資源を買い漁り独り占めしようとしている、と見られているが、実際には中国企業は世界の鉱山資源投資の6%を占めているにすぎない。中国の海外直接投資の総額はデンマークのそれと同じ程度である。中国企業のM&Aはほとんど成功していない。世界市場を席巻しているかに見える貿易分野でも、輸出品目の90%は低価格の消費者向け製品だ。中国企業のブランド力も弱い。
 
中国の増大する軍事予算は膨大だと思われているが、まだ米国のそれの20%にすぎない。CCTVや孔子院などに巨大な予算を注入して、中国のソフトパワーによる世界への影響力を強める試みも、プロパガンダ臭が壁になり、成功していない。逆にBBCやPew(ワシントン)の世論調査によると、ここ数年、世界的に中国への好感度が下がり警戒心が高まっている。
 
狭い国益を追求することだけの中国外交は、貿易とエネルギーの分野を除いて、世界情勢に大きなインパクトを与えてはいない。中国指導者は国内の課題に取り組むことに忙しく、世界的課題の解決に積極的に取り組むことはしていない。
 
リサーチをする前はこんな結果がでるとは思っていなかったので「自分でもおどろいている」と言う著者シャンボウは、‘中国が世界を支配する’という考えは「あまりに大袈裟で、間違っている」と言い、「中国の存在感と世界的影響力を同等に見るべきではない」と結んでいる。
 
この本は中国神話を破壊するパワーを持っていると思う。ただし、これは現段階の評価で、将来のことは分からない。

 
中国国家博物館の「復興への道」の展示会場          New York Times


香港のサウスチャイナ・モーニングポスト紙(5月11日)が、共産党から大学側に対し「党の歴史上の過ち」「報道の自由」、「司法の独立」「普遍的価値」、「公民の権利」など7項目について授業で触れないようにとの通達が出たと報じている。同紙によると北京の大学には党中央委員会から機密扱いの文書で通達があったという。(「国境なき記者団」(NGO)が発表した今年の報道の自由・世界ランキングによると、中国の自由度は179ヶ国中173位である)こんなニュースを読むと、国内の安定と共産党の生き残りを、なりふり構わず最優先させる中国の姿が見て取れる。中国の治安予算は国防予算よりの大きいが、これは 国内情勢がいかに不安定を物語っている。
 
東シナ海と南シナ海における権益を確保するため国際法を無視した中国の行動は乱暴で傲慢だ。日本人への憎しみを煽る愛国主義教育ほど両国間の関係を毒するものはない。中国は成熟した文明大国として振る舞っていないと思う。
 
しかし、日本が成熟した大国として行動しているかというと、そうでもない。いま東アジア情勢が緊張しているときに、国会議員が大挙しての靖国参拝は賢明ではない(戦略的思考ゼロ)。麻生副首相の発言「日中関係は過去1500年にわたってスムーズにいったことはない」は、歴史的事実に反する戯言だ。安倍首相の国会での発言「侵略の定義は定まっていない」は説得力がない。
 
これらの行動と発言の背景にあるのは、彼らの現代史の基本知識の貧弱さと反省力のなさだ。中国や韓国の人々が体験した災禍と屈辱(たとえば、欧米の大多数の歴史家は日中戦争での中国人の死者は少なくとも2000万人と推定、朝鮮での創氏改名、‘皇国臣民の誓い’の斉唱義務化、戦争中、労務者として330万人を強制連行)を真剣に考えたことがあるのだろうか。A級戦犯は彼等にとって、屈辱の時代のシンボルということを分かっていないのではないか。解決策は、できるだけ早く国立追悼施設をつくることだと思う。
 
日本軍が中国大陸を侵略したのは、厳然たる事実であるのに、首相がいまさら学問的に定義されていないと言うのは潔くない。日本は無謀な対米戦争に突っ込み広島、長崎の原爆で止めを刺され、無条件降伏をした。戦後はその不毛な戦争への反省(中曽根元首相はそれを反省力という)からはじまり、講和条約を結び、豊かで平和な日本を建設してきた。
 
世界は日本の負けっぷりのよさを称賛していたのに、今更、日本は悪くなかったと言っても得るところはない。逆に不信の眼でみられるだけだ。世界の大国も他国を侵略し、植民地化し過ちを犯してきた。日本もそれを潔く認めて、過去の歴史の亡霊と決別すべきだ。
 
‘中国の夢’に話を戻そう。
 
共同通信(4月15日)によると、人民日報系の雑誌「人民論壇」がインターネットで実施した共産党に対する意識調査(回答者3500)で、‘共産党には改革を推進する勇気と知恵がある’という主張について75%が賛同しないと答え‘共産党だけが人民を指導できる’についても、80%以上が賛同しないと答えたという。これは中国の世論の正確な反映ではないかもしれない。しかし、国民の間に党への不満がかつてなく高まっているのは確かだ。(この意識調査の結果は直ちに当局によって削除された)
 
‘中国の夢’のスローガンは、その不満への回答とも言える。これまでの、スローガンに比べて分かりやすく魅力的だから、期待感もある。しかし、国家の夢はともかく、これだけ中国社会が多様化した現在、個人の夢もまた多種多様になっている。それを実現するには、個人が自由に選択し活動できる社会システムがいる。そのシステムを共産党独裁に求めるのはむりだろう。
 
習近平が皇帝服を着たEconomist誌の表紙と記事は、直ちにインターネットから削除されたが、このウィットを面白いと思い笑い飛ばす社会が、中国に到来することを願っている。 
 
 
 

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著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

フリー・ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て
「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。